たそがれ
たそがれが綺麗だった。
私は夕方を少し過ぎた公園のベンチで寝転び、一日にそう長くもなく、やがてやってくる夜への橋渡しの刹那の時間の儚さを感じていた。
死ぬ。
たぶんもうすぐ、私の身体は呼吸をしなくなるだろう。
首が変な形に折れ曲がっているのが、自分でもわかる。身体の重要な器官のどこかが壊れたに違いない。
こんなことなら、達也のやつともう少しデートしとくんだった。
私は、ついさっきまでSNSでやり取りした彼との通信記録のあるスマートフォンを握り締めながら思った。
雨上がりの人のいない小さな公園、ぬかるんだ歩道、古くさいベンチ。
急いでいたくせに手放せなかったスマホの画面。
ああ、もうだめだ。
私は記憶がだんだん黄昏の中に埋もれて行くのを感じた。
「だから絶対に口外してはならないのですよ」
丸メガネのサラリーマンふうの猫背の男は、慎重に言葉を選びながら言った。
「だって、これ」
私はただ、あいも変わらず同じ台詞を繰り返した。
何故なら死にかけた私の目の前には、本来人があまり目にすることのないモノがあったのだ。
「私、生きてるんですよね」
丸メガネの男は、ふう、と息をつくと私を見据えた。
「ま、混乱するのも当然ですが、はい。正真正銘、生きてます。」
頭頂部が少し禿げ上がってはいるが、意外と若いのかもしれない男は、別に慰めるふうでもなく言い切った。
そうか、じゃあまた、達也とデートできるんだ。
「あいた」
立ち上がろうとして、私は首に痛みを感じた。
「頭と首をベンチの角で強打したようです。命に別状はありませんが、ちゃんと治療した方がいいですよ。」
男が私を見上げて言った。
「お医者さんでしたか」
私は首を押さえながら男に聞いた。
「専門外ですけどね」
疫病神を見るような目つきだ。
いや。
無理もない、彼にとって私は、疫病神そのものなのだから。
「いいですか、絶対に口外してはならないのですよ。」
男は念を押した。
私と寸分違わない、全くそっくりの精巧なアンドロイドを見つめながら。
男の車を降りた私は、昨日と同じ公園にいた。
私とそっくりなアンドロイドはどうなるのだろう。
私が死ななかったということは、お払い箱なのだろうか。
あの丸メガネの男は、偶然ここで私を見かけたと言った。
もちろんベースはあったにせよ、あんなモノを短時間で作れるのだろうか。
ええい、忘れよう。
あの男も言っていたではないか。
これは決して公表できない、秘密裏のプロジェクトなのだと。
全ての人間が、永遠に生き続けるための崇高な理念と計画の下に。
だめだ、思い出すと小難しい単語の切れ端しか出てこない。
でも、よかった。
生きていることが、も、そうだが。
今まで忘れていた、この刹那の時間を思い出させてくれたことが。
私は、私が死んでいたであろうベンチに腰掛け、空を見上げた。
もちろん、ぬかるんだ地面に足を取られないように注意しながら。
やっぱり、たそがれが綺麗だった。
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