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19歳でうつ病になったわたしが10年かかってようやく未来を考えられるようになった話(19歳 精神科入院まで編)

Image by Olia Gozha

精神科を受診する


ストレスからのひどい肩こりを神経内科で診てもらったところ、担当の先生がわたしのおくすり手帳を見て言ってくれました。

「こういう薬を使っているなら、うちの精神科にもかかってみたら?」

ちょうどその当時通っていたメンタルクリニックも合わないと感じていたころでした。

神経内科の先生はとても優しい方で、思わず泣いてしまったのを覚えています。


後日、わたしは同じ病院の精神科を訪ねます。

心療内科と違って、なんて重苦しい響きだろうと思っていました。

待合室にいる他の患者さんも、申し訳ないけれどどことなく陰鬱に見えてしまう。


最初に診てくれたのは若い女性の医師でした。

大学のカウンセリング室、保健センター、そして3つのメンタルクリニックで話したことを繰り返しました。

わたしの話を聞いてくださったその女医さんは、おそらく当時はまだ単独で診療をできる方ではなかったのでしょう、

話を聞き終えて、正直に伝えてくれました。

「わたしでは判断ができないので、上の者と代わります。」と。


この代わりに出てきた上の者、は開口一番わたしにこう言い放ちました。

「うちは紹介状ないと診られないから」

女医さんのように丁寧に話を聞くこともなく、精神科に初めて来たその日にそう言われて、とてもショックでした。

そうですか、とその男性医師の顔を見ることもなく診察室を後にしました。

ショックで、悲しくて、悔しくて、他に何も言えなかったのです。


この時、今でも不思議でならないのですが、わたしは診察室を出た後そのまま、

その病院のカスタマーセンターのようなところへ行って、酷い物言いをされたと訴えました。

幸運なことに、そのセンターの担当者さんがとても丁寧にご対応くださり、診察を受けられることになりました。


ですが、話を聞くこともなくわたしを突き放した男性医師に診られるのはこちらも嫌でした。

わたしは初めに話を聞いてくれた女医さんになら話せる、その方でないと嫌だと意地になりました。

ここで我を通したのは間違っていなかったと今でも思います。

その女医さんが今後のわたしの担当医になってくださいました。


精神科に入院する


担当の先生が決まって、夏になった頃だったでしょうか。

「もう、頑張れないでしょう」と先生が言ってくれました。

その頃は大学にもろくに行かず、アルバイトだけを続け、処方された薬を飲むだけの日々だったと思います。

当時、わたしは19歳。 もうすぐ20歳になろうとしている秋に、精神科への入院が決まりました。


準備したのはミニキャリーバッグひとつだけ。

母は仕事、父とは別居、弟は学校。

入院当日、弟と二人で住んでいたマンションを、荷物を持って一人で出ました。

秋晴れに色づき始めた葉っぱが綺麗な日でした。


わたしは10月生まれです。

やがてやってくる20歳の誕生日、クリスマス、バレンタイン。

恋人と過ごすと思ってばかりいたイベントたちから、離れて過ごせることには正直安心しました。

街で知らない恋人たちを見るたびに、彼を想って、胸が苦しくて潰されそうだったのです。


入院の手続きは事務的に進み、2階の病棟へ上がりました。

病棟と言っても、さして広いわけではありません。

ナースステーション、デイルーム、病室が数部屋、ランドリールーム、シャワー室、お手洗いと公衆電話が1台。

わたしは6人部屋の1ベッドを与えられました。

これからここで、どう過ごしていくのかもわからないまま、入院生活が始まったのです。

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