けい子がたどった道3
<中学校時代>
中学1年のクラス編成って、小学校6年の担任が編成してた。うちの学年は全9クラス。40人近い生徒を9クラスに分けるから1クラス4人くらい?どんな思いで編成したのか知らないけど、なんでこいつと?って感じだったと思う。
1年4組>
真面目なクラスだったな。何せ先生が厳しかったから。埼玉の学校なのに群馬から来ていた。。。まあ埼玉に近い群馬だったからね。教科担当は体育。超細い体に長いワンレンの髪。髪を1つに束ねない。顔は目が吊り上がってて、かわいいより美人系。初対面だと怖がられそうな顔だわ。熱血なところがあったな。というより、あたしの言うことは絶対!だったから、逆らえないよね(笑)
小学生のときに地区のリーダー研修に参加して知り合った、Kちゃんと同じクラスになって2人で一緒にいた。名前の頭が”K”で「Kちゃん」。あたしは”とうま”という苗字で「とうちゃん」と呼ばれてた。
Kちゃんそこそこかわいかったから、あたしなんてお飾りだね。しかもバレー部で、バレー部ってなんか強い女達&先生にひいきされるタイプの塊。バスケ部同様。人目に付きやすそうな人たち、という目で見てたわ。積極的に友達になりたくはない。。。それは置いといて、、
Kちゃんのお母さんは小学校の先生。お父さんは建築士?なんか心が裕福な感じ?2人とも大卒って感じだし。
うちのお母さんも小学校の先生だけど、金なくて昼間仕事して、偏差値高い高校へ行った夜間だし、短大出身だし、お父さんは高卒で今でいう近所の偏差値最低のドン引き高卒よ。頭脳で勝負するっていう意味が一般と違くえ、勉強じゃなくて宴会部長的な頭脳ってとこだよ。
このとき、なんか知らんが先生にかわいがってもらって、後半は学級委員になって活躍した。熱血だったから、音楽祭とか体育祭とか球技大会とか優勝狙ってたな。音楽祭のときなんて、優勝するためにどうすればいいかとか、考えさせられたり、放課後練習云々とか、出たくないやつを出させるようにするとか、なんかそういう学園ドラマ的なことをやってたな~。
勉強も頑張った。1年4組の時は。1学年の全体の順位と1年4組の順位を出されるから、自分でもどのあたりにいるのかわかって、必死こいたな。でも学年で約360人中30番が最高。それ以上はいかなかった。クラスでも38人中5番以内には入れなかったように思う。悪い時で2桁前半。わい頑張ってた。マジで。勉強の計画立ててさ、毎日復習してたもん。
このころになると、おかあさんの夜の勉強もないし。ってかお母さんが勉強教えられないだろうし。自主的に勉強してたから何も言わなかった気がする。1年4組のときはね。自分の仕事に没頭できてたんじゃないかな。
小学校高学年くらいから、お父さんが頻繁に帰ってきてた。新幹線できたからね。転勤時は、まだ新幹線がなかった!!妹とお父さんと3人でお風呂に入ってた。お母さんに強制的に言われて。すっげーやだったよね。胸隠しながら入った覚えがある。お父さんって苦だった。土日に帰ってくるから、すべてがお父さん優先、テレビもご飯もお風呂も。大黒柱だから当然なのかもしれないけど。
手伝いもしないといけないし、おかずができたらおかあさんがうちらを呼ぶ。そして運ぶ。いっぺんにできればいいけど、キッチンと食べる部屋が違うから都度都度呼ばれ、うちらはゆっくりテレビも見れやしない。お父さん様様~という雰囲気。苦手だ~。外でお酒飲んでは、豪酒で、暴れることもあったし。どこが偉いんだろ?って感じだったけど。全く理解ができなかった。
Kちゃんの影響もあって、同じ塾に通うことになった。隣の市だったから行きはバス。Kちゃんは、国数英ともに上のクラスだった。私が同じクラスになると思っていたと思う。しかし入塾したあたしはそこまで頭よくなかったから、せいぜい中のクラスか、科目によっては下のクラス。塾のテストの成績によって変わる。クラスの席も成績順。すべてが成績だった。英語は学校でも成績良かった。塾でも数回だけ上のクラスになったけど、ついていけねかった。宿題も多いし、むずい。今思えば受験のための進学塾だったんだなって思う。そういやその塾の向かいには、今や有名な東進ハイスクールがあったな。かあちゃんは、そこでも先生にかわいがられてたな。塾で他校の友達もできて、ませた中学生がいっぱいいた。頭のいい先輩にお熱とかね。Kちゃんもその類だった。
行きはバスで行くんだけど、間に合わないときもある。バス停まで歩いて10分強。田舎だったから冬なんて寒くて。風が吹きっさらして、バス停の大きい通りが見える場所まで来ると、そこは畑。だから、バスが走ってるのが見えると、
全速力で走る。大声で叫んでバスを止めたこともある。目の前でバスが通過するのを見たこともある。その時は家に戻るしかないよね。お母さんが帰ってきて、送ってもらうことになるんだけど、怒られる。
毎日のように仕事を家に持ち帰ってたし、お母さんにとってはその時間、行き帰りで約1時間のロス。そん時は、帰りがバス。塾が終わった時間に迎えに来てもらってた時、あたしがいつまでも友達とくっちゃべってなかなか車に乗らなかったら、めっちゃ怒られた。確かに怒りたくもなるよね。このときのお母さんって余裕がなくて、いつもイライラしてた感じ。で、こっちが悪いわけじゃないのに、虫の居所が悪いと、矛先はこっちにくる。たまったもんじゃないわ。妹が悪くても怒られるし、あたしのせいでも誰のせいでもないのにこっちが怒られる。ビクビクしながら、今日の機嫌はどうかな?って顔色チェックするよね。
怒られたら畳込まれ、反論なんてできないから、泣くしかない。何が悪くて怒られてるのか理由がわからないときもある。悪いから悪い。ダメだからダメ。えーー?なんでなんでなん?
あたしより、妹のほうがかわいんだ!って思わせる事件があった。塾に通ってるときに、バスの中でソニーのウォークマンで音楽を聴いてた。まだカセットの時代。それは隣に住んでる親戚のお姉ちゃんに借りてた。買ってもらえると思ってなかったから言わなかった。我慢してたんだ。であるとき、買ってもらえることになった。で、あたしだけが買ってもらえると思ってた。買いにいったら、妹があたしもほしいと、ダダをこねだした。
な、なんと。お母さんは買ってあげた。
あたしはこのときのことを、一度も忘れたことない。一度も妹のダダこねを許した母親を一度も忘れたことない。あの時のなんかわかんない屈辱。まだ小学生なのにウォークマンもつってか!あたし我慢してたのに!ダダこねたらあたしも買ってもらえたのか?絶対そんなことない。あれは妹だからだ。お母さんは、感じてないかもだけど、妹には甘かった。お父さんも。妹に言われたら、聞いちゃうみたいなとこ、あった。意味不明。。。
あたしにはいつも厳しかった。妹には甘かった。それは今後もずっとあたしの中で続いてく。このウォークマン事件。大人になってからお母さんと妹と一緒にいるとき、この話をしたことがあった。でも2人とも覚えてない。おかあさんなんて、
それ言われて、また傷ついた。あたしが熱くなって話すと、笑ってごまかすところがある。それがまたあたしを苛立たせる1つの要因になる。真剣に聞こうとしないところが腹立つ。一緒に考えてくれないところが腹立つ。いい加減に思ってるようで腹が立つ。こっちだって真面目に話してわかってほしいから話してるのに、結局お母さんは、聞かない。いや、もしかしたら聞いてるけど聞かないふりをしてるだけかも。
あたしからやりたい、と言ったことは何でもやらせてくれた。そろばん、塾、ピアノ、フルート、習字。でもあたしの気持ちを聞いてくれたこと、あたしの記憶には一度もない。
一番聞いてほしい人に聞いてもらえなかったこの気持ちは、一旦表に出さないように隠すが、ある時期から一層強くなっていく。
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