『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第14章「厳しくなる仕事状況と、道半ばの別れ」

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次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第15章「展示会と、ルポの仕事と、震災と」

その1「自衛隊基地をルポする」

この年の夏、ペチカ・イラストスクールで
お世話になったHさんから、お仕事の依頼が
ありました。それは自衛隊について書かれた
某作家さんのエッセイに、イラストを付ける
と言うものでした。

自衛隊は私にとって全く未知の世界です。
本来なら作家さんと一緒に取材に行って、
同じ経験をして描くのが理想的ですが、
今回の場合は作家さんの取材は既に済んでおり、
文章もほぼ仕上がっていました。

出来上がった原稿の内容が、わりと専門的なので
イラストを入れて少し柔らかさを出そう、と言う様な
意図での依頼でした。
それなら出来上がっている文章を読んで、それに
見合った絵を入れればいいのですが、この場合は
本当に対象が専門的過ぎて、映像イメージが
全く掴めません。また正確に描くにあたって、
かなりの知識や資料も要したので、お願いして
私も基地に赴き、追体験させてもらう事になりました。

こうして担当さんと二人で、航空自衛隊の入間基地を
訪れたわけですが、ここは折しも2年前、輸送機で
硫黄島に運んでもらった時と同じ場所でした。

自衛隊員の方の貴重なお時間を割く事になったので、
スムーズに取材できるようにと、事前にあらゆる資料を
入手し「自衛隊について」を一から勉強して臨みました。
例えばDVDを見たり、新聞記事や本を読んだり、
自衛隊関係の資料館に行ったり。
その甲斐あってか「こんなにちゃんと勉強して来て
くれる人は珍しいです」と隊員の方にも喜んで頂けて、
穏やかに取材できた事が印象的でした。

イラストレーターと言う仕事は、時としてこういう
特殊な所に入れてもらえたり、知らない世界について
勉強する機会があります。そのたびに「ルポが描けると
自分の世界が広がって面白いな」と、素直に思います。


その2「初心に戻ってデッサンをするべし、と人は言う」

ペチカ・スクールで、レベルが高い人たちに
囲まれ、衝撃を受けてから早1年が経とうと
していました。その間ずっと「私の絵は
何だか薄っぺらい気がする。 でも人と比べて
どこが違うんだろう?」と考えていました。

するとパレット時代の同級生が「もっとデッサンを
するべきですよ」と指摘してくれました。
デッサン?
この仕事を10年以上も経験して来て、
作品も沢山描いてきたつもりなのに、今更
初心に戻ってデッサンですって!?

けれど確かに、実際に絵がうまい人達を数人捕まえて
話を聞くと、どの人もみんな美大入学時や、入学後に
『嫌って言うほどデッサンをした』という答えが
返ってきました。なるほど。
そもそも私は美大に行っていないので、きっと何か
根本的な基礎の部分が緩いか、欠けているのかもしれません。

なので急きょクロッキー教室を見つけて、
数回通ってみたのですが、指摘をくれた
友人曰く「クロッキーではなく、やはりデッサンをすべき」と。
実は私、この時点でクロッキーとデッサンの区別すら、
良くわかっていなかったのです。

荒っぽい説明をすると、クロッキーは短時間でササッと
対象を捉えて描く物、デッサンは時間をかけて対象と
向き合って、その材質感やら陰影やらをじっくり描きとるもの
…と言う感じでしょうか。ともかく私には、描く物の姿を
しっかり見据える訓練が必要だったようです。

そこで試しに「短期集中デッサン講座」を行っていた
教室を訪ね、2日間、朝から夕方までみっちり
描いてみました。わずか2日で技術がどうにかなる
ものでもないのですが、とりあえず「デッサンとはどういうものか」
「私の何が足りないのか」を知る意味で、有効かもしれない
と思っての参加でした。
すると確かに、デッサンはものすごく対象物をじっくりと
観察し、その物の持つ全てを鉛筆一本でしっかり捉えていました。
語弊を恐れずに言うなら、執念深い感じです。

すると同時に、今まで見えていなかった部分が、見えてきました。
この「見えてきた」感覚を、言葉で表すのは少し難しいのですが
デッサンの先生の言葉をお借りすると、ずばり「調子を取る」。
少なくともその言い現し方が、その時の私にはしっくりきました。

そもそも私は子供の頃、マンガが好きで、それが高じて
イラストの世界に入りました。だから私が描くものは
基本形が二次元なのかもしれません。
実際の仕事では、それでも問題はないのですが、
それでもどこか、作品全体の「薄っぺら」な感覚は
拭えませんでした。

「物は二次元じゃなくて、三次元で構成されているんだな」
と、言う事に気が付き、そしてそれを意識して、描くことを
覚えた貴重な経験でした。
相変わらず3歩進んで2歩下がる様な、土台を
踏み締めながら、コツコツと経験を積み上げていく
日々でした。


その3「一段と厳しくなる仕事状況」

自分の技術を磨く一方で、仕事を取るための状況は
一段と厳しくなってきたなと、この頃は頻繁に
感じていました。元々私は、バブルがはじけた直後に
社会に出た世代です。
なのでイラストレーターになった時から、仕事を得るのは
厳しかったけれど、この時は前年に起こった
リーマンショックなどの影響もあったせいか、経済情勢は
更に悪化していました。

例えばこんなプレゼンの話もありました。
「冊子の表紙の連載企画です。数名のイラストレーターの
中から競合して選びます」と言われ、結果を待っていました。
今までは選択された人の中から、最終的に1名の
「絵描き」が選ばれるのが常でしたが、この時は
「イラストではなく、写真(家の方)が選ばれました」と
言われました。
「えっ?写真が?」と、すぐには理解できないでいると
「編集サイトは本当はイラストを使いたかったけれど、
営業部が予算に厳しくて、写真の方が安く上がるから、
と言う理由で押し切られた」と説明してくれました。

他のイラストレーターの方が、いい作品だったとか、
企画に見合っていた、と言うのならまだ悔しいけれど
納得はできます。でもお金の都合で落ちるとは。
クライアントにとって、予算が大事なのはわかりますが、
こちらの身としてはそういう類の理由だと、悔しさ倍増です。
でもこの時だけでなく、その後は何度も編集側で
良い企画が上がっても「営業が首を縦に振ってくれなかった」
と言う理由で、没になった仕事が相次ぎました。

他にも大手企業にプレゼンを打診され、最終選考まで
残ったけれどダメだったり、以前お仕事をした会社から、
新たな企画を打診されて、待機していたにもかかわらず
「なかなか連絡が来ないな」と思っていたら、ある日
その企画にはイラストではなく、CG画像が使われて
いたのを街中で目撃した…と言う事などもありました。

大きな仕事は実力のある人が得てしまうし、
予算はどんどん削減されていくし。
コツコツ営業はしていましたが、中途半端な
位置づけのままだと、活動を続ける事自体
ものすごく厳しくなってきたと、実感し始めた時期でした。


その4「友人との最後のクリスマス展」

秋が深まる頃、地元にあるケーキ屋さん兼カフェで
パレット時代の友人が個展を開きました。
それを見に行った事がきっかけで「次回はクリスマスが
テーマのグループ展をやるけど、一緒にどう?」と誘われ、
急きょ年末にカフェ展をする事になりました。

正直言うと、この時は半年後に迫っていた大きな個展の
準備に追われていたので、他の展示会を行う予定は
ありませんでした。また飾れる作品も1人当たり2点程と
少量でしたし、通常ならお断りしていたかもしれません。
それでも参加した理由は、ふたつありました。ひとつは単純に、
会場が家から近かったこと。これは搬入が非常に楽で助かりました。

そしてもうひとつは、私に声をかけてくれて
一緒に展示に参加した友人が、長い間、闘病生活を
送っていたことです。彼女は以前、イラストの活動について
悩んでいた私に「夏祭りで似顔絵を描いてみない?」と
声をかけてくれた人でした。
あの誘いがきっかけとなり、再び「描こう」と言う気力が湧いた私。
一緒に参加する事で、少しでも彼女の元気になれればと言う、
お礼的な想いもありました。けれどこの展示の3か月後、彼女は
静かに天国に旅立っていきました。

友人はパレットクラブの同期の中でも1、2を争うぐらい、
絵が上手くてセンスがある人でした。その作品には
憧れすら抱いていました。
あれだけ描ける人だったんだから、きっと、もっと沢山
描きたかっただろうな。だけど彼女はもう描けない。
そして私だって、明日の事は分からない。

イラストレーターになりたての頃、大事な人を事故で亡くして
一時、描けなくなった時期がありました。
だけど最後に会った時、私が「イラストの仕事を始めたよ。
面白いよ」と言うと、彼は「仕事がんばれよ」とだけ呟いて、
雑踏に消えて行きました。
あの時の最後の言葉は、その後私が何度も諦めそうになった時
踏みとどまる力になりました。

同時に、その度に「私達には限られた時間しか、用意されていない」
という事を感じながら。そしてこの時、改めて「やはり時間がない」
との思いを、一層強くしました。

描かなくては。
生きて、元気で、描ける力がある内は、描かなくては。

絶対に思い残すことがないぐらい、持てる力を全部出して、
描きたい。
そしてきっとそんな風に全力で生きたら、残された人も
辛くないんじゃないか。友人達を突然亡くした私の様に、
深く悲しむことはないんじゃないか。

だから全力で生きて、描こう。
良い事も、悪い事も、沢山身に刻んで経験して、
泣いたり笑ったりした事を糧にして。
私は第一線で活躍する様な、華やかなイラストレーターには
なれないかもしれないけれど、もしかしたら
深いイラストレーターには、なれるかもしれない。
そしてそこから、何かを伝える事が出来るかもしれない
と、信じながら。


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