そろばんのおばあちゃん先生

小学生の頃そろばんを習っていた。

近所のおばあちゃんが自宅の2階で子供たちに教えてくれる小さな塾だった。

小学校高学年の間、週に2回ほど同じマンションの友達たちと通っていた。

中学に上がってからは通うのが難しくなり、近々で開催される進級試験を最後に辞めることにした。

チャレンジするのは1級である。

その時の実力ではギリギリ受かるか難しいところだった。

まぁ受けて受かったらラッキー、受からなくても仕方ない。でも受けるからには受かりたい。

そんな気持ちで当日試験会場へ向かった。

そろばんの試験は足し算引き算を行うみとり算、かけ算、わり算、伝票算、暗算の5種類で行われる。

大体自分が何点取れるのか計算しながら試験を行うのだが、自分の計算上でも最後の暗算が勝負だなと思うくらいぎりぎりの点数を取っていた。

そのときそろばんのおばあちゃん先生が動いた。

私が次に受けるはずの暗算の試験用紙を持ち出して、一生懸命に問題を解いているようなのだ。

私はまだその理由が分からなかったので目の前の見取り算に集中した。

そして問題の暗算が来た。

問題を配るおばあちゃん先生が、問題用紙と解答用紙の他に、普段は見かけない殴り書きをした用紙を私に渡した。

よく見ると最後の暗算問題の回答だった。

見たこともないような雑な字で数字が細かく記されている。

おばあちゃん先生の焦りが伝わってくるようだ。

これから私が解くはずの回答だった。

自分で解いても回答率は限りなく低いだろう。

おばあちゃん先生が急いで解いた暗算だとはいえ、先生は先生であるし、回答は正解と考えるべきだろう。

私は子供ながらに必死に考えた。

ここでおばあちゃん先生が親切で渡してくれた解答を見ながら解答用紙に書き込むのか。

それで1級を手に入れて、今後の人生の履歴書の資格欄を埋めていくのか。

それとも自分の力だけで、受かるか受からないかギリギリの試験をやり遂げようとするのか。

そして私は選んだ。

おばあちゃん先生が渡してくれた用紙を裏返した。

投げやりになったわけではない、ましては自分の力に溺れたわけでもない。

ただ悔しくてどうしようもなかった。

私がこの試験を1人で乗り切ることができないと、おばあちゃん先生がもう諦めてしまったことに。

私がそのことに気付いてひどく落胆し、気持ちがすーっと沈んでいったことに。

目の前の暗算試験を一生懸命にやろう。受かっても受からなくても。

そしてそろばんをするのはこの日を最後にしよう。短い時間で決めた。

暗算の試験中、おばあちゃん先生は何度も私を見て、カンニングペーパーを使うよう促してきた。

私は小さく首を横に振った。

本当に可愛がってもらっていたし、親切でやってくれたことだと分かっていた。

けれど中学に入ったばかりではある私のプライドは、もう十分に傷ついていたのだ。

これ以上いじらないでほしかった。

2週間ほど後に結果を聞きにそろばん教室へ行った私へ、おばあちゃん先生は静かに「受かっていかなったよ」と呟いた。

「そう思っていました。今までありがとうございました。」

私はそう返答し教室を後にしました。

それ以来おばあちゃん先生に会ったことはありません。

同情ではなく親切心で行ってくれたお節介のせいで、私のプライドが傷ついたと分かっていたのでしょうか。

気づかないふりをしていたのでしょうか。

最後はとてもとても後味の悪い別れになってしまったことは悲しいです。

それ以来私は自分より年下の相手と接する際に敬語を使ったり、相手を敬う気持ちを忘れないように気を付けて生きています。

自分たちが思っているより子供たちは自我があります。

プライドもあるのです。

どうかまだ小さなプライドを傷つけないであげてください。

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