55歳で人生逆転!貧乏ホテルフロントマンから脱出!

次話: ネットビジネスで挫折の連続

僕の人生を振り返ってみると2008年から8年間は、どん底でした。

僕は、フランスに本社を持つ輸入雑貨のブランドの代理店に若い頃勤めていました。

当時は、バブル景気で、何をしても、どんなことでも、うまく回ってしまう、そんな時代でした。当時、そのブランドの時計宝飾部門にいたのですが、何10万円もする高級腕時計が飛ぶように売れていきました。

営業の仕事でしたから、成績は、常にトップクラス。給料もボーナスも同世代に比べると圧倒的に多かったと記憶しています。

しかし、結婚をして、家庭を持ち、毎日疲れて家に帰ってくるそんな生活に、嫌気がさして自分で稼ぎ独立したいと強く思うようになったのです。

僕は、会社員になる前に、横浜にあるレストランでフレンチの修行をしていたのです。5年間も修行していたので、その道では、横浜の若手のコックとしてそこそこ名前が売れていたのです。

ですから、飲食業に挑戦しようと思いました。

夫婦二人でできるビジネスを探し始めたのです。

その結果、奥さんから


ペンションを経営したい


と思いを打ち明けられ、僕もその話に乗って、ペンションに人生を賭けてみようと決意しました。

ペンションは、清里という山梨県の観光地で、中古の物件を見つけました。

バブル景気が終わったばかりの頃で、新築のペンションは、資金的に難しかったのです。

1992年にペンションを開業。

最初の頃は、景気が悪いと言っても経営は、順調そのものでした。今でも不思議なのですfが、近隣のペンションに比べるとお客様の稼働率はとても高く、いやらしい話ですが、お客様がチェックアウトする朝には、嫌でも毎日現金が手元に入ってきたのです。


子供達も成長するにつれて、ペンションの仕事を手伝ってくれるようになり、とても充実した毎日を送っていたのを今でも懐かしく思い出されます。

清里のペンションは、オンシーズンとオフシーズンの差がはっきりしていて、オンシーズンに稼いだお金をオフシーズンで補填するような過ごし方でした。

息子がスキーが大好きで、地元のスキークラブに入っていたので、僕たち夫婦も自然とスキーにのめり込んで行ったのです。

オフシーズンは、スキー場に100日もいる、そんな楽しい生活でした。当然、スキーの技術も上達し、気がつけば、上級者になっていたほどです。

しかし、そんなある日、人生最大の危機に襲われます。

2008年のお正月に、いつもと同じようにスキーを楽しんでいた時、不覚にも大転倒してしまったのです。

右膝複雑骨折、全治6ヶ月。

医師の診断では、ペンションの仕事に復帰するまでには、1年はかかる、というものでした。

これは、当時の僕にとって、「死」を意味していたんです。

自営業ですから、仕事ができないということは、収入が途絶えるということになります。僕は、病院におベッドで少し先のことを考えると涙が止まりませんでした。

病院のベッドにいても、銀行からは、返済の督促が来ます。

怪我が治るまでは、返済を猶予して欲しいと何度もお願いしましたが、受け入れられず、仕方がないので、弁護士さんにお願いして、債務整理をしてもらったのです。

この結果、ペンションは、売却。

そう、我が家を失ってしまったのです。

6ヶ月経って退院。

しかし、今度は、心労が重なってしまい、うつ病を発症。

ようやく外科病院を退院したのに、今度は、精神科に入院です。

死のうって、思いましたね。

僕が死ねば、とりあえず死亡保険金が奥さんの元に残ります。

しかし、死ぬ勇気もなくて、死に切れず、全てを失い、うつ病で苦しむ。

本当に辛かったです。

しかし、家族だけは、そばにいてくれたので、自分にできる仕事を見つけて、働けるまでに回復しました。

最初は、時給800円でパン屋さんに勤めましたが、毎日働く時間は、5時間ほど。

これじゃ、生活が成り立ちません。

奥さんが頑張ってくれていたので、なんとか食いつなぐことはできましたが、パン屋さんは、稼げないという理由で半年で辞めました。

そして、いくつか職を転々とした後に、近隣のホテルのフロントの仕事を見つけることができたのです。

このホテルの仕事も最初は、時給800円から、だったのですが、ありがたいことに労働時間が長かったので、満足と言えないものの、ようやく生活が安定してきたのです。


しかし、いただく給料は、いい時で手取り15万円。

仕事は、別に嫌ではありませんでしたが、現状に対する圧倒的な不満と将来に対する大きな大きな不安感から、自宅でできるビジネスは、ないのか?と探し始めました。


ネットで探したところ、

ネットビジネス、アフィリエイトという言葉が目に飛び込んできたのです。

自宅にいながらできるビジネス。

これなら、僕にもできるだろう、と瞬間的に思ったのです。

胡散臭い言葉が並んでいましたが、実際に稼いでいる人がいるということも知りました。

よし、これに賭けようと、根拠はないけど自分には、できると勝手に思い込んで、ネットビジネスをスタートさせたのです。」

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ネットビジネスで挫折の連続

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