田舎に移住!生活できる農業に挑戦!

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横浜から身寄りのなかった徳島県に移住をして満4年になりました。


移住のきっかけは2011年3月11日に起こった東日本大震災。当時、5歳の長女・0歳の息子・専業主婦の妻・造船業を仕事としていた私の4人での暮らしは、住まい・仕事・友人・子育て環境にいたるまで、全てが順調で問題のない生活でした。


横浜では神輿愛好会に所属をしていて、多くの仲間達と活気のある活動を行い、この町で生活を行っていることに満足をしていました。


仕事は大型船や艦艇の造船で、物作りが好きだった私は大きな船を建造するという達成感のある仕事を誇りにしていました。


それがあの東日本大震災により生活が一転、想像すらしていなかった人生を歩むこととなりました。




震災当日は年に一度の確定申告を行い午後からは自宅に家族4人といました。


午後2時40分を過ぎた後「ゴォ―」という、今まで聞いたことのないような大きな地鳴りが聞こえ、直後には経験したことのない大きな揺れが起こりました。


以前から来る来ると言われていた関東大震災、その時は「関東大震災が来た!」と思い、家族を非難させました。


大きな揺れは次第に収まり心配していた家屋の倒壊は無く一安心しましたが、TVをつけると、そこには映画のワンシーンを思わせるような凄い映像が放送されていて、ただ事ではない事態が起こった事が理解できました。


震災の翌日に水を買おうと思いスーパーに行きましたが、既に食料は無い状況でした。翌日、翌々日と状況は悪化。ガソリン・飲料・食料・電池・トイレットペーパー・・・ など、欲しい商品が無くなる状況となっていました。


たまたま行った先のスーパーでは2かごの買い物かごいっぱいにしている年配の人が店員に、「買うものが全然ない」と文句を言っていました。


人の身勝手さを見て、もし将来大きな震災が来たらこの小さな子ども達はどうなってしまうのか?不安を感じ考えさせられた瞬間でもありました。


横浜は震災による家屋の倒壊など大きな被害はありませんでしたが、首都圏の弱さを実感し、「お金があってもモノがなければ買えない」というお金の無力さを初めて実感しました。お金があるだけでは子どもたちは守れない、もし自分達で食べものを作っていたら子ども達だけでも守れるのでは?との思いから、ものが作り出せる暮らしへの移行を考えるようになりました。






夫婦揃って横浜生まれ横浜育ちで田舎の無い我が家。


妻は直ぐにでも田舎への移行を望みました。作れる場所の必要性は理解できましたが、当時の生活を壊してまでは移住に踏み切ることは考えられなかった自分、妻とか喧嘩の絶えない日々になっていきました。


生活は喧嘩ばかりでは解決できない状況となり、自分の気持ちを一度だけ妻のいう田舎に下見に行き、そこから改めて考えてみようと思い、一度だけ家族で下見に行くこととしました。


身内のほとんどが横浜周辺にいる私たちにとっては、さて、どこに行こうか?と候補地を探す事がまずは想像以上に大変な事でした。


候補地選びにと妻は東京で移住相談会を見つけ出掛け、その時説明に来ていた徳島県担当職員の的確な説明が印象的で、候補地は徳島県に絞ることにしました。移住地選びにはその土地の最初に出会った人の印象も大切だと感じました。


そして2012年2月、下見のために家族で初めて徳島県の土を踏みました。

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