姉として妹の夢を叶えたかっただけなのに、給食のおばちゃんからローチョコレート職人へ昇華した妹の話<序章>

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「大きくなったらお菓子屋さんになりたい」


目をキラキラさせてお菓子を食べていた当時3歳の妹の言葉。

私の妹はお遊戯会で2年連続主役(お姫様)をやるほど可愛い妹で、お菓子を食べてる姿なんて本当にお姫様か!と思うくらいだった。


炬燵に入りながら「お菓子屋さんになりたいなぁ」と小さいほっぺたをプックリとリスのようにしてお菓子を頬張っていた食いしん坊の妹。


言った本人は30数年後、この言葉をこれっぽっちも憶えちゃいなかった(笑)

これは私と妹の「甘く」て「苦い」、心と体の隅々に「栄養満点」が届くローチョコレートができるまでの物語。


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3年前、私の妹は新潟・長岡市で「ローチョコレート」を作り始めた。

そのきっかけは私の「ローチョコ、作ってみなよ」だった。


当時、学校給食の世界で働いていた妹。

彼女には2人の子供がいる。長男は「自閉症」だ。


本編に入る前に…

妹を全く知らないのに読んでくれようとしているあなたに

妹の自己紹介代わりに「妹の経歴」を少しだけ紹介をさせてほしい。


妹は高校卒業してすぐに県内のホテルに就職。

小さい頃から「作って食べるのが好き」という彼女は進学ではなく、迷わず「毎日人のために料理が作れる世界」を選んだ。


大工をしていた父親が仕事で出す木くずに火を点け、空き缶に水と米を詰めて「飯盒!」と庭キャンプごっこをしていた私と反対に、

「まな板、ボウル、包丁、泡だて器…」とリアルおままごとにハマっていたのは妹。

母親の傍で料理を見たり、お菓子作りを積極的にしているのは妹だった。


そんな妹が「料理を仕事」という選択をしたのはごく自然な流れだったと思う。

最初の就職先はホテルとはいってもビジネスホテルのレストランだったが、

厨房を学ぶスタートとしては妹にはちょうどよかったのかもしれない。


毎日帰るのが面倒になるくらい楽しく過ごせる仲間もできたようだったし、

美人のくせに高校まで自分にあまり自信のない地味女だった妹は、好きな仕事に就くことで自分自身も磨かれて、たちまち誰もが認めるキレイな美人にもなった。


しかしながら20代に突入し、職場の仲間にも仕事にも不満はなかった妹が

「もっとちゃんとしたところで勉強したい!」と言い出した。


妹なりに「何のために料理の世界を選んだのか?」を自問自答するようになり、調理師免許を取得したのち、職場を変えることに。


次に勤めたお店は地元で有名なイタリアンのお店。私の好きなお店でもあり、もちろん応援もした。

ただ、現実は違ったようだ。


厨房希望で入ったお店は…雑巾と怒鳴り声が日常的に飛ぶお店。

「女なんかが厨房?笑わすな」

それでも就職を決めた妹は、フロアの隙を見て技術を盗もうと努力していた。


調理器具や雑巾、怒鳴り声が日常的に飛ぶだけの日々は、希望の厨房に入れなかった妹に少しずつ精神的なダメージを与えた。

気持ちが疲弊しきってしまった妹は料理と自分の目指していた夢を嫌いになる前に、退職することを決めた。


少し気持ちを休ませて自分を取り戻したのち「居酒屋」に就職。

居酒屋とはいってもチェーン店ではなく昔からあるお店。料理の種類もイタリアンから和食へ。


小さい規模のお店だったが、和食と言う新しいジャンルも彼女にとっては魅力的だったようだった。

生モノを扱うことが多い和食は「素材」を見る目を養うのによい勉強にもなったようだ。

しばらく居酒屋で働いていたが、結婚→妊娠→出産を機に不規則スタイルの仕事から離れることを決める。

そして出産後の再就職が妹の「食魂(たましい)」に火をつけることとなる。


【学校給食の実態】


※最初に誤解のないように伝えておきたいのだが、これはアンチ学校給食の話ではない。

学校給食も「安心・安全」のために日々尽力しており、「決められた予算」の中で栄養士が頭を悩ませ、愛する子供たちのために最善のメニュー作りに組んでいることだけは読んでいるあなたに了解しておいてほしい。



彼女が出産後「会社員」として最後に選んだ職場は「学校給食」。


小学校の学校給食の会社に就職し、小学校の中で子供たちへ提供する給食を作っていた。

そこで彼女は学校給食の現実を目の当たりにする。


アレルギーの子供たちが多いこと。

栄養価ではなくカロリー計算の食事。

食中毒を防ぐために、どうしてもしなければいけない食品への熱処理。


これらが何を意味するか。

彼女が強くショックを受けたのは

「人に良いもの=食」の概念を根底から覆される日本の給食事情だった。


妹だけではなく、私もあなたも「給食世代」ならわかるだろう。

「給食」は子供たちの楽しみであり、一切の疑いもなく口にしていた「信頼100%」の食事だったはず。


各々好き嫌いはあったにせよ、給食のおばちゃんには感謝をしていたし、自分たちのために何10人、何100人の食事を提供することがどれだけすごいことかは分かっていた。


でも、まさか…!


これは現場に入ったことがある人間しか分からない実状。

妹には2人の子供がおり、自分の子供たちが小学校に入った時には同じように給食を食べるようになる。

世界中にいるママの1人として、給食づくりの中で彼女は葛藤と向き合うようになる。


妹から聞く学校給食の話は子供を持つ私にとっても衝撃であり、また、同時に学校という環境にいかに頼り切っていたかを振り返る機会になった。


普段の生活にしても、勉強にしても、食事についても。

人を作る基本は家庭。特にこの日本で「母親」とはその「家庭」を大きく左右する価値観を握っているともいえる。


給食自体をどうにかしようにも一般個人が解決できる問題ではなく、

「自分たちで気を付けるしかないよね」「家で何を食べさせるか、って大事だよね」という話でいつも終わっていた。


妹には2人の子供がいるが、長男は自閉症だった。

見た目は普通の子供たちとなんら変わらない。ただ、言語に圧倒的な遅れがあった。

もちろん、言語の遅れは日常生活の遅れに繋がるのは言うまでもない。


妹は長男と療育施設で色んな訓練を受けたり、勉強をしている中で「脳」にいいものも探していた。


ちょうどそんな時期、姉の私はある起業家のもとで「セミナービジネス」を学んでいた。

同期の受講生に「ローチョコレート」なるものを作っている女性がいて、その女性はとても美しくキュートで誰が見ても素敵な人だった。


その彼女が作っていた「ローチョコレート」に私は釘付け。

なぜなら、私はチョコレート中毒だったから。


口寂しい時、習慣的に食べるようになっていたチョコレート。


私自身も10年前、ネイリストとして自営業を始め、お昼ご飯を食べている暇がない時につまんでいたのが習慣となっていた。

「良くないな…」と分かっていながら罪悪感いっぱいに食べるチョコレートと、時間がないことのせいにしてチョコレートを食べる理由を正当化する毎日。

虫歯、太る、大人ニキビ。

それらをケアできるチョコレートが…ある?

虫歯にならない?太らない?肌がきれいになる?


なに?そのチョコレート。


同期の受講生なんてことはもうどうでもよく、興味のある一人として彼女の活動をブログなどで日々読むようになった。


チョコレートには興味があったが、なにせ、私は料理やお菓子作りの才能がない。


と考えたその時、


「あ!」


と脳裏に浮かんだ顔。

そう、それが「妹」だった。



続く…

 

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姉として妹の夢を叶えたかっただけなのに、給食のおばちゃんからローチョコレート職人へ昇華した妹の話<1章>

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