『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第6章「グッズを作成したり、HPを開設したり、多方面に活動してみる」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第5章「初個展を開催して知ったこと」
次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第7章「ブランクの時には」

その1「初めてのオリジナルグッズ」

前年開催した個展を見に来て下さった、
荒川ふるさと文化館の学芸員さんから
「企画展のチラシを描きませんか」と言う依頼を頂きました。
それは念願だった、絵具を用いたカラー作品のお仕事でした。
「やった、念ずれば通じるんだ」と思ったのも束の間
イラストのテーマは「空飛ぶもんじゃ焼き」を描く…でした。

…もんじゃ?
それはカラーで描くには、あまりにも難しい題材。
しかもなぜ空を飛ぶのか…それはかなり無理があるな。
なので担当の方と散々知恵を出し合った結果
「焼く前の、具が色鮮やかな、もんじゃ」を描くことに落ち着きました。

更にこの企画展は「懐かしの下町文化」という
テーマでもあったので、担当した学芸員さんに案内されて
日暮里~谷根千界隈などの下町を、取材して歩いた事も
楽しい思い出になりました。
その上、嬉しい事に「文化館のピンバッチを作りましょう」という
事になり、初めてのオリジナルグッズを手がける事になりました。
デザインは「こま犬と少年」。
出来上がったバッチは企画展のイベントに参加してくれた人に
記念品として差し上げたり、館内の職員さんが
名札と共に付けたりしました。

初めてバッチを手にした時の嬉しさは、ひとしおでした。
オリジナルグッズっていい物だな。
自分の作品が形になって使われるって、すごく嬉しいものです。
そんな感覚を味わえる、貴重な仕事になりました。
またこの作業は、出版社などの民間企業ではなく、
初めて役所から依頼を受けた仕事となりました。
クライアントの業種が異なると、仕事の進行の仕方も、
原画の扱い方も、原稿の支払いの方法も、色々な点で
異なります。そう言う事も学べる、良い機会になりました。

その2「世の中が急速にデジタル化に向かう」

個展後、一時は順調に来ていた仕事の波でしたが、
徐々に展示会の興奮も冷め、人々の記憶が
薄れるに連れて、次第に依頼が遠のいていきました。
本当は一度掴んだお仕事や人間関係を、次につなげたり
拡張するような状態が理想的なのですが、なぜか私の場合
単発依頼が多く、なかなか次に繋がりませんでした。

例えば、何度も出版社に足を運んで担当の方々とも親しくなり
あともう一息で仕事が取れるかもと言う段階になると、
その担当さんが退社したり、移動したりして
また「一からやり直し」と言う出来事が重なったりもしました。
仕事を繋げて広げていくのは、本当に難しい。
それに個展を機に、自分の世界観が出せる絵を描き始めたのは
いいけれど、そう言う個性の強い絵は逆に仕事では
使いにくい事が欠点でした。

さすがにこの頃は、新人の時の様に持ち込みをしても
頭ごなしに叱られる事はなくなりましたが、逆に
「絵としては面白いが、うちの(出版物の)タッチではないね」とか
「どう使っていいか良くわからない」という意見を
言われることが多くなっていました。
「私の絵が合う媒体はどこだろう」と、色々営業をして
探し歩いたけれど、それも全て徒労に終わります。
そして恐るべき事に、荒川ふるさと文化館のお仕事が終わった後
1年半もの長期に渡って、仕事が取れない時期が続きました。

それでも屈せず、営業活動は地道に続けていましたが
この頃頻繁に耳にしたのが「データ入稿は出来ますか?」
というものでした。データ入稿って何?
その言葉すら知らないのに、出来るわけがありません。

「わかりません」と伝えると、ある編集者さんはため息交じりに
こう説明してくれました。「うちは今(2001年現在)

イラストの4割ぐらいがデータ入稿なんですよ。

その方が郵送で原画を送っていただくよりも早いですし、

急ぎの時は特にデータ入稿できる方を優先します」と。
なるほど、イラストの作業は締切も結構タイトな場合が多いので
編集側の言いたい事は、良くわかりました。

「データ入稿か。やはりこれから先は、デジタル的な物も
ある程度使えないとダメかもしれない」と
機会に疎い私は漠然とした不安を覚えました。



その3「ホームページ(HP)開設は一日にして成らず」

デジタル時代の訪れはまだ続きます。
世の中はちょうど、パソコンが高価な物から
一般家庭でも入手可能な、廉価な物へと
移行していた時期でした。
人より少し早くパソコンを使用していた私ですが
これから先は、この機械でもっと人々と繋がりを
持つことが可能になるかもしれない、と気付きました。

例えば展示会場を借りずに、常時ネット上で自分の作品を
飾って、観てもらう事が出来るかもしれない。
そこでHP開設に向けて動き出す事に。

自力で一から立ち上げるのは難しかったので、
まずHP制作ソフトを使い、マニュアル本を
読み込みながら作業をし、2001年3月に開設しました。
しかし開設と同時に、周囲からは「HPは立ち上げるのは
簡単だけど、維持(更新)し続けるのが大変だよ」とも
言われたので、当初は不安の方が先に来ていました。

けれど蓋を開けてみると、意外にもこのHPを運営する
と言う作業は、私の性に合っていました。
後にネットを通じて仕事に繋がった作品も、
いくつかありました。
何事もとりあえずやってみないと、わからないものです。

ちなみにHPを立ち上げた感想は
「毎日展覧会をしているみたい」と言うものでした。
仕事が取れず、作品を掲載して貰える機会がなくても、
わざわざ大がかりな展示をして宣伝しなくても、
常時発表できる場が出来た事は、とても張合いがある
嬉しい事でした。

イラストレーターは、ある意味、夢を与える仕事でも
あると思うので、あまりお金の事は言わない方が
いいのかもしれませんが、きちんとしたギャラリーで
展示会をすると、(私の場合)大体いつも40万円前後の
費用がかかります。
内訳は、大半が会場代で、他にも額装代、DM作成や送付代、
その他諸々の経費などです。そうなると個展をしたくても、
そう頻繁には行えません。
しかしHPがあると、そうした料金や手間がかからず、
新作もすぐにUPできるし、国内はじめ、海外にいる
人々にも幅広く活動を見てもらい、宣伝することが出来ます。

イラストの見せ方や営業も、こうして時代と共に
変化していった、ちょうど過渡期でもありました。


著者のかぶらぎ みなこさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第7章「ブランクの時には」

著者のかぶらぎ みなこさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。