突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。
翌日、Kさんのお兄さん家族が合流して、通夜のために葬儀場へ向かった。
一番しんどかったのは、家から葬儀場まで出るときのことだった。親族の皆で、Kさんを棺に運び入れ、葬儀場まで送る。その時に、嗚咽が止まらない発作のような哀しみが押し寄せてきた。
母親含め、周りの親族が静かにKさんを見送ろうとしている中、自分だけ号泣するのは恥ずかしいことのように思えた。でも、だめだった。嗚咽を止めることができなかった。
だって、このまま棺に入ってしまったら、Kさんの身体は、同じかたちのままで永遠に家に帰ってくることができないのだ。次に帰ってきた時には、Kさんは灰になっているのだ。そんなことは、あんまりだ。あってはいけないことなんだ。僕はハンカチを千切れるくらい噛み締めて泣いた。
通夜は滞りなく進み、葬儀の日。
早朝から、Kさんのお母さんがやってきた。Kさんのお母さんは高齢のため、認知症が進んでいて、きちんと状況が把握できないかもしれないということで、葬儀の当日になって、事実を知らされたのだった。
「かわいそうに。K。まだ若いのになぁ。お母さんより先に逝ってしまって。なぁ。かわいそうになぁ。親不孝や。あんまりや。なんでこんなことになってしまったんや。なぁ。かわいそうに。K……」
お母さんは棺にしがみ付きながら、何度もKさんの名前を呼んだ。なんでこんなことになってしまったんだろう。この時、初めて僕は事故を起こした相手のことを考えた。Kさんは、運転している車を真横からぶつけられたのだ。
事故の相手はいったい、今どうしているのだ?
葬儀は粛々と進んだ。僕と妹はずっと、消耗し切った母親の近くにいた。離婚した母親。戸籍上は他人になっている。しかし、母親は母親だ。僕たちは、Kさんも含めて、戸籍を超えた家族なのである。
葬儀の当日のことは、記憶が曖昧で詳しく覚えていない。覚えているのは、祭壇に置かれた棺の前で立ち尽くし、背中を震わせながら、目を閉じて必死にKさんの冥福を祈る母親の姿である。
とにかく、涙が止まらず、顔が真っ赤に腫れ上がってしまった。皆が泣いていた。今まで一度も味わったことのない哀しみ。
僕たちが感じていたのは、「今日も元気に生きていたはずの人の命が突然失われてしまった」という、圧倒的な暴力にねじ伏せられた哀しみだ。
それは、身体中の骨に巻きついている生きた肉がゆっくりと削ぎ落とされるような、激しい痛みを伴う哀しみだった。
葬儀の終わりに、棺の中で横たわるKさんに、皆で花を手向けた。「ゆっくり休んでね、Kくん。痛かったよね、ゆっくり休んでね」母親が繰り返す声が聞こえた。涙で前が見えなかった。
▼火葬場
Kさんの骨は、とても頑丈でしっかりしていた。
皆で、Kさんの骨を拾う。
不思議と、葬式の会場で感じていたような哀しみは消えていた。
骨を拾う場所は、天窓になっていて、天井からは太陽の光が差し込んでいた。
「Kくん、なんだか解放されたみたいに思える」
と、母親がつぶやくように言う。
とても不思議だけれど、僕もその時、確かにそうだ、と思った。
身体を失くしたKさんは、傷んだ身体があったときよりも、なんだか自由になったみたいだった。
火葬も終わり、骨になったKさんを連れて、親族の皆で家に戻った。
そして、夜。
Kさんのお兄さんがお酒やお寿司を大量に注文して、皆で食卓に座った。
「Kのことを、尾鷲のやり方で見送ってやりたいから、どうか付き合ってくれるかな?」
どうやら、Kさんの故郷である尾鷲では、葬式の最後に皆でお酒を飲んでご馳走を食べ、故人の思い出話をしながらワイワイと騒ぐのが習わしのようだった。
皆で、Kさんの話をしながらお酒を飲んだ。
葬式のときの、重く暗い雰囲気が一変して、とても楽しい時間が流れた。
皆が笑顔だった。
時折激しく押し寄せる哀しみも、皆で涙を流しながら、笑って見送った。
母親も、このときは笑顔が出ていた。
Kさんのお母さんも、元気に冗談を言うようになっていた。
どんなに哀しいことがあっても、人はきちんと、笑うことができるのだ。
ふと、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の「21g」という映画を思い出した。
人生は続くのだ。
どんなことがあっても。
▼事故後の警察とのやりとり
哀しみに暮れた後、今度は現実的なことを処理していかなくてはならなかった。
まず、警察の調査が始まった。
僕と母親と、Kさんのお兄さんの3人で、警察に向かった。
状況を見ると、ほぼ10対0で、相手側に過失がある可能性が高いということだった。
相手側は、軽い打撲で済んでいて、様子を見て出頭をしてもらうことになっている。
しかし、しっかりと調べなくては、完全な結論を出すことはできないとのこと。
調査の結果が出るまでに、少なくとも2~3ヶ月はかかると聞かされた。
警察に引き取られている事故後の車も、見せてもらった。
車の前面の、側面に大きな損傷が見られた。
Kさんの車は優先道路を直進していて、左横から突っ込まれた状態だった。
左側からの衝撃で、Kさんの車はそのまま右側にあるガードレールと電柱に激突し、Kさんは右側頭部を右側のガラスに思い切りぶつけ、これが致命傷となってしまった。
正面衝突ではない場合、側面への激突はエアバッグも意味を成さないのだった。
相手側は、正面から突っ込んだので、エアバッグが効いて無事だったのだろう。
警察からの帰り道、事故現場を見に行った。
とても見晴らしの良い道で、人通りもなく、あたり一面は田んぼだ。遮るものは何もなかった。
Kさんは、優先道路を走っているので、左から来た車が止まるものと考えて走っていたのだろう。
しかし、相手側の車は、なぜか右から走ってくるKさんの車にそのまま突っ込んだのだ。
事故現場に花を置くと、周りの人たちの心象にも影響があるだろうと考えて、献花からちぎった花びらと、持ってきたお酒をぱらぱらと撒いた。
▼賠償に関する対応
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
著者の狭井 悠(村田悠)さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます