「反知性主義」は「反知性」ではないという話

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (森本あんり著)を読む。 

「反知性主義」とは、もともとは王侯貴族などの既得権益を保持する社会階層が存在しなかった独立期前後のアメリカにおいて、ケンブリッジやオックスフォードなどの旧世界の大学学位を持つ一部の人々が政治・宗教的な権力と結託して、一般市民の生活に介入を図ろうとするような力(あるいは「知性」)の行使に対するアンチテーゼとして形成されたと本書は分析する。

その点においては「反知性主義」とは、独立精神旺盛な新世界において「健全な常識」を保持した一般市民による自己統治をめざすものであり、民主主義的な運動としての意味合いを包含する。

すべての人間は生まれながらに平等で、適切な判断を下す能力が備わっており、インテリであろうとそうでなかろうとその判断に優劣はない。そして、その判断のよりどころとしての聖書の存在。

批判されるべきは「知性」そのものではなく、「権力」と結びついた「知性」が市民生活への介入を図ることであったという。

このような考え方が、長い間アメリカの(プロテスタンティズムに支えられた)民主主義を支える原動力となってきた。

それが、いつしか偏狭なナショナリズムや宗教的原理主義と結びつき、他者からの批判や対話を受け入れない硬直した思考様式に変容していった。

大戦直後に猖獗したマッカーシズムやトランプ氏が開陳する言説?などもこの変質した「反知性主義」の系譜に連なるものだと言えるだろうか?

かつての市民の「健全な常識」を担保する底板であったキリスト教的倫理観が衰微の一途をたどる現在、市民の「健全な常識」を担保するのは、やはり「知性」だろうと思う。

そして、「知性」とは、もちろん知識の多寡ではなくて、自身の思考様式、さらには自己存在そのものに対する疑念を抱いているか、自己更新の可能性が拓かれているかどうか、ということだろうと思う。

自戒を込めて新年に考える。

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