終い支度・2の2 ~私が離婚に踏み切るための助走として
一度怒り出すと、夫は1時間でも2時間でも、怒りつづけた。
思ってもみなかったようなところに対して火がついたように怒り出し、同じことを繰り返し繰り返し責めたて、それでも気がすまなければ過去の、もう片を付けた筈のことすら持ち出して怒り続ける。
そんなつもりじゃない、そんなことは全く思っていないと私が弁解しても反論しても聞き入れてはもらえない。
しかも、いつも突然、何に対して怒り出すのか、何の前触れもなく何の法則性もなくやってくる。
人それぞれ怒るポイントとか嫌いな物事、コレはちょっと嫌だけどソレは我慢できない、などがあるし、お互いにそれを踏まえたうえで人間関係を築いていくものだと思うが、夫の場合はある意味でポイントがない。
さっきまでOKだったからと気を抜いていると、いま、この次の瞬間NGに変わったりする。
さっき良いって言ったじゃないと反論すると、さっきはさっきだと開き直る。
なるべく機嫌を損ねないようにと、事前に尋ねておいても同じで、OKをもらって安心して始めたことが、今、この瞬間に怒りの原因となるなんてことはザラだった。
まるで、スイッチの軽い地雷原。
何に対して腹を立てているのかも告げず、いきなり「ケンカ売ってんのか」の一言でそれは始まる。
何が気に障ったのかと尋ねてもそれに対しては答えずに「そんなこともわからないのか」とまくし立てる。たまに図星をつくと「謝れば許されるとでも思ってるのか」と。
それも、両手がふさがっていたので肘で冷蔵庫のドアを閉めたその閉じ方が気に入らないとか、夫が転寝をしていたからテレビを消したとか、だ。最初のうちこそ‘謝っても許されないようなことではないのでは?’と、疑問に思ったが、反論をすれば2倍にも3倍にもなって返ってくる。
まるで、途中からは『怒ること』そのものが目的にすり替わってしまっているかのように延々と怒りつづけ、『Aはダメ。かといってBもダメ』という状況にどうすればいいのかも判らず、私はいつも途方に暮れた。
途方に暮れた。悲しかった。悲しかったけれど、涙を流すと、夫はさらに怒り出す。
夫は、自分がしたことに私が傷つくことを許さない。
息をひそめて身じろぎ一つに注意を払っていても、横で風が吹けば簡単に誘爆されてしまう地雷原。
結婚後に気づいたことがある。
夫は仲間内にはとても気さくで明るく、面倒見のいい『いい人』であったのに対し、自分が優位に立てる相手、たとえば買い物に行った先の店員であったりイベントなどの係員であったり、そういう人たちに対しては驚くほど横柄に接するということだ。
出かけた先で酷い言葉を投げかけられる店の人に申し訳なく思いながら、そんなに怒るほどのことかと疑問を持ちながら、それでもそこで口を挟んで矛先がこちらに向けられるのが怖くて、俯いてやり過ごす自分が卑怯で情けなくて苦しかった。
自分の卑怯さが苦しい。私の言葉を夫がまともに取り合ってくれないのも苦しい。
夫は、自分の知らない知識を私がもっていることが許せないし、信じない。
今でこそインフルエンザが法定伝染病で、拡散を防ぐために無用の外出を控えなければならないというのは常識であり、ガイドラインも整っているが、それが『一般常識』となる前はどんなに説明しても「そんな筈はない、そんな話は聞いたことがない」とはねのけた。
けれどその知識が広く知れ渡ると、さも自分が先に知っていたかのように振る舞い、私をさんざん否定したことなど無かったことにしてしまう。
その夫は、私が病気で寝込むことも、寝込んで仕事を休むことも気に入らない人だった。
高熱を出していても、回転性のめまいで歩くのがおぼつかなくても、休みたいというと夫は怒り出す。自己管理が悪いだの怠け者だのと罵倒されて家を出る。病気で身体がきつい以上に、心を抉る言葉を浴びせ続けられることのほうが辛かった。
とはいえ、そんなフラフラの体で出社したところで、上司やリーダーからは「ちゃんと寝て治してから出ておいで」と帰される。結局、そのまま病院へ行き薬をもらうと、病院の待合室の隅や人気の少ないベンチで壁にもたれてうずくまり、主人が出かける時間までの時間をつぶした。
どこにも、居場所がなかった。
風邪をひかないようにと気をつけてはいた。なのに身体はいろいろと不調を訴える。
「自律神経でしょう」と、そのたびに、医師からは告げられた。
きちんと、病気として数字が出ないと、夫からまた詰られる。「自律神経の不調」だとまた、怠け者だと怒られる。
けれどそれは今にして思えば、どれもこれも心が上げた悲鳴だったのだ。
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