障害者支援の会社で「利用者として働いていた」時の話

次話: 障害者の私だけども障害者には横暴な人が多いから関わりたくないって話。

就労継続支援A型とはご存知でしょうか?

多分知らない方のほうが多いかと思います。

「障害者にその都道府県の最低賃金を保障して、障害者も仕事ができる」

というなんと親切な会社なのだろう。 と思うでしょう。

最近だと私の住むところの近くだけではなく、全国的に就労継続支援A型の会社が増えています。



実を言えば、私は現在、3つ目の就労継続支援A型の事業所で働いているところです。

というか、二十歳で専門学校を卒業してから一般の会社に勤めたことはなくて、就労継続支援A型事業所のみでの就労経験しかありません。


私は6歳の頃に発達障害と診断されて、服薬とカウンセリングと理解のある小学校の先生方の協力と、ツンデレな両親の程よい愛情(?)を受けて発達障害自体の症状はだいぶ改善してきました。(と医師からも言われています)


しかし、専門学校在学中の19歳の時にインターンシップで行った百貨店での社員さんからのひどい嫌がらせ(とはいえ現在その百貨店は倒産)があったり、一人の講師からのアカハラに遭い、思い出の遊園地の近くにある橋(地元有数の自殺名所)から飛び降りようとしていたところを警察に保護され、パトカーに乗ったらしいですが、私は全く記憶にございません。嘘ではありません。本当になぜそんなことをしたのかわからなかったのです。


自殺は未遂に終わったものの、死にたいという気持ちは依然あって、精神科に通院することとなりました。

それで、警察から紹介された病院から「障害者手帳を取得して就活をした方がいいですよ」とのことだったので、二十歳の誕生日に障害者手帳の取得をしました。

というのは、両親の猛反対にあい、二十歳まで申請出来なかったのです。

あの時の二十歳になるまでの三ヶ月間はとっても長かったです。


でも、手帳を手にしたのは2月下旬。

私の誕生日は11月はじめで、障害者手帳の新規取得は大抵3ヶ月はかかるとのことで、しかも年末年始を挟んだので、普段より長くなってしまったようです。


2月だともう、大抵の会社の募集は終了してますから、ハローワーク主催の障害者手帳所有者向けの就職面接会に参加しました。

そして、1件目の就労継続支援A型の会社に就職が決まりました。

1日8時間勤務で給与は約10万円の正社員です。有休消化についても徹底していて「利用者」ではなく「障害者職員」として障害者も健常者も分け隔てなく仕事をするという環境でしたが、やっぱり、専門学校在学中のように夢に向かってみんなで進むというよりは、それぞれが足の引っ張り合いをするレベルの低い職場というのが正直な印象で、自動車部品の製造だったので、肉体的にもかなり負担があり、その会社は1年半で退職しました。



1件目の就労継続支援A型は私にとっては重労働でした。
実際8時間勤務は難しいとのことで、半年間療養した後に別の就労継続支援A型を探すこととなりました。

半年間は体の痛みのみではなく、死にたい気持ちもピークになり、睡眠薬と抗鬱剤の服用もこのころから開始しましたが、半年くらい経過して薬の効果もなんとなく実感できるようになって、症状が安定してきたので、二つ目の就労継続支援A型を見学しに行きました。

最低賃金が発生しているらしいのであくまでも「仕事中」ですがスマホやらゲームやら、お茶しながらおしゃべりやら、本当に自由。そして職員は誰も注意しない。

本当にここって「仕事」なの? と思いましたが、

以前の就労継続支援A型のようにがっつり働くことは難しいと思ったので、まずはこの就労継続支援A型と契約することにしました。

ここは2件目の就労継続支援A型だったので、どの就労継続支援Aも、一件目のようながっつり仕事感が当たり前だと思っていて、もっとゆるいところがいいと思っていたところだったので、今の自分にはこのくらいがちょうどいいだろう。 と思ったのです。



二つ目の就労継続支援A型事業所は市街地の古い雑居ビルの中にありました。
市街地なので通うのが便利というのがメリットでした。

最初の三ヶ月くらいは本当に自由だったので私は手芸をしたり、英会話やハングルの教材をしたりでわりかし楽しかったですが、外部企業から内職の仕事を頂いてから事情は変わりました。(学級崩壊状態なので各自が好きな事してます)

これまで放任状態だったので、やっと仕事らしいことができると思いましたが現実は違いました。

毎日が学級崩壊状態で仕事にならないどころか、過呼吸起こして暴れるような人もたくさんいましたから、外注の内職作業は全て、職員さんや仕事のできる障害者がこなします。

サボって遊んでる障害者も、真面目に外注作業をこなす障害者も給与は同じ。

っていうか末端のパート職員は私たち障害者とほぼ同じ給与です。

これはおかしいのでは? と疑問に思い、副社長に相談しましたが、

「みんな頑張ってるし貴方のように早期治療ができた人ばかりではない。多様性を認めなさい」

の一点張りでした。

この状況には職員たちも疲れ果てていて、パート職員のみならず、責任者であるはずの職員も三ヶ月で去って行きました。

私もこの就労継続支援A型をやめたい気持ちでいっぱいでしたが、他に行き場もないので、仕方なく通っていました。

実際、このころ、入居しているビルや近くのビルから苦情が来ていましたが、副社長は

「皆さん頑張っておりますので認めてください。個性ですから」と開き直る始末。

近くのビルは厳重な警備になり、私たちの事業所が入居しているビルは次々と別のテナントが退去していきました。



二つ目の就労継続支援A型に入社して1年ほどたった2017年の夏頃から法律が変わったらしく、

「あくまでも障害者が仕事をして売り上げを上げること」が重視されるようになりました。

というのは、この就労継続支援Aというのは役所からの補助金が美味しいらしく、補助金目当てで障害者をほったらかしというひどい事業所が多いことが問題視されていて、国も本気で対策に乗り出したようでした。


とはいえ、二つ目の事業所に売り上げを上げることのできる仕事はありません。

外注作業も本来は20人で行うものを5人程度でやっていたため、納期の遅れも度々発生して外注作業自体が来なくなりました。


市街地のビルの賃料を払うことも難しくなったとかで、同じ社長が経営している郊外の就労継続支援Aのパン屋さんに移動することになりました。

ちなみにここは、市街地からバスで45分くらいかかりますが、社長所有の物件のため家賃はかかりません。だからしばらくはパン屋さんの方に通勤してくださいとのことでした。

市街地までは30分ほどで通勤できましたが、パン屋さんの方は片道2時間くらいの通勤時間がかかります。


それに、パン屋さんの収入のみでは厳しいようで、カフェや古着のネットオークションも始めましたが売り上げはイマイチです。

「ノルマではなくて目標です」という副社長の言葉で実質強制の自爆営業。

パンはマズイですし、古着は状態の割に高いので、これでは強制でなければ購入なんてしません。


社会復帰のはずの就労継続支援A型に通うことで私の体調はますます悪化していました。

1件目の就労継続支援A型のような重労働ではなくて、

自爆営業や、重度の障害者のお世話係をさせられることなどがかなり苦痛でした。

重度障害者が過呼吸起こして物を投げて失禁した際の後片付け、バスや電車で奇声を発した時の謝罪と落ち着かせなど、すべてが障害者であるはずの私にのしかかってきました。


そして、二つ目の就労継続支援A型を退社して、現在は三つ目の就労継続支援A型で働いています。

こっちは二つ目に比べたら天国のような状態です。自爆営業もなければ重度の障害者もおらず、仕事として成り立っていますし、実際、少しづつではありますが売り上げも上がっています。

それに、一般の会社に就職する場合のカウンセリングなどもわりかし丁寧に乗ってくれるので、今のところは以前よりは充実しています。


ここでは就労継続支援A型を批判的に書いていますが、一つ目や三つ目の事業所のように「仕事」として社会復帰を目指している事業所もありますし、

自爆営業をしなくても売り上げの上げることのできる障害者のみを雇用して、その障害者のフォローをできる職員のいる事業所もあります。

最低賃金で働かされるということには賛否両論ありますが、障害があって体調にムラがあったり、どうしても役所や病院関係での欠勤も多かったりで、一般の会社に就職することは厳しいので

一般の会社に就職できるレベルではないけれど、デイケアに行くほどのレベルではない、社会復帰一歩手前の人の受け皿があるということは非常に助かるので、補助金目当ての事業所はどんどん淘汰されていって、本当の意味での支援をしている事業所のみが残るシステムになればいいと思いました。

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