「人生の1ページ」

私は今年で61歳になります。年齢を重ねると色々な経験をしています。さてどの経験から話せば良いのか悩みます。愉快な経験、悲しい経験、苦しい経験、経験に無い経験、辛い経験様々です。それでは「強く生きて行こう。」と自分に言い聞かせた辛い辛い経験の話をさせて頂きます。私は人並みに大学を卒業して大手航空会社に就職しました。その当時は、公務員、商社、銀行、証券などが人気で、航空の人気はありませんでしたが、航空関係の父の影響もあり航空の道を選択しました。東京出身の私は自宅から出たことがありませんでしたが、いきなり大阪に配属され寮生活をすることになります。気分的には親元を離れウキウキな気分でしたが、現実は厳しいものでした。先輩があまりにも理不尽で入社して3年目で退職を決意しましたが、友人の説得もあり断念。何とかこの会社で頑張るぞと本気で決意したのが何と入社7年目のこと。遅いですかね。そんな決意をすると人生また次のステップが待ってました。良き伴侶との出会いです。そして、東京へ転勤。結婚。頑張れば良いことがあるんだと信じてやる気は最高潮でした。仕事も忙しいながら順調で、職場の仲間にも恵まれ、幸せな家庭も恵まれと。しかし、人生何が起こるか解りません。この時不思議と周囲の人々が年齢に関係なく次々と他界していきます。祖母、父親、会社の先輩、先輩の奥様と、何故か次々と悲しいお別れが。そしてまさかの妻が「癌宣告」結婚してまだ1年半。これから、人生はこれからと思った矢先でした。辛かった。本当に辛かった。妻は28歳で闘病むなしくこの世を去りました。この時の事を思うと今でも涙が自然と出てきます。人間の無力さを思い知らされました。生きる糧を無くした私は暫くの期間無気力状態で精神を病むのではないかまで落ち込みました。ふと小学生時代太宰治に傾倒し「自殺願望」を思い出しそんな妄想を繰り返しました。しかし、そんな時職場の多くの仲間が励ましてくれました。上司、先輩、同期、後輩と。本当に素晴らしい仲間でした。そんな支えもあり徐々に正常な自分を取り戻して行きました。あの当時は自分との葛藤、職場に迷惑を掛けてはいけない、心配を掛けてはいけないと心配の連鎖で自分を責め破壊の道へと行きそうでした。その時、この会社は何と素晴らしい会社なんだと思い自らのモットーである明るさ、笑顔、ポジティブさが戻ってきました。現代社会私よりも辛く悩んでいる人々が多く世界中に存在していると思います。そんな人々の手助けをしたいとは思いますが最後は自分が覚醒して頑張る気持ち、生きる気持ちを持つことが大切だと思います。そんな自分も再婚して子供も2人授かり幸せな日々を送っています。前妻の命日には家族全員で墓参りをしています。人間、辛いその時は「何で俺はこんなに不幸なんだ。」と思いがちです。実際私もそのように思いました。今思えば、過ぎ去りし辛い日として人生の1ページだけのことですが、その1ページからかなり多くのことを学ぶことができました。人への思いやり、一人では生きていけない、何事も最後は自分で決断、生きようとする力が明日への第一歩、人生は素晴らしい等数えきれない程のことです。今の私を支えているのは、亡き妻と職場の仲間、そして忘れてはならない今の家族と今の多くの仲間です。日々感謝の気持ちで精進しています。


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