我が家の住人たち

※我が家で飼い始めた、野良犬と野良猫の愛情物語である。特に犬や猫から教えられることが多いことを教えられるのであった。

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 今、私の家には親子四人の他に、犬の大吉と猫のミーチャンが同居している。ただ、大吉もミーチャンも正直なところ、どこの生まれで、何歳になるかも分からない。

 というのは、最初の犬は保健所に捕獲されていたのを、家内がもらい受けてきた小犬であった。私がせめて名前ぐらい縁起の良いのを付けてやろうと持ちかけ、大吉と命名した。今、私の家に同居している大吉は三代目に当たる。

 初代の大吉は見知らぬ人がやってくると、歯を剥き出して、けたたましい声で吠える。散歩にでも連れ出そうものなら、力が強かったので、引き倒されそうだった。家の周囲にブロックを五段積んだ塀がしてあるが、大吉は平気で飛び越えることができていた。

 ある時、鎖を切って大吉がいなくなったことがある。家族の者が総出で探したが、探し出すことができなかった。十日待ち、二十日待ったが姿を見せずじまいであった。家内は大吉がいなくなった時、死の予感がしたのだろうか「遠吠えするから、おかしい」と一言いったきりだった。

 見知らぬ人がくると、相手を威嚇する鋭い声を出して、ある時は私の顔を人違いでもしたように瞬きしながら見上げ、気恥ずかしそうな目をしていたのを、今でも忘れることはない。

 その点、二代目の大吉は子犬の時に貰ってきたので、牡犬でありながら人懐こい犬であった。家族の者はもちろん、近所の人からでも声をかけられると、尻っ尾を振りながらついていくようなところがあった。

「そんなことでは、番犬にならない」と二人の子供達からでもからかわれていた。その子供達が塾へ連れていくと、雪の中で勉強の終わるのを待っていた。私の車のエンジンの音を覚えていて、遠くからでも尻っ尾を振っていると、家内は言っていた。家内は暇さえあれば、大吉の頭を撫でながら「人は平気で裏切るけれども、大吉は裏切らないものねえ」と満ち足りた声で話かけていた。

 その、二代目の大吉は人懐こいことが災いし、毒入りの饅頭を食べさせれられて死んだ。三日後に家の側を流れる小川の淵に、眠ったように死んでいた。

「水が飲みたくて、意識が朦朧としながらここまでやってきたんだろうねえ」と家内が言葉を震わせながらいっていた涙声が、私の耳底に残ったままになっている。

 三代目の大吉は、親戚の家で鎖につながれたままになっていた。子犬の時はかわいくて連れ回していたらしいが、日が経つうちに面倒になり、見放されてしまっていた。私が側へいっても腹ばいになったまま目を閉じていた。水入れはひっくり返されたまま干からびていた。餌を入れる器を見ると、いつ餌をやったのか空っぽになっていた。器の縁には数匹の銀蝿が止まり、大吉が起き上がったくらいでは飛び立つものではない。大吉は慢性鼻炎を患っており、いつ見ても鼻水を垂らしていた。その上に、口内炎を患い、呼吸をするのさえ苦しそうだった。いつ見ても、腹を地べたにつけ寝たまま上目で、気が向けば顔を上げて、通りがかりの人を恨めしそうに見ていることが多かったので、家内が見かねて家で飼うようになったのである。一度、人間不信になると、信頼を取り戻すまで長い時間を要した。

 私は仕事へ出掛ける前に大吉を散歩へ連れ出すのが日課になっていた。二代目の大吉は便をしかかっていても、私が気が付かずに先を急ごうとすると、途中で便を止めても付いてくる。抵抗しても無駄だということを、前の飼い主から強いられていたのであろう。子供任せであったから、犬の欲求など満たしてやることができなかったに違いない。ただ、思い出した時に、しかも義務的に、連れ回していたに違いない。散歩の途中、道が左右に別れている場合、大吉は右の方へ行こうとしているのに、私がちょっと引き寄せると、諦めてついてくる。自分の意思などあってないようなものだ。従順という言葉の一言につきるのであった。

 大吉の散歩途中、親戚の子供と同年齢ぐらいの男の子と出くわす。すると大吉は足を止めて、上目でその男の子が通り過ぎるまで見とれていた。大吉は悲しい過去の思い出は消え失せ、楽しかった出来事ばかりが頭の中をかけめぐっていたのだろう。たまに親戚の子供達がやってくると、尻っ尾を切れぬばかりに振りながら、後を付けて回っていた。

 私が仕事から帰っても、小屋の中から出てこないで視線だけ動かしていたが、家内の姿を認めるなり、小屋から出てきて体を擦りつけてくる。家内は単車のエンジンを切るが早いか、大吉の体中を撫で回しながら「お腹は空いていないかい。たくさん食べて元気を出さないとねえ」と声をかけていた。大吉は家内の姿が見えなくなるまで、尻っ尾を振り止めない。

 ところが、いくら人間に恐怖を感じていても、無償の愛を与える者に対しては、信頼を回復するのには何日もかからなかった。その点、私のような付け焼き刃の者に対しては、いくら親切にしても心を読み取るのであった。

 大吉の他にミーチャンというシャム猫が、家内の後をつけてきて我家に住みついた。ミーチャンの生い立ちこそ、皆目分からなかったが、ただ、しつけがいき届いていたから、飼い猫であったことは間違いない。こちらが与えた物でなければ、ミーチャンから手を出すようなはしたないことはしなかった。

 それにしても、ミーチャンはどこから迷い込んできたのだろうか。歯の抜けぐあいや毛の艶などから、年齢を判断すると、確かなことは分からないが七・八歳にはなると思われる。ミーチャンは気が強く、その上に賢い。自分の置かれている立場を心得ているようなところがある。

 私の家へやってきた時は、ミーチャンはすでに妊娠していた。「今のうちに処置していた方がいいのでは」と私が申し出たが、家内は頭を縦に振らない。ミーチャンの腹の大きさからして、二・三匹ではなさそうだ。私は生まれてくる子猫の始末に心を痛めていた。

「せめて一度ぐらい、ミーチャンの望みを聞いてあげたいわ。子猫の貰い手は私が探すから」と家内から懇願されてミーチャンの出産を許すことにした。避妊の手術は出産後にやることで意見がまとまった。

 私はミーチャンを我家で飼い始めるまで、猫に対するイメージは良くなかった。身勝手で、恩知らずだとばかり思っていた。ところが、思い違いもいいところだった。家内と私とでは鳴き声まで違う。家内の足音を聞きつけるなり、私の胸の中にいても、するりと抜け出して、玄関まで迎えに出ていき、甘い声で鳴く。近所へ家内が出掛けていくと、歩幅に合わせて後をつけていく。フンだって決められた所にしかしない。

「私達こそ、大吉やミーチャンを見習うべきだわ」と家内は口癖のようにいっていたが、ミーチャンの子育てを見るようになって、私は一層、そう思うようになった。ミーチャンの好物である鰹節をやっても、子猫が食べ残さない限り、自分は口をつけようとはしない。子猫が外で遊びほうけているから、今のうちにとミーチャンに鰹節を与えるのだが、甲高い声を上げて子猫たちを呼び戻す。ミーチャンは子猫達が舌なめずりをしながら食べているのを見守っていた。乳を飲ませる時には、体の弱い子猫ほど、乳の良く出る乳房につけさせる。ミーチャンは子猫から顔を踏まれようと、蹴飛ばされようと構うものではない。目は閉じていても、耳は敏感に反応していた。

 私はこうした我が家の住人の中で、人間の言葉を喋らない者たちから、今、忘れ去られている人間の生き方、または、あるべき姿を教えられることが多々あった。

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