インドネシアの会社が4年目に突入。それでもまだ僕は生きている。

前話: インドネシアで起業することを決めて2年が経つ。僕はまだ生きている。(後編) 〜2年が経った今〜

早いものでインドネシア4年目を迎えました。


2017年5月でインドネシアの会社は満3歳。

僕もジャカルタで生活をはじめ会社とともに4年生になりました。

そして気づくと先日34歳へとまたひとつ歳を重ねることができました。

まだ独身です。

おでんが好きです。



さて。前回会社設立から1年経過した時点で赤裸々な記事を書きました。

非常にたくさんの反響をいただきまして、

記事をたよりに日本からジャカルタまで会いにきてくれる方もいたり、

現地で初めてお会いする方に「記事参考になりました」なんて言っていただいたり、

ぼくの経験が誰かの心に届き、めぐりめぐって跳ね返ってくるんだな。と思ういい機会でした。


あの時からさらに2年が経過し、

事業の方はマーケットの強風に晒されながらも、低空飛行から上昇気流にのるようなタイミングにさしかかっております。この2年間の軌跡を思いかえしてみました。



記憶に残っているエピソードを綴ろうと思います。



現在僕を入れて8名のメンバーで事業をまわしています。

2年前、3名だったんですが8名になりました。

少数精鋭で一騎当千の活躍をしてくれるメンバーに支えられています。


女性が多く活躍する職場です。

また、インドネシア4年目にして初めて僕以外に日本人がジョインしてくれました。




そう。2年前の話。

当時、インドネシアの会社は売上が限りなく透明に近いゼロでした。

経営会議に出席するたびに胃が痛くなりながらも、

明るい未来がすぐそこに来ている、

と、期待値を上げながら株主(様)へ愛と幻想を語っていました。


コストは可能な限り抑える努力はしている。

限られたリソースで積極的にアタックできている。

マーケットも伸びて来ている、見込みも着実に増えている。

しかし売上があがらない。




「人を増やそう」

とにかく活動量を増やそう、

もともと質を追求し少人数で運営することを良しとする経営ポリシーであったので、

この考えは逆行することはわかっていましたが、

両手で数えられる月が過ぎると資金がショートする可能性がある。

勝負しよう。それによって寿命が縮まるかもしれない。

このまま守りに入っていても状況は変わる保証はない。

どうせなら今やれることを全部やろう。



焦りもあったのは確かですが、

人を増やしてできることを脳がとけるほど、字のとおり寝ながら夢の中でもシミュレーションし、売上が上がる道筋を何度も考え抜きました。


そうして、すったもんだありながら(強行突破的に)人員増加へ向け採用活動をはじめ、

増員をしました。



僕たちの会社のグループにはインドネシア含め海外法人が6ヶ国にあります。

それぞれ立ち上げ時期はこの5年以内で、事業環境は国により違いますが提供サービスは、

同じコンセプトのプロダクトを扱っています。


インドネシア法人は、この増員により、

グループの中で売上が一番低い法人ながら、

一番多くスタッフを抱える法人という構図ができあがりました。



そして、新規メンバーとともにマーケティング戦略を実行しました。

やったことは自分が信じられる方法。何も新しいことはなかったのです。


日本の営業スタイルに立ち返り、

3ヶ月間をかけてインドネシア企業5,000社に飛び込みました。

毎日のKPIを追って、確率を割りだし少しずつ方法を変えながら。


700社の担当者へ繋がりました。

150社プロポーザルを出しました。

70社のキーマンに接触できました。

そして、複数社と契約締結ができました。



そのうちの一社、

業界大手との契約がインドネシア事業を上昇気流にのせるきっかけとなりました。

まったく安心できる状況ではなかったですが、首の皮が繋がった感覚でした。


そして、こうして時間をかけて数百社の企業との接点が持てたことによって、

今まで僕たちが狙っていたターゲット市場の少し横に、

さらに大きな市場があることに気づきます。

営業方針をシフトすることになりました。


その後、今では顧客の過半数以上が新規市場からの獲得となっています。

あまり詳しいことは書けずわかりづらくてすみませんなのですが、

ようやく市場を掴み、市場が応えてくれている状況となってきています。


長いこと我慢の時期が続きました。

いや、まだ我慢の時期は抜けていません。

が、体力は養われ、勝てる戦略があり、明確な方向性が見つかったという点では、

今後も戦い抜けるベースができあがったと思っています。


そして、2017年、今期。

事業拡大に伴い、システム投資、人員増強等を目的とした増資を完了させ、

株主構成の変更に伴う役員人事もあり、僕をPresident Directorとして新体制をスタートさせました。



今思い返すと、「あの時あの判断をしていなかったら」と思うことが多々あります。

しかし、その時点で最良な判断、自分が信じられる判断を繰り返していけば自ずと道は拓けていくのだと強く思っています。

何もしない後悔が一番苦しいのだと思います。

これからも強い自信と謙虚な気持ちをもって、市場と真っ向戦っていく所存です。


2016年度のグループアワードでインドネシア法人が表彰されました。

全メンバーの努力が報われた嬉しい瞬間。

そして僕がインドネシアで事業を始めた時からの一つの目標であった、

現地メンバーを報償旅行で日本に連れていくということが叶いました。

(表彰者全員ジャケット着てたのに1人シャツでごめんなさい。笑)



2年前、本当に苦しかった時期は諦めるという感覚がいい意味で麻痺していて、

1年くらいかけて会う方会う方に、

「事業は絶好調でヤバいです」

「市場の追い風がヤバいです」

「ポテンシャルしかありません、ヤバいです」

などと前向きなヤバい言葉をたくさん使っていました。

いま考えると根拠なさすぎてヤバいです。笑


ただ言ってしまったらあとはやるしかないと、自分を保つために追い込んでいたのだと思うし、

実際にやるべきことはやってきた自信もあり、笑顔でハッタリかましていました。


そして、そこから想いを口に出したことが、カタチになっていく光景を目の前で確認できたのです。

これは、僕にとって貴重な経験で、今もこれからも大事にするものです。


脳がとけるほど考えぬく、

考え抜いた想いを口に出す、

口に出したことを愚直に実行する、

実行すれば自ずと成果はやってくる。


むしろこれで何も成果を生まないのなら、

すがる必要はない、次行こう、というシンプルな発想。

口に出しているとけっこう周りの方々も助けてくれたりするので、

本当にありがたかったし、口に出さないことのもったいなさほどヤバいなと思いました。


ということで、ヤバいヤバい言ってますが、

また1年、最高の成果を出していこうと思うので、

皆様引き続き見守っていてください。

感謝。





あとがき。

感の良い方はお気づきかもしれませんが、

途中「村上龍」的な文章がありましたが、2015年にカンブリア宮殿という番組で事業を取り上げていただいたので少しインスパイアされた結果、このような伏線の表現となりました。

僕の好きな作家さんです。




あとがきのあとがき。

34歳になりました。会社の誕生月と僕の誕生月が同じなので、5月は特別思い入れの深い月です。

来年はなにかと節目な35歳。事業も人生も一つの転換期となるよう今年1年仕込んでまいります。


今年に入り健康を意識し生活に新しい習慣を取り入れています。

体幹トレーニングを毎日続けること。

体重の変化が激しかったのですが落ち着き、胃腸が強くなり姿勢も良くなってきました。

あとはショートスリーパーからの脱却を目指しています。


次回の更新(また2年後)の時には新たな成果や、環境が変わった新しい自分がそこにいると思います。

そんな自分に期待しつつ筆を置きます。



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