こだわりの理容業

  • 少年時代はスポーツ大好きな少年。

スポーツならなんでもマルチにこなしたい性格の持ち主だった。

その時代、中学生男子は「丸刈り」が当然な世の中。かっこよく服を選んで着こなそうにも丸刈り頭にニキビ面にはどうしても似合わない。 まぁ、元気に外で遊ぶ方が似合っているから仕方ないのだが。

高校生になってからは髪も伸ばせると思いきや入った部活の方針で2年生の春までは結局「丸刈り」。

その後、髪をカッコいいスタイルにしようとしてもせいぜいスポーツ刈り程度で、お洒落などというものにはほど遠いものだった。 性格は?と言われてみれば確かにそれほどお洒落に関心がなかったのかもしれないが、テレビで芸能人を見てあこがれも抱いていたことも確か。

将来の夢、進路を考えなくてはならない18歳。企業の就職試験を受けたもののあっさり不採用。

さて、どうしたものか・・・


  • 「手に職を持つのも1つの選択肢」

当時相談にのってくれた叔父からの一言がきっかけで人生の進路を再度探しはじめる。 手先は細かい事をするのは好きなのだが、人との会話が非常に苦手な自分は会話が少なくてすむであろう職種を探しはじめたのだ。

たどり着いたのが『理容師』という道。

あとから思えばこんなにも会話が必要な職種だとは思いもよらず・・・なぜ理容師を選んだのかは自分でもよくわかっていない。 おそらく、黙々と仕事をこなしていればいいのではないだろうかと勘違いしていたのではないかと思う。


  • 親元を離れての住込み生活

就職といっても一般の会社とは違う形。 先輩と6畳間での相部屋生活が始まった。 週4日の練習は夜遅くの23時すぎまでやっていた。

一時は体がどうかなってしまうのではないかとも思ったほどだが慣れというのは恐ろしいものでそんな生活も淡々とこなすようになっていった。

シャンプー練習をし始めて3回ほどの自分になんとお客さんにシャンプーをさせてもらうことになる。

常連のお客さんで師匠が弟子のシャンプー練習をさせてほしいと頼んでくれたのだ。 かなり緊張しながらのシャンプーだったのではないかと記憶している。

「だったのではないか・・・」と言うくらいだから頭の中は真っ白。

そのお客さんがお帰りになる際に「気持ちよかったよ」と言ってくれた言葉はいまでも脳裏から消えていない。

理容の仕事の中で一番気持ちがいい仕事がシャンプー。

決しておろそかにしてはならない大切な仕事だと思う。

 

  • 「ありがとう。」 なんとも嬉しい言葉

仕事を覚え、できるようになるとお客さんからの「お礼の言葉」をいただくようになった。

口下手な自分にとってお客さんとの会話はとても勇気のいることであり苦痛さえ覚えることもしばしば。

そう、会話への苦手意識はこの頃もまだ続いていたのだ。

技術で気持ちよくできても言葉で気分よくできなければただの技術屋になってしまう。

そこへ、知ってか知らずかお客さんからいただいた「ありがとう」の言葉は心に勇気と感動を届けてくれた。

一時期は会話に尻込みするくらいではあったが感謝の気持ちを込めて奮起し、自分なりの会話ができるようにはなった気がする。


  • 理容技術は師匠の背中を見て覚えた。

師匠の技術をまねすることがなんと難しいことか。

お客さんへの気遣いと、なんといっても一番喜んでいただけるのが「自宅で簡単に再現できるヘアースタイル」の提供。 そして品の良さ。

サロンではかっこよくきれいに仕上がってもそれは所詮プロが仕上げたもの。

大事なのはサロンではなくて自宅でもどこでも再現できるということ。

理想は寝癖をとったらドライヤーで自然に乾かすだけでまとまる髪ではないだろうか。


自店を構えて理容業に携わっている今。 この「自宅で再現できる」というところは技術面で一番こだわっているところである。 そして「ありがとう」の言葉に応えられるような会話を目指したい。


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