『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第17章「イラストレーターに向いていない、かもしれない」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第16章「自分の核をみつけること」
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その1「2コマ漫画と、絵本と、展示会」

2012年の夏、続けて二つの展示会に参加しました。
まず7月に原宿のギャラリーで、野菜をテーマにした展示会を
8月には今回初めて飾らせて頂く、青山のギャラリーで
絵本をテーマにした展示会を。どちらもギャラリーの方に
声をかけて頂いて、の参加でした。

せっかくの機会なので、新しい表現を試してみたく思い
「やさい展」では2コマ漫画を作成して飾ってみました。
一方、絵本展は色々な点がとても新鮮でした。
同じイラストレーターの同業者と言っても
「絵本の世界の絵描きさん達」(これは具体的に
絵本を描き、出版しようと試みる層の人たちと言う意味)とは
作品の描き方や構成の仕方、また売り込み先など、
様々な点で違いがあります。

そうしたいつもとは少し異なる、新たなジャンルの
イラスト界を知る事が出来た、貴重な経験と交流の
場になりました。

しかし、積極的に展示や営業活動を行う一方で
この時期、肝心の仕事を得る事はなかなか
出来ませんでした。イラストの仕事だけではなく、
生活のために働いていたアート施設での仕事も、
この頃は全体的にトラブル続きで働きにくく、
相当ストレスが高い状況になっていました。

それに加えて、父の介護です。
こちらも次第に負荷が増していて、気がついたら
それはずっしりと、家族の背中にのしかかっていました。
容態が悪化の一途をたどっている父からは
手も、目も、離せないようになり、徐々に私自身が
外出できる機会も減っていきました。

仕事もせず、外出もままならず、思うように
動けないでいると、何となく次第に周囲から人の気が
スーッと引いていく感じがしました。
それはもう、波が引くように自然に。気配もなく音もなく、
でも確実にスーッと。
人の気と書いて「人気」とは、良く言ったものだと思います。
活動が停滞すると、そのまま静かに忘れられて
しまうのかもしれない。気がつくと友人知人たちからも、
メールがほとんど来なくなっていたし、新たに人と
知り合っても、名刺交換する機会もほとんど
なくなっていました。

正確にはそんな停滞期でも、黙って見守ってくれる
人達は必ずいるのですが、、それでも「静かになったな」と
少し寂しく思いました。
しかし寂しい感情はほんの一時で、その後はジワリジワリと
「思うように、うまく生きられない」と言う様な焦りが
顔を出してきました。
けれど焦っても、どうにもなりませんでした。


その2「イラストレーターに向いていない、と気がつく」

社会に出てから、17年が経ちました。
その間ずっと「いつかは」と信じて、走り続けてきました。
だけど身辺から人の気が消えて、静かになった時
ふと「私は、イラストレーターに向いてないんじゃないかな」
と言う事に気が付きました。今更ですが。
でも逆に、ここまで精一杯やって来たからこそ
「全然芽が出ない。もうこの辺が限界かもしれない」
と言う天井が、急に見えたのです。

歳を重ねるごとに、徐々に若い世代の
イラストレーターの知人たちも増えてきます。
いつしか気がついたら、自分より10歳も若いのに、
すごく活躍している人達が何人もいました。
しかも次から次に、そう言う人達は途切れることなく
出てきます。

私はこれまで「イラストの活動とは、なかなか思うように
いかないけれど、そう言うものなんだろう。でも頑張って
続けていけば、何とかなるかもしれない」と信じて
歩いてきたけれど…。

周囲を見渡すと、イラストレーターになって
まだ1~2年で、次々と大きな仕事や人気を得て、
賞を取り、活動が安定している人達が、大勢いる事に
気がつきました。

また「本の装丁を描きたい」と、2か所の
装丁スクールに通って、また営業をしても、
一度も仕事が取れない私に対して「活動7年で
100冊近い装丁を手がけました」と言った年若い
友人もいました。そういう人たちを目の当たりにすると
「ああ、才能の有無ってこういう事なのかもしれない」と、
否応なく気付かされます。

長い時間かけて頑張れば何とかなる、と言うものでは
なかったんだ。本当に「イラストレーターに向いている人」
と言うのは、こういう風にさらりと大きな活躍が出来る人達
なんだなと、そんな現実を突きつけられました。

今までも不安を感じる事はありましたが、この時は
より一層明確に「私の力はとうとうここまでかもしれない。
このまま静かに終わってしまうのかもしれない」と
限界を意識しはじめました。

そう言えば、前に開催した個展の最中に
色々な方から言われた事が、頭の中に蘇ってきました。
あるデザイナーさんは、私の作品を見た後、一言
「あなたは人の隙間を狙って描きなさい」と言いました。
それは「イラストの世界で王道路線を攻めても、
あなたの作品では太刀打ちできないよ」と言う
意味合いの様でした。

また別の出版社の編集さんには、私が謙遜する意味で
「なかなか芽が出なくて。最近向いてないんじゃないかって
思うんですよ」と言った時、てっきり「そんな事はないよ」と
返されると思ったのに、真顔で頷かれて「他のみんなは
(あなたの歳より)10年早く気づいているんだけどね」と
バッサリ切り捨てられた事もありました。

どちらの方も、割と懇意にしていた方達でしたし
また色々な作品を、数多く見ているプロの
目利きでもあります。
言われた時は、私自身もまだ勢いがあったので
聞き流していたけれど、こうして改めて
自分と向き合って言われた事の真意を
掘り下げてみると、自分で気づくよりも早く、
周囲は「向いてないよ」と思っていたのかもしれません。

けれど実際問題、向いていないからと言って
この歳で今更、方向転換できるのだろうか?
私は他に何ができる?何もできない。
でもこのままイラストを描いて、生活していけるのか?
いや、つぶしが効かないんじゃないかな。
それなら見極めの決断は、なるべく早い方が
いいんじゃないだろうか…。
そんな考えが、次々と浮かんでは消えていきました。

悩みながら都会の雑踏の中を歩いていました。
そのまま高いビルに登って、ふと窓から街並みを
見下ろした時、そこにはたくさんの人たちが懸命に
行き来しているのが見えました。その時、不意に
「今までの人生で、私はずっと色々な知恵や経験を
インプットしてきた。それならこれからは、知り得た事を
アウトプットして行くべきかもしれない。
私は絵が描けるから、それを通じて何か世の中の
役に立てるような仕事がしたい」と、強く思い立ちました。

今までは自分はこういう物が描けるんだ
と言う事をアピールするだけでしたが、これからは
自身が描く作品を通じて、世の中のために
何ができるか、を考えてみようと。

それに一言で「イラストレーターを辞める、辞めない」
と言っても、この時の私の頭の中には「描いてみたい!」
と思うテーマが、次から次にいくつも出てきていました。
これらを全部描き尽くして、出来る事をとことんやり尽くして、
その上で自分でも「ここまでやったけど、やっぱりダメだった。
もうこれ以上は何も思い浮かばないし、何も描けない」と
言う所にまで達したら、その時は本当にイラストレーター
としての力が尽きた時だから、「辞める事」を
決断すればいい。
けれど頭に描きたいアイデアが思い浮かぶ内は、
そして少しでも描ける時間が得られる間は、
往生際が悪くても、たとえ今は需要が得られなくても
「私はイラストレーターです」と言って、意地を張って
描き続けていこう。
この時、そう決断しました。

そもそも「人の隙間」なんて、狙って描けるもの
ではありません。そんなせせこましくて、
みみっちい人生を歩くために、こんな大変な
思いをしてまで、イラストレーターになったんじゃない。

「私は私の王道を描こう」

イラストに限らず、人生はきっと無謀でも
そう言う道を歩いた方がいい。そうしたら、
最後には2つの答えしか、きっと残らないと思います。
「頑張ったら、何とか夢は叶うものだ」と
「精一杯やったけどダメだった。でも結構面白かったな」と。

描く事は、生きる事。
無理して笑って背伸びしてでも、潔く爽やかに生きたいのです。


その3「介護のルポを描き始める」

2012年の暮れも迫った頃、体調が次第に
悪くなった父を、行きつけの歯医者に連れて
行くことが、困難になりました。
そしてケアマネージャーさんから教えてもらった
訪問歯科のサービスを利用し、先生方に直接
自宅に来て治療してもらう事にしました。

介護に関しては、それまでも色々な事がありましたが
この訪問歯科制度は、個人的にすごく「面白い」と
思いました。と言うのも、先生方が持って来る道具が
どれもこれも珍しくて、非常に興味深い物ばかり
だったからです。

例えば自分自身が歯科に赴いて治療を
受けている時は、緊張して周囲なんて
見る余裕はないけれど、こうして立ち会いながら
ゆっくり観察すると、実に色々な道具があり面白い。
先生たちがそれらを上手に並べたり、駆使する事で
自宅が歯科診療所に早変わりする様も、何だか妙に
楽しかったのです。なので数回立ち会う内に
「これを描き留めておきたいな。ルポに起こしてみたいな」
と、自然に感じ始めました。

それと時期をほぼ同じくしたある日、不意に
長くなりつつある介護生活を振り返って
「どうして私が介護をしているんだろう」と言う事にも
疑問が生じました。「私は人を介護するよりも、
絵を描いたり、ルポを綴る方が得意だと思うのに。
その私がなんで介護をしているのかな」と。
嫌だと言うより、純粋に「不思議だなぁ」と思っていました。

けれど、そう考えた途端「あ、そうだ!」と閃きました。
「介護をして、絵が描けて、ルポが綴れる人って、
決していなくはないけれど、それほど多くないのでは
ないか?と言う事は、この経験を絵を用いて、
わかりやすく人々に伝える事が出来たら、それは…
恐らく何かの役に立てるんじゃないだろうか」と。

そしてその発想は、先の「訪問歯科」をルポで描きたい
と言う気持ちと相まって「そうだ、介護のルポを描こう!」
と言う事に思い至りました。

後日談ですが、この「介護のルポを描く」と言う行為は、
人の役に立つかどうかと言う事以前に、私自身の
心の支えになりました。
この閃きの日以降、どんどん苛酷さを増していった
父の介護の日々も、ルポを描く事で「自分の時間を
浪費しているわけではない。この経験は決して無駄ではない。
辛くはない」と、自分に言い聞かせながら、何とか
心優しく遂行することが出来たからです。
きっと介護のブログを立ち上げた瞬間、閉塞感があった
介護生活が外の世界とつながったせいだと思います。

けれど当時の私には、そこまで考えを巡らす
余裕はありませんでした。そしてこの時に綴り始めた
「介護絵日記」は、この3年後に書籍化に向けて
動き出します。もちろん、この時点ではそんな気配は
微塵もなかったので、ひたすら淡々と気力を立て直しながら
停滞した日々を乗り越える事で精一杯でした。


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