最愛のビッチな妻が死んだ 序章

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後編: 最愛のビッチな妻が死んだ 第4章

2月14日、バレンタインデー。世界中が愛に溢れたこの日、僕は自殺願望と絶望に包まれた。

ずっと信じていなかった「運命」や「永遠」という言葉を信じてさせてくれた最愛の妻・あげはが先立ったのである。


まだ32歳の若さであった。


彼女は双極性障害を持っており、そのせいで「30歳まで死ぬと思っていた」とよく言っていた。また周りからも「生き急いでいる」「死に急いでる」と評されていた。


自宅で行った葬儀で、参列者はあげはの武勇伝的なエピソードを散々話した。

だが、僕の中のあげははそんなじゃない。あげははかわいくて、家庭的で、料理が好きで、記念日を大事にする、世界で一番の良妻だった。


手を握って寝るとき、あげはは僕の腕が痺れないようにと、自分の手を下にしないとイヤだと笑った。


作り過ぎたごはんを全部食べて「ごちそうさま。おいしかったよ」と言うと、最高に喜んでくれた。


お風呂で髪をシャンプーしてあげたり、髪を乾かしてあげたりするだけで、すごく喜んでくれた。


旅行やディナーに行ったときだけでなく、コンビニやスーパーでさえも、あげはは写メを撮った。「インスタは2人の写真でしかアップしないんだ」。そう笑ってた。


何か僕のためにしたいとマッサージを勉強して、専用のオイルや枕を買って張り切ってくれたあげは。

具合が悪いときに、僕が料理を作ってあげると「初めてキッチンに立った」「あげはのために料理を作ってくれた」と感動するあげは。


花が好きで、季節ごとに花見によく出かけた。

僕はそれまで花に興味はなかったけど、一緒に景色を見て、一緒にキレイだねって共感できるあげはがいることにすごく幸せだった。


星空を見上げるのが好きで2人で天体観測にハマり、星空検定の勉強を始めた。


ピアスやタトゥーだらけのこんな見た目の2人、子供ができたらアメリカンスクールじゃないとイジメられると英会話を始めたり、子作りのため安定剤を減らそうと一緒にヨガを始めたりした。


もし、アメリカに移住することになったら、スキューバのインストラクターをすればいいと、2泊3日でスキューバのライセンスを取った。


事故で車椅子になったとき、僕が車を引くとなぜかニヤニヤしていたあげは。

「こんなふうにあげはがおばあちゃんになっても、共輔が車椅子引いてくれるなら、それもいいかもね。事故して、ひとつうれしいこと見つけた」


「あんなに今日死ぬ、明日死ぬって言ってたあげはが、10年20年先のことを考えるようになった。ホンマ、共輔のおかげや。ありがとう」

あげはの元カレで、身寄りのない彼女のために養父になってくれた太一さんは、目に涙を浮かべて僕にそう言った。


皆、明るくて、ビッチで、ジャンキーなあげはを語り満足している。

あげはがどんだけ慟哭し、苦悩し、平穏を願い、幸せに暮らそうとしていたのか全然わかっていない。

それなのに、聞いたふうな一側面で語られるのが悔しかった。


だけど、じつは僕は、あげはの本当の名前さえ知らない。

昔の話もほとんど知らない。

初対面で聞いた話は忘れた。彼女のイヤがることや話したくないことは知る必要なないと思っていた。

みんなの読んで良かった!