数奇な人生

20歳の夏。

私はとあるレコード会社に所属していた。

宣伝諸経費を、会社ではなく私側が支払うという面白い契約に判を押してしまい、間違いに気づいて辞めるというと違約金を請求され、無知な私はそれを支払い、すべてに絶望し、柿生の丘で虚脱していた。

その年の冬、私は70代のマスターが経営する新宿のサロンに通い詰め、マスターと文学談義に花を咲かせていた。

サロンには15歳年上のマダムがいた。はじめマスター目当てで通っていた私は、彼女のことを何とも思っていなかった。

しかしそのうちに、マダムの魅力に気づき、振られたら二度とその酒場には行けない覚悟で告白した。幸運にもいい返事をもらえた。

私たちは好事家たちの集まるパーティ会場、特殊人形の展示会場、そして裁判所などでデートをした。

マダムと出会って2年目の夏、夜の浦富海岸でプロポーズをした。翌年私たちは結婚した。

彼女と結婚したことは、私にとって幸運だった。

私は彼女と結婚するまで、レタスとキャベツの違いや、ヤマイモとシイタケの違いがわからなかったのだが、説明してもらい理解した。野菜について知ることができた。

また、私はキウイフルーツを皮ごと食べていたのだが、妻に普通は皮ごと食べないことを教えてもらい、果物について知ることができた。

バイト先で「右と左、分かる?」と言われて落ち込んで帰宅した時に励ましてもらった。

昨年11月、ムスメが生まれた。私は出産に立ち会った。

私は主に、妻の尻にテニスボールを押し当てて痛みを分散させる係を担当した。

そのテニスボールは、今でも私の鞄にしまってある。

私の結婚指輪には、「Sala Mosala」と刻印してある。コンゴ語で「働け」という意味だ。

私はこれからも妻とムスメのために、一生働く。

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