愛猫【あいびょう】、ウゲゲ天野【あまの】と過ごした十年間の物語 (5)
第四章「ウゲゲ天野」我が家の三男坊になる
ウゲゲが、Mさんのお宅に戻っていた頃のこと。
私は、ウゲゲへの想【おも】いと、また、ウゲゲと出会うきっかけをくれた、大ファンのNSP【エヌエスピー】の故、天野滋さんへの感謝の気持ちを、童話にしたいと思っていた。
私の実家は、山梨県の大月市。
母親と、たまたま電話で話している時、私が二十年以上前に入選経験のある山梨日日新聞の「童話」のコーナーが、今でも続いているという話を聞いた。
私は即座【そくざ】に、母親に
「どうしても書きたい童話があるんだけど、応募の方法と、応募先教えて!」
と頼んだ。
物語のあらすじは、最初からほぼ決まっていた。
主人公は「ウゲゲ天野」という名前をつけられたネコ。飼い主の少年が付けてくれた名前を「ふざけている」と気にいらないネコ。
そんなある日ネコの夢の中に名前の由来の人である天野さんが登場。天野さんは、天国の雲の上でコンサートをしていた。
ネコは、天野さんの優しい人柄と、素晴らしい歌声にふれ、感動し、自分に付【つ】けられた名前を誇りに思い、好きになっていくという物語。
私は、ストーリーを組み立て作品を書いた後、何度も推稿を重ねた。作品のタイトルは、「ボクの名前は『ウゲゲ天野』」にした。
私自身のリアルな感情を、作品の中に思いっ切り込め、山梨日日新聞に投稿した。
童話のコーナーに入選した場合も、事前の連絡はない。毎週月曜日【げつようび】に入選作が新聞に掲載される。
皆さん、上手な方ばかりで、掲載されることは、なかなか難【むずか】しい
書き直しを二回した後、入選することができた。
六月十八日の早朝。
「さっちゃん、おめでとう! 童話がカラーページで大きく掲載されてるよ。」
山梨の母親から、嬉しそうに弾【はず】んだ声で電話があった。
さっそく、新聞社に電話をし、
「二十部ほど送って欲しい」
と申し込む。
二日後、掲載された、新聞が届く。
ドキドキしながら、何度も何度も読み返す。
挿絵【さしえ】の猫の顔は、大きな口を開けて笑っている。茶目っ気たっぷりで、愛敬【あいきょう】のある顔だ。
挿絵【さしえ】を描いてくれた先生は、ウゲゲのことを知らないのに、まるで似顔絵のように似ている。
新聞を一部持って、Mさんの家に走った。
「まあ! すごい。素晴らしいですね」
Mさんは、大変喜んでくださった。
私は、この時、Mさんに謝った。
「Mさんのお宅の猫ちゃんは、「兆【ちょう】くん」という立派な名前があるのに、我が家では「ウゲゲ天野」という名前をつけて呼んでいました。ごめんなさいね」
Mさんは、右手を振り打ち消すように、
「とんでもないですよ!可愛がって頂いて」
と笑顔で答えてくださった。
今日は、ウゲゲの声は聞こえない
「兆くんは元気ですか」
「今は、眠っているみたいですけどね……。いつも外に出たがって、鳴き続けて……。私も眠れなくて。やっぱり、疲れてしまいますね」
Mさんは、困ったような顔をなさった。
私は、
「我が家に連れて来てください」
と思わず言いそうになったが、言えずに帰って来た。
我が家に迷惑がかかるからと、外に出ることが大好きな兆【ちょう】くん(ウゲゲ)を、「家猫」にして飼っているMさん。
私は、Mさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
七月に入って間もない頃のことだった。
午前九時頃、電話が鳴った。
Mさんからだった。
「あっ、宮下さんですか。Mです。今、兆【ちょう】くんが、家を飛び出しました。たぶん、お宅に行くかも知れません。よろしくお願いします」
「あっ、はい、わかりました」
受話器を置いて、レースのカーテン越しに窓の外を見る。
「ウワッ! ウゲちゃん」
ウゲゲは、もう、我が家の門扉の所に座っていた。
私が急いで外に行くと、
「ニャ――オ! ニャ――オ! ニャ――オ!」
と興奮【こうふん】したように何回も鳴く。
座って、ウゲゲの背中をなでている私のヒザに、グイグイと頭をこすりつけてくる
我が家の庭にいた頃より、はるかにきれいになったフワフワの毛並み。
ピンと立てた長いシッポを、左右に何度も大きく揺らし、グルグルグルとのどの奥を鳴らしている。
Mさんに申し訳ないと思いながらも、
「ウゲちゃん、会いたかったよ」
と言ってしまった。
しばらくして、ウゲゲと庭にいると、
「すみませ――ん」
Mさんが、あわてて走って来た。
Mさんの話によると、ウゲゲはMさんのお宅の二階の部屋の網戸【あみど】を開けて、そこから飛び降りて、我が家に走って来たらしい……。
「まさか、二階から飛び降りるなんて、考えてなかったものですから……すみません」
Mさんは、そうおっしゃって、ちょっと疲【つか】れたような顔をした。
(大丈夫かなMさん……あんまり、夜も寝てないのかもしれないなあ)
Mさんの様子も気になったが、Mさんは
「御迷惑おかけしましたね。すみません」
とウゲゲと一緒に帰って行った。
しかし、次の日からまた、ウゲゲは我が家に来るようになった。
日中は、我が家にいるウゲゲを、夕方になると、Mさんが迎えに来る。
でも、次の日の朝になると、ウゲゲはまた、我が家に通って来た。
そういう日々が続く
Mさんも困っていたようだ。
「できましたら、宮下さんのお宅で、食事やお水をあげないようにしてもらえませんか……。そうすると、あきらめて、兆くんも家に戻ってくるかもしれません。すみませんねえ……。お願いします」
我が家に迷惑をかけたくないという、Mさんの努力と気遣【きずか】い。
どうしたらいいのだろう……。
翌日。
炎天下の、砂利の敷いた我が家の庭に、食事も水も入っていない器を置く。
我が家に来たウゲゲは、その空【から】っぽの器を見ながら、淋しそうな顔をして、私を見た。
そして、もう一度器をじーっと見て、私を見た。いつものように鳴いてせがむこともない。私は、
「ごめんね……、ウゲちゃん。お願いだから、Mさんのお家に帰ってね」
祈るような気持ちで、ウゲゲに言った
だが、ウゲゲは、Mさんのお宅に帰らず、トボトボと犬小屋の「ウゲゲ天野の家」に入って、日中ずっと過ごした。
夕方になり、Mさんが迎えに来た。
次の日も、ウゲゲは我が家に通って来た。
何もしなくても、汗がにじんでくるような熱い朝。
この日も
「ごめん……帰ってね」
と、やはり水も入っていない空の器をウゲゲの前に出した。
しばらく、空の器を見つめていたウゲゲだが、また、せがむことなく、私の顔を見て、また、トボトボと、「ウゲゲ天野の家」に入って丸くなって眠った。
三日目も、ウゲゲは、朝になると通って来た。
そんなウゲゲの姿を見ていると、愛【いと】おしくて、いじらしくてたまらなくなって……胸がいっぱいになって、泣けてきた。
夕方 、ウゲゲを迎えに来たMさんに、
「すみません、お水だけでもあげていいですか?」
とお願いしてしまった。
Mさんは
「そうですか、申【もう】し訳【わけ】ないです。宮下さんにおまかせします」
と、おっしゃった。
きっと、きっと、Mさんは、私よりずっとつらかったにちがいない。
赤とんぼが舞【ま】い始め、さわやかな風が吹き出した
九月も半分を過【す】ぎた頃【ころ】になると、ウゲゲは一日中、我が家で過ごすようになっていた。
Mさんが連れ戻しても、連れ戻しても、我が家に通って来るウゲゲ。Mさんにお断わりしてまた、預らせてもらうことにした。
Mさんは、我が家の庭に住む、ウゲゲの顔を見るために、何度も訪ねて来てくださった。
夕暮れが早くなり、大好きな星空を見上げても、風の冷たさに頬を隠【かく】す季節【きせつ】。また、寒い日がやって来る。十一月も終わろうとしていた。
ウゲゲが、我が家の庭に初めて来た日から一年。
私はずっと悩んでいた。
夫や息子たちにも相談し、賛成してもらっていた。
今日こそ、勇気を出して、Mさんに言ってみよう……そう、決めていた。
ウゲゲに会いに来ていたMさんに、私は、自分の気持ちを伝えた。
「すみません、お願いがあるのですが……、兆【ちょう】くんを、我が家の子として頂【いただ】けないでしょうか?Mさんが、本当に大切にしている猫ちゃんだと、よくわかっていますが……」
すると、Mさんは、
「本当ですか。ありがとうございます。宮下さんのお家【うち】にもらって頂【いただ】けたら、この子は本当に幸せです」
そう言って、頭を下げてくださったのだ。
心から、ホッとした瞬間【しゅんかん】だった。二〇〇七年、十一月【じゅういちがつ】三十日【さんじゅうにち】の出来事だった。
この日は、ウゲゲが我が家の子になってくれた記念日になった。
縁側にいたウゲゲにガラスの窓を開けて、呼びかけた。
「おいで!」
最初、ウゲゲは戸惑ったような顔をして、右の前足を一歩だけ部屋の中に踏み入れた後、キョロキョロと大きな目を動かして、部屋の中を見回した。そして、左の前足を入れ、後ろ足を二本入れて、
「入っていいの?」
と言ってるような、そんな顔して
「ニャオン? 」
と鳴いた。
あの時から、ウゲゲは我が家の子になった。
我が家の三男坊。
家族全員、心から嬉しい日。
夕方、猫用のトイレと、リビングに置【お】くクッションベットを買って来た
ウゲゲは、とてもおりこうで、その日から玄関に置いたトイレで、きちんと失敗せずにおしっこをし、ごはんをしっかり食べてくれた。
ウゲゲ……我が家の子になってくれてありがとう。
幸せな気持ちがあふれて来て、なかなか眠れない夜。
ウゲゲは、リビングに置いたクッションベットの上で、スーッ、スーッ ……と、小さな寝息をたててくれていた。
「ウゲゲ天野の家」は、大好きな外遊びに出かけた時休めるように、庭のあたたかい場所に置いておこう。
「ウゲゲ天野」―八歳の日のことだった。
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