① 無一文で離婚した女が女流官能作家になり、絵画モデルとなって500枚の絵を描いてもらうお話「東京に出発」
(これからどうやってこの子を育てて行こう…)
神戸の小さなアパートで、すやすやと眠りについた5歳の息子の顔を見ながら、私は途方にくれていました。
その時私は30歳。
離婚して、奄美大島から故郷の神戸に帰ったばかり。
幼い子供をかかえて、職なし金なしあてもなし。
大ピンチの生活だったのです。
他人から見れば、絶対絶命的、貧乏生活!
故郷と言っても、親からは、
「あんたは親の反対を押し切って、勝手に結婚して勝手に離婚したんだから、あてにしないでくれ」
と突き放されていました。
天涯孤独です…。
小さい子供をかかえて、働くことも困難だし、お金も底をつきそう。
これからどうやって生きていこう…。
その時、ふっと思いついたのです。
文章を書けば、お金になるかも知れない…。
実は独身時代の20代の初め、私は大阪の繁華街の高い陸橋から酔っ払って転がり落ち、怪我をして自宅療養したのです。
友人と飲んだ帰り、着ていたドレスの長い裾をヒールで踏んでしまったのでした。
救急車で病院に運ばれて、3日間の入院生活。
さいわい大きな怪我ではなかったのですが、退院後も一ヶ月は外に出られなかった。
療養していた私は、
(小説を書いてみよう!)
思い立ち、官能小説を一本書き上げたんです。
なぜ官能小説にしたかといえば、なんとなく書けそう…な気がしたから。
送ったところ即採用されて、翌々月には掲載された月刊誌が送られてきました。
「これからも送ってください」
と手紙が添えられて。
ところが、顔の怪我もすっかりなおると、小説のことなどすっかり忘れてしまった。
日々の仕事や恋愛に、とても忙しかったから。
旅行業界紙の記者をしていました。
今も思うのですが、私がもし、仕事をばりばり続けていたら…経済的に困らない裕福な奥様だったとしたら…。
絶対に小説を書かなかっただろう、と断言できる。
しかし、その時、離婚して5歳の子供と小さなアパートで暮らし始めた私は、心底お金に困っていた。
そこで、
(小説を書いてみたらどうだろう! これなら家にいてもできる仕事だし)
と思いついたのだ。
6時半に夕飯を食べ、9時に子供を寝かせてから、夜中の12時過ぎまで原稿を書いた。
2ヶ月間で、官能小説一本、官能告白手記一本、「石鹸にまつわる思い出」のお堅い懸賞論文を一本。
祈るような気持ちで、郵便局から送った。
結果、すべての原稿が採用され、原稿料が手に入ったのだ。
官能小説雑誌の編集長からは、電話ももらった。
(いける! これで生活していけるかもしれない)
採用してくれた官能小説の出版社さんは、すべて東京だった。
(これは、東京に行くしかない!)
思い立ったらそく即実行!
お金をかき集め、私は東京にアパートを借りることにした。
その頃神戸ではちょうど、働く母のために、一時的に福祉施設に子供を預かってもらう制度が発足していた。
母親が出張や病気で入院した時に、利用できる。
それを利用して、子供を預け、私は一人東京にアパートを探しに行った。
時はちょうど、クリスマス期間。
12月の22日に預けて、24日に引き取りにいく。
新幹線で東京に出発。
まったく見知らぬ町。西も東も北も南もわからない。
電話帳でさがした格安ビジネスホテルに泊り、格私鉄沿線の駅前の不動産屋に飛び込んで、安いアパートを探した。
家賃はなにがなんでも3万円代。
ところが…5歳の男の子がいます、と言うと、
「子連れの方はだめなんです」
軒並みすべての不動産屋で断られてしまった。
(こ、困った…どうしよう!! 東京はなんて冷たい町なんだっ)
と町にやつあたり。
昼の新幹線でもう帰らなければならない。
せっぱつまった私は、最後に飛び込んだ不動産屋さんで、
「子供はいるけど、母に預けて私一人で上京します」
と嘘をつき、6畳一間のアパートを契約してしまった。
(不動産屋さん大家さん、ごめんなさい)
実はその部屋を見に行った時、階下に住む人が子沢山な家庭だったので、
(このアパートなら、やっぱり子供あずけられませんでしたと連れてきても、なんとかなるだろう)
と思ったのだ。
ほっとして神戸に帰り、子供を福祉施設に迎えに行った時は、夜の八時だった。
真っ暗な夜の街。
坂の上の建物に明かりがぽつんと灯っている。
おりしもクリスマスイブの夜だったのだ。
施設の入り口には電飾で飾られた大きな樅ノ木。
子供は多勢のお友達と一緒に食堂にいて、サンタさんもいた。
テーブルには、もう食べ終わっていたが、ご馳走やケーキがのってた皿や小鉢が並んでいる。
やさしい保母さんに手をひかれて、子供が私の前にやってきた。
「ただいま!」
と抱き上げると、子供ははにかんだ表情で笑っていた。
お礼を言って、福祉施設をあとにする。
暗い坂道を子供と一緒にくだりながら、
「サンタさん来たんだよね、よかったね」
話しかけると、
「そうだよ!」
子供は目を輝かせ、
「ゲームしてケーキ食べて…保母さんが抱っこしてくれて、みんなで遊んだ!」
嬉しそうに語った。
そうだ、イブの日でも、生まれてこのかた、ずっと二人きりの母子家庭だった。
子供は寂しかったのだろう。
だから、お友達や保母さん、サンタさんと過ごした賑やかなイヴが楽しかったにちがいない。
「東京にね、お部屋が見つかったの。必死で探したんだから」
「ママ、頑張ったんだね」
「そう、これから、みっ君と東京に行って暮らすんだよ」
「東京…もう神戸にはいないの?」
「当分はね」
漆黒の夜の空にはイヴの満点の星。
遠くにまたたく無数の星。
さて、東京での生活、どうなりますやら…。
どうか東京でうまく行きますように。
祈らずにはいられなかったーー。
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ユーチューブに絵をアップしています。
絵画モデルM子
https://www.youtube.com/watch?v=K2LlW0h-huA
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