高卒でライン工をしていた僕が上京して起業する話-No.2

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そうだ、東京へ行こう


そう決心したのは工場のライン工として働き始めて、半年程経った11月のことだ。東京には中学の頃に修学旅行で一回行っただけなので、向こうには当然友達がいない。


12月の末にボーナスを貰って辞めた僕は、3ヶ月間、失業給付金を貰いながら一体東京で何をしようか考えていた。京都や大阪なら大学に行った友達がたくさんいるため、何とかなりそうだと思ったりもしたが、今までの人生をリセットしたいと強く考えていた。


「何のために生まれて、何をして生きるのか」


東京に行ったら、全く見知らぬ土地と人達の中で、日常を過ごすことになる。


この歳になるまで将来のことを全く考えて来なかった自分にとって、東京での生活は全く想像が出来なかった。


不安は波のように押し寄せるが、同時にとてもワクワクした。


感情の起伏がない暗い日常に、光が差し込んだような感覚だった。


そんな時、小・中学校と同じだったY君と駅でたまたま会った。
Y君は中学の途中から不登校になり、理由は今でも知らないが、暴力事件を起こしたという噂がある。頭は良く真面目だったのでヤンキーというよりは優等生でキレたら何をするかわからない、というタイプだった。


小学校時代は仲が良かったため、後日近くの公園で近況を話し合った。


高校時代の話、工場に就職して地獄のような毎日から最近退職したことなど、自分の話しが終わった後、Y君の話しを聞いた。


Y君は違う中学校を卒業した後、大阪のミナミでホストをしていたらしい。19歳のピュアな僕にとっては、異世界のような話しを色々と聞いた後、彼は言った。


「東京の○○大学に行くから上京するんやけど、一緒に来てみぃひん?」


僕は二つ返事で「行く!」と答えた。


実は東京に行こうと考えていたものの、家を借りるには仕事が必要で、仕事するには家が必要という問題をどう解決したら良いかわからなかったからだ。


Y君は既に東京に部屋を借りていたようで、ロフトが余っているからそこに住めばいいのではと、提案をしてくれた。今まで母親と1K暮らしで、寝る時はリビングに布団を引き、母親と隣で寝ていた僕にとっては、どんな場所であろうと愚痴をこぼさず生活できる自信があった。


「東京に上京してY君の部屋に住む」と母親に話した時はひどく驚いたようだったが、「東京に行って貯金が出来たら仕送りするから」と約束して、僕は3月末に東京に上京することになった。


上京する当日、僕は大好きなミスチルの「星になれたら」を聞きながら、Y君が住む八王子へと向かった。持ち物は携帯電話と数着の服、50万円貯金したキャッシュカード。


「一体これからどんな毎日が待っているのだろう」


この時の高揚感は未だに忘れられない。
失うものがない僕にとっては何もかもが希望に満ち溢れていた。


まさか数年後に起業を決意するなんて、この時は想像もつかなかった。


胸を高鳴らせながら、僕の東京生活は始まった。



ビラ配りのバイト開始



何の資格やスキルを持たない僕は、駅に置いてあったタウンワークを持って帰り、近場で時給が良いバイトを探し始めた。僕がもともと住んでた地域では時給700円が相場だったので、まず時給の高さに驚いた。


その中にあった、コンタクトレンズのビラ配りの求人は時給が1000円と書いてあった。役に立つ知識は身につけられなさそうだが、パソコンの勉強でもしながらバイトしようと考えていたため、電話を掛けた。


電話に出た方の対応はとても親切で、数日後に面接をすることになった。


当日、初めての街で迷いながら、なんとかビルの上層階にあるお店に到着し、面接がスタートした。


面接員は一人だけだったが、その人(以後、Iさん)は高そうなスーツを纏い、耳にはピアス痕がいくつかあり、顔が千鳥の大吾のような強面だった。


後に僕の人生を大きく変えるキッカケとなった人だ。


Iさんは、複数人いるチラシ配りのリーダー的な存在で、チラシ配りだけでなく、併設されている眼科のPOPやチラシ、ホームページなども作成していた。


「ミスったなぁ...」と思いながらも、引くに引けない状態となってしまい、翌週から働くことになった。


4,5人いる他のスタッフや、眼科の受付のお姉さん方はとても優しく接してくれて、東京を全く知らない僕に、標準語の話し方や観光地など色々と教えてくれたりした。


Iさんも、最初は物凄く怖かったものの、無垢な僕を気に入ってくれたのか、仕事終わりに常連のお店に連れて行ってくれて、お酒の飲み方、女の子の口説き方、仕事のやり方など色々と教えてくれた。


もともと内向的な性格だったが、家から歩いて居酒屋に行けたり、電車が10分おきに走っていたりと、今までの環境とあまりにも違ったため、外出する機会が増え、見知らぬ人達と話す中で、いつの間にか外向的な性格になっていた。(チラシ配りで通行人に断られ続けたせいかもしれないが)


それまで付き合った女の子はたったの一人だけだったが、知らない大学の新歓にこっそり参加して彼女を作ったり、行きつけの居酒屋の店員さんを口説いたり、知らない街でY君とナンパしたりと、調子に乗りまくっていた。


僕はY君が住む1Kの2階のロフト部分に住んでいたが、お互い彼女を部屋に入れて、飲み終わった後はロフトに登り、お互い気にせず夜の営みを行っていた。Y君は毎回違う女の子を部屋に連れて来るため、僕が一人ロフトに追いやられる機会が多かったが...。


オレンジデイズのような、甘酸っぱい青春ライフではなかったものの、工場時代に比べれば天と地の差のように感じた。チラシ配りのバイトは楽しいと言えるものではなかったが、終わってからの飲み会や、休日に遊びに行ったりと、東京を全力で楽しんでいた。


ただ遊んでばっかりという訳ではなく、勉強は怠らなかった。パソコンを中心に英語や簿記の勉強をして何らかの資格を取り、転職して正社員になろうと考えていたからだ。大学に侵入していた時も、授業に出て教授の話しをちゃんとノートにメモっていた。


「何をやりたいか」を考えても、別にやりたいことなんてない。それでもスーツを来て、デスクワークを行う「ホワイトカラー」の仕事に就きたいと考えていた。ライン工の仕事は誰がやっても同じで替わりが効いてしまうが、「ホワイトカラー」の仕事は誰かに必要とされ、頼られて、唯一無二の存在になれると思っていたからだ。


新橋でサラリーマンがインタビューを受けている映像に、何故か強い憧れを持つようになっていた。



憧れのデスクワークで働くことに


「この中でパソコンできる人いる?」
バイトを始めて9ヶ月経ったある日、突然Iさんはチラシ配りのスタッフに声を掛けた。


理由を聞けば、新しくネット通販事業を開始するにあたり、Excelが出来る事務員が必要になったからだ。


Excelは小学校時代に少し触っただけで、関数とかは全くわからない。


しかし、このチャンスを逃す訳にはいかないと思い、僕は名乗り出た。


ネット事業部は2人しかおらず、店長が実店舗とネットの経理周りの業務を行い、Iさんがネット通販の開業に際してのショッピングモールへの出展や、注文が発生した際の受発注管理を行うという予定だった。


「家にはパソコンがあって、Excelはある程度使いこなせる」と嘘をついて立候補してしまったが、後から頑張って覚えればいいと楽観的に考えていた。


パソコンと机が置いてある事務室に初めて入り、Iさんに一通りの作業を教えて貰った後、「できそうか?」と聞かれて二つ返事で「はい!」と答えた。


その時、定年間近の店長が「家のパソコンのOSは?」と聞いてきた。


オーエス、そんな言葉生まれて初めて聞いたが、エスは何らかのシステムって略だと察し、「このパソコンと同じです!」という100点満点の回答をした。


この回答をミスり、チラシ配りを続けることになっていたら、IT業界で起業しようとは思わなかっただろう。そう考えると今でもゾッとする。


無事、ネット事業部として採用され、雇用形態はアルバイトのままだったが、楽しい日々の連続だった。最初こそ、注文があったら販売店にFAXして、顧客に発送メールを送り、Excelで売上の集計を取るといったシンプルな仕事だったが、人数が少ないため、色々と業務範囲が増えた。


Iさんも相当忙しい毎日だったので、業務に必要なこと以外はあまり教えて貰えなかった。自宅にはパソコンがないため、キーボードの配置をノートに書き写し、家に帰ってはタイピングの練習をしていた。Excelの勉強をし、今後バナー作成とかで必要になりそうなPhotoshop・Illustrator、ホームページ作成に必要なHTML・CSSなどの参考書を買い漁って、ひたすら勉強をした。


業務範囲は増えたものの、暇な時間が出来ると外に出てチラシを配ったりしていたが、次第に忙しくなり、一日中パソコンを前に仕事をするようになった。頻繁に事務所に出入りするため、スーツを来て出勤するようになり、雇用形態もアルバイトから正社員へと昇格してもらえることになった。


あっという間に憧れていた「スーツを着てデスクワークをする」という日々を過ごすことになり、仕事が終わってからは、店内のポップや通販用の商品画像を作成して、Iさんにダメ出ししてもらったりしていた。


この頃から部署は3人から6人に増えていた。


工場の頃は時計ばかり見て、早く終われと作業をしていたが、今では時間の経過が惜しいくらいだった。もっともっと勉強したいと思っていた。


チラシ配りを始めてから9ヶ月後にネット事業部に移動し、それから半年が経過した頃、中古のwindows98のノートパソコンを購入した。


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