おかえり、天才
彼が日本に帰ってくる。
2012年11月24日(土)J1第33節サンフレッチェ広島vsセレッソ大阪戦で初優勝をしたとき、わたしは広島ビッグアーチにいた。
小雨が降るなか、試合終了直後にフィールドの上で歓喜の輪ができる。
ただひとりだけ、離れた場所にいる紫の戦士がいた。
2011年3月11日の東日本大震災で被災した彼の故郷、福島県いわき市。
祖母は津波に拐われ、戻らぬまま。
計り知れない悲しみだろうと想像する。
2011年の彼と、2012年の彼を見ていればわかる。
抜群のボールフィーリングで、観る者を魅了するハイセンスなパスを幾度となくくり出し、誰の目から見ても優れたプレーヤーであることは明らかだった。
それでも、2011年の彼はどこかで諦めているような、止めている雰囲気が全身から漂う。
フィールドの上をのらりくらりと歩き、心ここに在らず、プレーに安定感がない。
ミスをしてボールデッドしても、取り返しには行かない。
良い選手なのに、何かを止めている。
諦めている。もったいない。
そんな言葉がまわりからもよく聞こえていた。
心技体の“心”が欠けているように見えた2011年のシーズンが終わり、翌2012年のフィールドには、まるで別人のような、覚醒した彼がいた。
ボールを追いかけて誰よりも走り回る。
仲間に対して「俺に預けろ!」と言わんばかりにボールを要求する。
ボールを扱う足さばきが繊細で優しさに溢れているのに、逞しさ力強さも兼ね備えている。
夢中で“何か”を追いかけている。
そして、勝利を積み重ねたサンフレッチェ広島は、見事に初優勝を手にした。
彼はひとりだけ歓喜の輪から離れ、フィールドの上で佇み、手を握り合わせて、“東の方”に向かって祈りを捧げていた。
あれから5年。
そのときわたしは、遠く離れたスタンドから見ていたが、彼のその姿は、昨日のことのように今でも鮮明に覚えている。
髙萩洋次郎。
おかえり、天才。
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