『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第15章「展示会と、ルポの仕事と、震災と」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第14章「厳しくなる仕事状況と、道半ばの別れ」
次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第16章「自分の核をみつけること」

その1「集大成の大きな個展」

それなりに山も谷もあったけれど
気が付いたら15年の月日が流れていた、
2010年5月。
7年ぶりに大きな個展「ユーモリスト」を、
原宿で開催しました。これは約70点ほどの
作品を飾った大規模な展示会でした。

内容も今まで描いてきたものを全部出し、また
オープニングパーティも手作りで、来場者には
お土産用にオリジナルクッキーを用意したり…と、
色々と手が込んだ造りでした。
これだけの規模になると『個展』と言っても
私一人の力で構成するのは無理なので、
イラストレーター仲間や、ギャラリーのスタッフさん、
パティシエの友人など、沢山の方に協力して頂きました。

イラストレーターになった時は、一人きりだったけれど、
この頃になると、わからない事を聞くと教えてくれる
同業者の友人や、今までの活動を見知って、困った時は
こうして手を差し伸べてくれる人たちが、周囲に現れました。

しかもこの会場は、10年前に初個展をしようと思った時に
『うちではまだ時期尚早だと思うから…』と、お断りされた
場所でした。それが今回はすんなりと承諾。
そういう意味でも、長年ひとつの事を頑張ってきた成果が
少しずつですが、感じられるようになってきました。



その2「イラスト活動の原点に返る、展覧会を観た」

この年、私の個展開催とほぼ同時期に
都内の美術館で「ノーマン・ロックウェル展」が
開催されました。

ロックウェルは少し前の時代を生きた、
アメリカの画家です。温かいまなざしで、人々の
暮らしをユーモラスに描いた作風は、今も多くの
ファンを魅了していますが、同時に私が15歳の時に
「イラストレーターになろう」と決めたのは、この人の
作品を見たからでした。
なので懐かしさと、原点に立ち返る意味合いも含めて、
何度か会場に足を運びました。

展時会場はいつ行っても、大盛況ですごいにぎわいでした。
行くたびに入場制限が出来ていたり、グッズ類も
次々完売してしまったり。
ロックウェルの作品は、今風のイラストとは違って
少しノスタルジックな雰囲気であるにも関わらず、
今でも多くの人に受け入れられている事実を
目の当たりにして、なんだか目が覚める思いがしました。

と同時に、仕事をする上で一番意識しているのは
当然ながらクライアントさんや業界の方々に対してですが
作品を一番伝えたいのは、やはりこういう
(美術関係を生業としていない様な)ごく一般の人たち
ではないか。クライアントやデザイナーさんの先には
こうした普通に美術を楽しむ人々がいる。その人たちに
伝えたいことが的確に伝わる作品を描くのが、
大切なんじゃないか。この展示会を通して、作品を楽しむ
人々を観て、そういう想いが新たになっていきました。

そしてこの時、強く意識した「普通の人たちの
日常を、記録するように描くこと」は、その後、
私の制作活動の大きな核となっていきます。


その3「個展から生まれたお仕事」

個展が終わって間もなく、再び荒川ふるさと文化館さんから
夏休みの子供達向けの企画で配る、遺跡案内の小冊子に
地図を描くお仕事を頂きました。ちなみにこの仕事が
来たきっかけは、個展のDMをお送りした事でした。

先方のお話を伺うと、どうやらDMに掲載されていた
イラストマップが、この企画のイメージに合って
いたらしいです。なので「空飛ぶもんじゃ焼き」以来、
実に10年ぶりに仕事を組ませて頂きました。
こういう形でお仕事を頂いたり、ご縁が復活する事を
思うと、個展の開催には、ただ一定期間作品を
飾るだけではない、色々な付加価値があるようにも
思いました。

地図を描くには、荒川界隈を精密に歩かなくては
いけませんが、この年はなぜか異常に暑い夏で、
そして結果的に観測史上最も暑くなった、少し
おかしな陽気でした。なので本格的な夏を待たずして、
すでに取材を行っていた6月の頃から、暑さが
迫っていたため、街歩きは結構大変でした。

それでも「子供たちの役に立つ仕事」と言うのは
描いていても、ひときわ嬉しいものです。
お仕事自体は、返って私の励みになりました。



その4「旅する絵描き、南へ北へ」

この年の夏、1年間の予定で雑誌連載のお仕事を頂きました。
内容は農業に携わっている、若い女性サークルに
焦点を当てて、彼女たちの活動を伝えると言うもので、
取材地は全国の農村でした。当時まだ入社2年目と言う、
若い担当編集者さんと一緒に、夏の宮崎から始まり、
和歌山、福井、そして初冬の青森へと、毎号旅する
ルポが始まりました。

元々、ルポやマップを描く時は、あちこち歩いて
取材をするのですが、こんなに規模の大きい移動は
初めてです。10年ぶりぐらいに飛行機に乗ったり、
中学の修学旅行以来、人生2度目の新幹線に乗ったりと
移動するだけでワクワクしました。
その上、様々な出会いや、新鮮な発見があるたびに
「イラストレーターって本当に面白い仕事なんだな。
絵が描けると言うだけで、飛行機に乗せてもらえたり、
色々な出会いも生まれるなんて。 本当に色々な
可能性を秘めている職業なんだな」と、改めて思いました。

しかし禍福はあざなえる縄のごとし。
華やかで楽しい仕事は反面、抱えるべき責任や問題も
多くありました。この企画も諸事情があり、動き始めてから
わずか4か月後、私が取材に随行せず、担当さんが
一人でいく事が編集サイトの判断で、決まってしまいました。

これには、困りました。
なぜならルポを描く時は、基本的に自分の目や足を使って
調べた生の情報を描いていたからです。そして
ページの構成も、その時の情報によって、バランスよく
仕上げていました。それが取材に行けず、ページの
レイアウトも担当さんが決めてしまうと、絵を描く側に
とっては、拘束される部分が多くなってしまいます。
と言うか、それは既にルポではなくて、ただの挿絵では?

初めからそう言う企画なら、まだ考えようもあるのですが、
途中からスタイル変更となると、連載の雰囲気も自ずと
変わって来てしまうので困りました。
「一体全体、これから先どういう風に仕事を進めたら
いいのか。こういう場合、どこまで自分の意見を
強く押し出していいものか」と、作品を描く以前に
対人的な部分で、悩んでしまいました。

とりあえず作業は新スタイルで進められていきましたが
やはり、実際に現場でネタを集めない事には、
紙面を思うように埋めるのは至難の業でした。
以前ライターをしていた時、上の人から「ネタは
(実際に書く量の)3倍ぐらい集めて、余計な部分を
そぎ落としながら書くと、上手くまとまる」と教わった事もあり、
ルポもずっとそのやり方で描いていたので、ネタ(情報)が
足りない事は致命的でした。
ますます「どうしたものか」と、苦悩した末に考え付いたのは…。

「ネタがないなら、コミカル路線でいくしかない!!」という事。
遊び心を膨らませて空白を補うと言う、苦肉の策を
打ち出しました。ところがこれが逆に好評を得ます。
楽しくユーモラスなアイデアのせいで「絵がのびのびして、
前よりもいい感じになった」と、編集サイトから言われるように
なったのです。つくづく何が幸となるか、わからないものです。

こうしてなんとか1年の連載を終えた時は
「どうにか無事に乗り切れた」と、心底安堵しました。
仕事では当然ながら、このようにままならない事が
数多く生じます。またイラストレーターと仕事を組む事に
慣れている方ばかりでもありません。
業務がうまく遂行しない時も、「これは無理だ」と途中で
投げ出す事は出来ません。言い訳しても始まらないし。
限られた条件の中で、どうやってより良く描くか。
工夫すれば、いくらでも描き様はあるのかもしれない。
この仕事はそれを勉強させてもらえた、良い機会でした。


その5「トリトリトリ…の展示会、開催」

5月の個展に続き、この年の11月~12月にかけて
今度はペチカ・イラストスクール1期生のメンバーと共に
鳥をテーマにしたグループ展を、同じ会場で開催しました。

グループ展の良い所は、各自の得意な分野で
展示準備作業の役割分担ができる事です。
DMデザイン、製作、会計、連絡係と言う基本の
作業を手分けして行う事はもとより、オープニング
パーティの料理が充実したり、DMを送る先も
多岐に渡るなど、個展にはないメリットがあります。

更に今回は、私が音頭を取って企画した初めての
グループ展でした。「個展を何度かやっているんだから
手順は同じでしょう?慣れているでしょう?」と思われそうですが
いざ自分が発起人となって運営するとなると、
参加者全員の意見を聞いて、まとめて、遂行する、
その大変さは、個展の比ではありませんでした。

けれど終わった後は「また一つ、新しい事をやり遂げた」
と言う達成感も得られました。なによりみんなが集ると、
必ずいつも飲み会になった事が、すごく楽しくて
嬉しいかったのです。横のつながりを持って、こうして学んだり、
親しく付き合う事は、普段一人で黙々と机に向かって
作業しているイラストレーターにとって、とても
良い刺激になるようにも思いました。

こうして大きな2つの個展とグループ展を
無事に終え、連載の仕事もそれなりに軌道に乗って、
久々に落ち着いた時間を過ごしていた、春3月。
東日本大震災が起こりました。

そしてこの出来事を機に、自分自身も気持ちがグッと内向的に
なっていきました。 「イラストレーターなんて、こういう大変な時に
何の役にも立てない。絵なんか描いていても、何にも
ならないんじゃないか」と。
巨大な災害自体が恐ろしかったせいもありますが、実は
ここからが3年間に及ぶ、暗黒の大殺界の幕開けでした。


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