30代半ばのオッサンが起業した話 復活編

前話: 30代半ばのオッサンが起業した話 破綻編2

目のまわるような日々

妻から言い渡された一言から、会社の資金繰り・立て直し・事務作業・事務所移転に加えて、妻への説得作業が加わった。

正直、今家を出るとなると、泊まる所を確保しなきゃだし、第一金銭的にも時間的にも、そんな余裕は無かった。


この頃がメンタル的にも一番滅入ってた頃だと思う。

経営コンサルタントが現れて。

コンサルタント:「社長、今現在、社長には生命保険が掛けられています。社長が亡くなれば、その保険金で借金は全て返済可能です。15:13にJR新小岩駅に快速電車が来ます。それに飛び込んで下さい。後のことは私がやっておきます。」

なんて言われたら、俺は間違いなく飛び込んでたと思う。

特に人生に悲観してとか、そういう訳ではなく、会社を精算する一つの手段としては、アリだと思っていた。実際、生命保険の担当者に自殺した場合、保険金がいくらになるかも問合せていた

結論から言うと、自殺してチャラにするのではなく、保険を解約し運転資金に回し、生きて地道に返済していく道を選んだ訳だが。


自分がやりたくないことをやる

一通り固定費の削減も完了した。

ただ、売上を拡大しないと資金がショートする。

色々考えたあげく、自分が一番やりたくないことを、あえてやることにした。

(過去の経験から、そうすると上手くいくことが多々あったから)

業務委託契約の客先常駐、SESと呼ばれるもの。

もちろんエンジニアとして。

もうプログラミングなんて1年以上やってない。現役の頃は、書くのも早い方だったし、割りと自信もあったが。

もう40歳も過ぎた。一般的にはエンジニア(プログラマ)は45歳までと言われている。

俺はまだ通用するのだろうか?

試してみたかった。

早速、SESを専門にやっている会社に登録し、早速面接するも、結果はさんざんだった。
この頃は、会社のこともあったし、結構落ち込んだ。


暗く長いトンネル

会社の売上拡大の為に、何とか今までと違うことをやらないといけない。

それに加えて妻への説得を続ける。

説得する、というより、色々話を聞いた。

が、妻の口から出る言葉は、俺への罵倒と経営者としても父親としても夫としても否定し続ける言葉だった。

そういう言葉を2週間聞き続けるとどうなるか?
答えは、全く言葉が耳に入らなくなるのである。自己防衛本能だろう。

当時は妻にに対して愛情もあった。

が、いつしか憎しみしかなくなるのである。それは、子供への愛情を超えるのである。これが俺が離婚を決意した瞬間である。


身の程を知る

会社が好調だった頃、色んなモノや地位を手放して、会社を倒産させる気分ってどんなんだろう?

生活水準を落とす気分はどんなんだろう?

と考えたことがある。きっと惨(みじ)めなんだろうな、と。


俺は、このたった数週間で本当に多くのモノを手放した。というか、失った。

でも、俺はこの時、こう考えるようにした。

今の俺には必要無いモノなんだ。身の程に合ってないんだ。』

そう思うと、自然と今の現実を受け入れられた。

今の俺にはポルシェも、割りと大きな事務所も、社員も必要ない。そして、家族も


第三の柱となる事業

この頃は、いったいどれだけの時間、日繰り表を見ただろうか。

会社で何かの支払いが発生したら見て、家では何とか打開策がないか見た。

(実際に夢にも出てきた・・・。)

何かの仮説を立てて、シュミレーションがてら数字を入れ替えたり。

とにかく削れる固定費は徹底的に削った。あとは売上を拡大させるしかない。


そこでSES(業務委託契約の客先常駐案件)をやった場合でシュミレーションをする。

すると見事に資金のショートが無くなり、8月から黒字化することが分かったのだ。

早速2社目の面接を受けたが、早々に内定を頂く。

結局5月下旬から働くことが決定した。

それと同時に、創業以来2回目の軌道にのることになる。


第三の柱となる事業は、年初の目標にもしていたし第3期目から目標にしていた。

思わぬ形で実現することとなる。


軌道に乗る

不思議なのだ。上手くいかない時は何をやってもうまくいかない。

でも一旦軌道にのると、何もかもが上手くいくのだ。

今まで空回りしていた歯車が上手く噛み合っていく感じ。

7月。全く広告費を掛けてない、第1の柱となる受託開発事業。

知り合いのつてで、あっさり受注が決まる。

これで第6期目の完全黒字が確定する。


第2の柱となる自社アプリ事業。

売上も右肩下がりになっていたが、前々からやろうと思っていた施策(約1ヶ月かけて仕事終わりに実施)がドンピシャで当たり、売上はV字回復


最近では日繰り表を見る機会もめっきり少なくなった。

支払う前に、それ以上の入金があるので、見る必要が無くなったというのが正しいか。


経営者(というには今となっては恥ずかしいが)にとって、最大の精神安定剤は資金繰りから開放されることだと思う。


たまたま運が良かった

1回目の会社を軌道にのせた時、俺は絶対的に自信があったし、運などではなく自分がやったことの結果だと信じて疑わなかった。

それは、他人からすると『天狗になっている』と思われてもしかたないような言動をとっていたのかもしれない。実際、そう指摘されたりもした。


今はどうだろうか?

銀行の差押えまでなって、倒産も逃れてV字回復出来たこと。俺の実力だろうか?今は全く思わない。

倒産させて去っていく経営者と俺の違い。

それは、ほんのちょっとだけ、たまたま俺の方が運が良かっただけだと思ってる。神様の気まぐれで、たまたま俺に微笑んでくれただけなのだ。


現状

2017年12月、9年付き添ってきた妻と調停の末、離婚が成立した。
最愛の息子とは、ほとんど会えないが、またいつか、昔のように遊べる日を楽しみにしている。

会社の方は順調で、12月に第6期目の上期の決算が出たが久々の黒字。
完全に復活したと言っても言い過ぎではない。

ただ、個人としては、会社がピンチだった時にひたすら、消費者金融とカードローンから借り入れた1000万近くの借金があるので、ひたすら返済している。
俺は昔から欲しいものがあったら借金してでも買っていたので、全く苦ではない。むしろ励みになる。

これからと夢と

今やりたいことは?

と聞かれたら「特に無い」と答えるだろう。

会社を都内に移転させた2015年10月頃から、ずっと資金繰りという荒波に揉まれてきた。

ようやく海も穏やかになり、幌を張り、わずかながらの心地よい風で船は進んでいるのだ。

今はこの状態を一人で楽しみたい、というのが正直なところ。

まぁ強いて言えば、息子に会いたいかな。


今の状態を2年ほど続け、内部留保(企業のキャッシュ)を十分に増やして、また山手線内のどこかに進出したい(今現在では渋谷に進出予定)。


夢は強いていえば、50名程度の規模で会社を経営をしてみたい。

この位の規模は、起業した者であれば、誰もが憧れる規模ではないだろうか。


気が付けば起業して5年の歳月が過ぎた

誰もが、自分は選ばれし者、必ず世界に羽ばたいて世間を席巻してみせる!最初は、そう思うだろう。

しかし、俺はスティーブ・ジョブスのように革命的な製品を世に出すような才能もカリスマ性もない。本田宗一郎のような情熱で世界に登りつめる人間性もない。

ただの凡人だと気付くのである。


最後に

これは、誰かに影響を与える為に書いた訳でも、この中に強烈なメッセージが含まれている訳でもない。

今から数ヶ月前に実際に起きた、俺にとってはまさに人生の岐路であっただろうことを言葉に残したかっただけ。

この数ヶ月で起こった強烈な荒波は、俺から余計な贅肉(ぜいにく)を奪い去り、本当に必要最小限の僅かなモノだけが残った。

贅肉が取れれば身軽になる、なった。

会社は需要が無ければ終わる。

需要があるうちは続けよう。

今は、そんな気持ちである。


現実は、特にドラマチックでも、必ずしもハッピーエンドでもない。

淡々と日々日常が流れていく。


この荒波で本当に大切なものが、この手からすり抜けてしまった。

でも、また復活して、この手で掴むだけの体力が養えれば、きっと掴み取れると信じている。


株式会社woodsmall

代表取締役CEO 小林 高志

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の小林 高志さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。