突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。
しかし、Kさんの死は、僕にはっきりとした真実を突きつけたのである。
人生は有限であり、次の瞬間にはなくなってしまうかもしれないものだ、と。
僕はもう、「できることはなんでもやる」人生から離れ、「これしかできないことをやる」人生に切り替えなくてはならない。
▼私信
そして僕は、2016年の夏に髄膜炎になり、入院することになる。
さまざまな要因はあったと思う。長時間労働や、精神的な疲労。しかし、その頃には、もうこれ以上は保留できないほどに、僕の心の中のわだかまりは大きくなっていた。僕は自分の使命に従って生きるほかない、と心に決めた。
僕は会社を辞め、東京を離れ、母と祖母が暮らす故郷の町で、文章を書いて生きていくことを決意する。
そのときの私信は、
【「やれることはなんでもやる」人生から、「これしかできないことをやる」人生に切り替えてみた。】
に記しているので、そちらを読んでいただきたい。
2016年に僕の人生に起こった、この巨大な変化は、避けがたいものがあった。
ある意味では、これは定められていた運命だったのかもしれない。
人生にはときに、逃れられない致命的な変化が起こる。
そのときはもう、それまでに培ってきた倫理観や道徳観は、すべて通用しない。
ただひとつだけ信じられることは、「どうすれば生き残っていけるか」という、自らの研ぎ澄まされた本能の声だけだ。
僕ははっきりと、「お前が生き残りたいなら、文章を書くしかない」と、本能から伝えられたと悟った。
そして、二〇一六年十二月二十八日。
僕は今、こうして文章を書いている。
まだ僕は、生き残っている。
だからこそ、僕はこの誰も知り得ない「さよなら」の話を、きちんと文章にするべきだと思った。
これは、誰にもできない、今の僕にしかできない仕事だと思ったからだ。
この文章は、「これ以上残酷な出来事がどこかで起こることを止めたい」という僕の祈りそのものであり、Kさんの鎮魂のための文章でもある。
もちろん、実際にすべての交通事故を、この文章で止めることは不可能だろう。
事故というものは決して、意図して起こるものではない。
ある瞬間、ふとした気の緩みで、起こってしまうものだ。
しかしそれでも、こうして僕の身の回りの大切な人たちに起こった「さよなら」の出来事と、僕自身が感じた素直な想いを書き記すことで、この文章を読んだ人たちがこれからハンドルを握るとき、ほんの少しでも気を引き締めたり、ほんの少しでも車の速度を落としたり、ほんの少しでも左右を確認するようになれば、それで良いのだと思っている。
冒頭にも記したように、車を運転するときには、この文章のことをぜひ思い出していただきたい。
きっと、いつもよりも少しだけ、安全に帰ろうかな、と思ってもらえると信じているから。
▼運命というものがあるならば
僕の母親が聞かせてくれたふたつの話がある。
ひとつ目は、母親の見た夢の話だ。
この夢は、母親が父親と離婚して、一人暮らしをしている頃に見た夢だという。
夢の中で、母親は知らない土地の海沿いの道を、誰かと一緒にドライブしている。
そして、道の側にある、小さなアクセサリーショップに立ち寄る。
アクセサリーショップには、色とりどりの可愛らしいアクセサリーが並んでいる。
そのうちのひとつのイヤリングが気に入って、母親はそれを手にして、誰かに見せる。
そこには、顔の見えない男の人が立っている。
顔がないけれど、その男の人が優しく笑っているのがわかる。
そんな夢だった。
その後、母親はKさんと出会い、ある日、伊勢志摩に出かけることになった。
海沿いの道をドライブし、二人はアクセサリーショップに入った。
色とりどりの可愛らしいアクセサリー。そこに見覚えのあるイヤリングがあった。
ふと手にして、これ可愛いね、と言って、Kさんの方を振り返った瞬間、「あっ」と思った。
そこには、夢の中の顔の見えない男の人とまったく同じように、笑顔でこちらを見ているKさんがいた。
もうひとつは、母親が小さい頃の話だ。
母親の実家は名古屋にあって、初詣はいつも熱田神宮に行っていた。
熱田神宮には、尾の長い鶏が放し飼いになっていて、境内の中を自由に歩き回っている。
ある年の初詣で、母親が境内を歩いていると、鶏の尾を引っ張って、遊んでいる小さな男の子がいた。
あんなことしたら鶏がかわいそうなのに、と思いながら、母親はその光景を見送った。
Kさんと暮らしていたある日、熱田神宮の話になって、母親はKさんにそのエピソードを話した。
するとKさんは、「俺も小さい頃は、熱田神宮に毎年お参りに行ってたで。そういえば、鶏の尾っぽを引っ張ってよく遊んでたな。もしかしたら、それ、俺やったかもしれんな」と話したという。
運命というものがあるならば、母親とKさんはきっと、出会うべくして出会った二人なんだと思う。
そして、「さよなら」が訪れることもまた、ある意味では運命だったのかもしれない。
最近、元気になってきた母親が話してくれた。
「Kくんが会社にいく朝、なんだか嫌な予感がしたんさ。つい前日にも、危ない運転をしている車がいたと話していたから。きっと、あの日に事故を起こした人と、同じ人をKくんはすでに見ていたんやと思う。なんであの日、会社に出て行くKくんに、気をつけてね、と一言声をかけられやんかったのかって、ずっと後悔してた。
でもね、最近は、そんな風に考えることは、おこがましいことやってわかったんさ。きっと、あれは起こるべくして起こったことだった。私がどうこうできることではなかったって。だって、人ひとりが運命を変えられるんだったら、この世界には哀しいことなんて、ひとつも起きるはずはないもの。だから、今は受け入れることにしてる。それに、事故を起こした人にたいしては、何の感情もない。その人が今、どうやって生きていたってかまわない。どちらにしろ、Kくんは戻ってこないんやからね。私はそれを受け入れて生きる。仕方のないことやった。そう思って、一日一日を、大切に生きていこうと思うよ」
▼最後に
現在、母親は自分を取り戻しながら、静かに暮らしている。
賠償に関するやりとりは、弁護士さんの尽力もあって、無事にすべて終了した。
僕は、駆け出しのフリーランスライターで、まだまだ仕事も少ないものの、以前勤めていた会社の先輩からいくつかのお仕事をもらいながら、なんとか文章を書いて生きている。今年の初めにくらべれば、少しは自分の使命に正直に、生きることができているのではないかと思う。この文章を無事に残すことができたことを、空の上にいるKさんに喜んでもらえれば、それがいちばんだと思っている。
最後に。
僕が激しく胸を打たれた、ある出来事について記しておきたい。
Kさんが亡くなり、葬式が終わった後、僕は祖母の部屋で寝泊まりしていた。
祖母はいつも朝6時半には起きて、仏壇にお参りをしている。
その日、僕は初めて、布団に入ったまま、祖母のお参りの声を聞いた。
そこで、僕は驚いた。
祖母は、般若心経を唱えた後、母親の名前、僕の名前、僕の妹の名前、僕たちの父親の名前、親戚一同、関わるすべての人に対しての感謝の気持ちと、日々の無事を願う祈りの言葉を唱えていたのだった。
そして、すべてを唱え終わった後、祖母はぽつりと言った。
「Kさんのことも、一生懸命祈っていましたが、だめでしたね。でも、どうか皆が幸せに過ごすことができるよう、お守りください。お願いします。お願いします」
僕は布団の中で、溢れてくる涙をぬぐった。
生きなければならない。
自分の使命を、果たさなければならない。
これだけの祈りを毎日もらっている自分の命を、粗末にすることはできない。
だからこそ、祈りを込めて、僕はこの文章を贈る。
この文章を読んだ人が、交通事故でひどい目にあったりしないように。
あるいは、誰かを交通事故でひどい目にあわせたりしないように。
たとえ、明日事故に遭うことを何らかの存在に決められかけている人がいたとしても、僕がこの文章で、その宿命を祓う。それくらいの覚悟で、僕はこの文章を贈る。だから、読んだ人は車を運転するとき、頭の片隅でこの話を思い出してほしい。
あなたが無事に、家に帰ることができるように。
家族と変わらぬ日常を送ることができるように。
食卓で温かいご飯を食べることができるように。
突然の望まない「さよなら」から、
あなたを守ることができるように。
村田悠(Haruka Murata)
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