ワイルドな顧問と出会い、バスケ部の男子マネージャーになった話。


たかが高校の部活。

されど高校の部活。


皆さんは誰かに感化され、

きっかけを与えてもらった

経験はありますか?

そんなお話です。


「いやー結婚指輪なくしちゃってさー!嫁が実家に帰っちまった!」「...え?」

それがD先生とのファーストコンタクト。その後まもなく、ぼくはバスケの選手を辞め、彼の元でマネージャーになることを決意しチームを束ねていくことになる。


舞台は東北のとある県。進学が決まった高校は地元の中では進学校だった。ぼくは、中学の時に可愛がってもらった先輩に誘われ半ば強引にバスケ部に入部を決めた。


最初に言っておきたいのが、バスケは上手でもなければ下手でもない。完全に受け身な状態でまた3年間バスケかーと当時は憂鬱だった気がする。


そんな練習開始日に、その年から講師になったD先生が顧問として部活へ参加しに来た。その時の言葉が最初に述べた通り"離婚危機"の状況だった。


進学校の先生=まともでマジメな先生ばかり、という方程式がぼくの頭の中で崩れ去った瞬間である。時は過ぎ3年生は6月で引退し、いよいよ自分たち1年生も本格的に練習に参加することになる。そのぐらいからD先生が男子バスケ部の指導の実権を握るようになってきていた。


D先生は身長が高く体格もいい。ひげは濃く、髪はボサボサなことが多い。自信家だけど人の悪口は絶対に言わない人だった。見た目は西島秀俊の体格を大きくして少し童顔にした感じ。D先生と呼ばれるのを恥ずかしがり周りは彼をDさんと呼ぶ人が多かった。


ちなみにぼくはと言うと、運動神経は決して悪い方ではない。体力テストでは中学から総合A評価を取り続けていた。しかし、体が硬いことや体の使い方の悪さからしばしばケガを繰り返していた。


腰の疲労骨折をして、部活を見学していた時だろうか。

D先生がぼくに昔語りをしてくれたことがあった。もともと先生はその高校のOB。当時から進学校だったのにも関わらず、D先生の部活の代はなんと県2位の成績を収めたそうだ。


すごいことだ。

進学校のため練習時間も周りの高校に比べて少ない中、よほど努力を積み重ねたのだろう。しかもチームで。キャプテンを務め精神的にもプレッシャーがかかるのに勉強の成績も申し分なかった。


彼は過去の栄光をひけらかそうとするタイプではなかったため、後半から自分でぐいぐい聞いた。


その後、バスケの名門であるC大学にスポーツ推薦で入学をするが、そこで先輩たちからひどいいじめを受けていたらしい。


練習中だけでなく試合に出てもそれが続いたそうだ。パスが来ない。ドリブルをしていても仲間がパスをもらいに来ない。


「あの時はバスケじゃなくて陸上をしている気分だったな笑」そう語りながらいつも通り笑う彼の顔は今でも鮮明に覚えている。


ガードという、ボールを回すポジションなのにボールの主導権をくれないという何ともやるせない気持ちは理解できた。


「バスケやめようとか考えなかったんですか?」と思い切って聞いてみた。すると「好きだから続ける。悪いのはバスケじゃない。それだけの話だろ?」

この言葉が当時のぼくに

とても刺さった。


それから大学を卒業したD先生はBJリーグ(現Bリーグ...バスケのプロリーグ)の選手となったものの、次世代の指導に力を入れたいということでうちの高校の教師になった。


その話を聞いた高校2年生の春、ぼくは勉強も友達関係も順風満帆だった。

しかし部活だけはケガで思い通りに体を動かせないことに苛立ちを覚えていた。


加えてD先生は若かったため、やはり教師としての仕事だけでもとても忙しかった。

練習に来る頻度もまちまちでその間の練習は締まりがない。仕方のないことかもしれないがぼくは許せなかった。「俺だったらこうするのに」そう頭で考えても練習を休みがちで、なおかつ上手くないぼくがチームに言っても取り入ってくれないだろう。


上手くないけど自分だって先生と同じくらいバスケが好きだ。部活のみんなも好きだ。好きだからこそチームで勝ちたい。

今後どうするべきか考えに考えた。この頃から心の歯車が動き出した。


それをD先生に相談した。

・部活の雰囲気を変えたい事

・自分もバスケが好きな事

・でも今のままじゃ身体も周りも動かせない事


すると、

「じゃあ選手辞めるか?」

と言われ唖然とした。

「いや、バスケをやりたくない訳では...」

「や、部活の参加の仕方なんていくらでもある。体じゃなく頭を動かす部活をしてチームを勝利に導いてみるのもありじゃないか?」


そう言われ、マネージャーになることを提案された。


当時、ぼくがマネージャーと聞いて思うことは女子×雑用。それだけだった。

(やばいいろんな人に怒られる)


選手の飲料水を用意し、コートにモップをかけ、ゲームの記録をする。しかし、任されたのは全く別のことだった。


「お前はたしかにまだまだ技術は低いが、不思議と人を動かす力と分析力がある。それを発揮してチームに貢献していこうや。」

「ぼくがそうなんですか?」

「うん。気づいてなかっただろ。やるぞ、男子マネ!」


マネジメント。

組織の管理と運用である。

その日からD先生の隣につき、バスケに対する知識のインプットを繰り返した。


気づけば練習メニューとその意義を全て覚え、ゲームの審判もできるようになり、部員に助言が与えられるまでになっていた。それが2年の秋のこと。


それからというもの、先生が体育館にいるいないに関わらず部活は部員全員が集中し、着々と力をつけていくようになった。


先生が教務で忙しい時には練習前に大まかなメニューを聞き、進捗次第で細かいことをぼくが決める。


時には制限時間つきのフリースローや走り込みで間に合わなかった部員たちへの罰ゲームもぼくが考え、ドSっぷりを発揮したのも懐かしい。


そんな環境の中で、ぼくは部内でオンリーワンの居場所を掴み部員に認められていく。しかし、自分を変えてくれたD先生との部活中の会話が何より楽しかった。


D先生はぼくが理想とする大人だった。適当なところは適当なくせに肝心な時には一歩も引かない。ユーモアにも富み周りのモチベーションを高めるのが得意な人だった。


彼には口癖がいくつかある。

まずは部員に対しての

「俺にアピールはいらん!」

である。自分たちがどれだけ疲れているか、勉強に大変かそんなことは知らん。要するに、結果主義ってこと?最初はそう思っていた。

しかし違った。


「メニューも勉強も大変なのは俺が一番よく知ってる。俺もそれを誰よりもやってきた1人だ。だからこそ言い訳したくなる気持ちも分かる。だがストイックに本気でやってみろよ。言い訳は敗者がするもんだ。」


なるほど、経験を伴った言葉はこんなにも力強くて重いのかと、感動すると同時に自分のこれまでの言動の薄っぺらさが心を締め付けた。


もう1つが「できるかできないかじゃない、やるかやらないか、それだけだ。」どこかで聞いたことがあるようなないような言葉だが世の中の売れるキャッチコピーなんてどれもそんなものだろう。

シンプルなようで本質を捉えている。


この言葉の真意は「ゲームの相手や目標が強大だった時、できるかどうかの可能性を考える前に一歩踏み出す気持ちを持て。」ということだ。


実際この言葉を信じた僕らは2年の冬、ウインターカップで当時とても評価が高く手強いとされていたチームを下し実質県8位まで登りつめた。


3年になり部を引退する時は、それはそれは泣いた。部員と切磋琢磨できなくなることも悲しかった。

それ以上にもうこの人の元で学ぶことができないんだと考えると涙が止まらなかった。


受験はいち早く終えた。

そして卒業を間近に控えていた頃、卒業アルバムを片手にD先生のところを訪ねた。他の先生たちには5行くらいメッセージをもらったのにD先生にもらった言葉は一言だけ。


「本気で願い、

   本気で行えば必ず達す。」


D先生らしいなと思った。あの人はマジメとは言い難いが部活中は常に真剣であり、

本気だった。


今ぼくには大きな夢がある。

それを叶えるために大学生活中は多くの困難にぶつかってきた。そんな時にこの言葉をよく思い出す。

ぼくの人生を支える言葉だ。


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最後まで読んでいただき

ありがとうございました!


近々、また別のストーリーを書きたいと思っているのでその時はぜひ読んでいただけると嬉しいです٩( 'ω' )و

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