愛猫【あいびょう】、ウゲゲ天野【あまの】と過ごした十年間の物語 (4)
第三章「ウゲゲ天野」と網戸越【あみどご】しの再会
冬の間、風邪ひとつひかなかったウゲゲ。
あたたかな柔かい日射しが、「ウゲゲ天野の家」に降り注いでいた、四月の初めのこと。
ウゲゲの食欲がない日が、二日ほど続いた。
Mさんに連絡すると、すぐにお嬢【じょう】さんの運転する車で、お二人でウゲゲを動物病院に連れて行ってくださった。
その後、二時間ほどして、Mさんから、
「御心配かけてすみません。軽い風邪だそうです……それで、御迷惑かけますから、しばらく猫を、家【うち】に置いておきますので……」
と電話があった。
それから、ウゲゲがM【エム】さんの家に帰って、十日ほどたった頃だろうか。
Mさんがひとりで、我が家に訪ねて来て、おっしゃったことは、
『これ以上、宮下さんの家に迷惑かけられないので猫を引き取り、今度は家猫【いえねこ】として、家の中で飼うつもりです』
ということだった。
私は一瞬、とまどったが、我が家にウゲゲがいることにより、Mさんに心苦しい思いをさせてしまっていることは確かだ。中途半端な飼【か】い方【かた】をして、いざウゲゲの具合いが悪くなると、結局【けっきょく】、動物病院にも連れて行けず、Mさんに頼ってしまっている。
それに、ウゲゲではなく「兆【ちょう】くん」という名前があり、Mさんの大切な家族なのだから……。
頭ではわかっているのだが、淋しい気持ちでいっぱいになって来る。
それでも、Mさんと、Mさんの御家族が決められたこと……。
「わかりました。また兆【ちょう】くん(ウゲゲ)を連れて遊びに来てください」
と、Mさんに話したが、ウゲゲの顔を見ると、涙がじんわりと出て来て、困ってしまった。
帰宅した長男と次男に、Mさんの話をし、
「ウゲゲには、もう、あまり会うことはできないよ」
と言うと、二人とも、肩を落として淋しそうだった。
毎日、毎日、家族でウゲゲの話をした
「ウゲゲ、今頃、何してるかな」
「Mさん家【ち】で、きっと、幸せに暮らしているよ」
毎回、毎回、同じような会話を繰り返した。
五月になり、「ウゲゲ天野の家」にも、さわやかな風が吹いている。淡い緑色の屋根が光を受けて、いっそう輝いている
ウゲちゃん……、きみのお家も気持ち良さそうだよ。
きみの好きなツツジの木も、緑色の葉をグングンと増やし、鮮【あざや】かになって来た。この木の側で、スヤスヤとお昼ねをしていたきみを思い出す。
何をしても、何を見ても、ウゲゲにつながってしまう。
ウゲゲに会いたい。
Mさんの所に行って、ウゲゲを少しでも見られたら嬉しいけれど、家猫として飼おうと決意したMさんに、迷惑かけるだけだ。
それに、ウゲゲの姿を見てしまうと、もっと未練が残ってしまうだろう。
そう思って、なるべく、Mさんの家の前の道路を通ることも控えていた。
そんなある日の午後。
ホームヘルパーの仕事の帰りのこと。
私は近道だったので、Mさんの家の前の道路を、自転車で走っていた。
すると、
「ニャオ~~~ン! ニャオ~~ン!」
とあの聞き覚えのある大きな声が聞こえてきた。
声のするMさんの家の二階を見上げると、網戸【あみど】越しに、ウゲゲの顔が見えた。
私は、思わず声を出していた。
「ウゲちゃーん」
「ニャオ~~ン! ニャオ~~ン!」
返事をしてくれているようなウゲゲの声。
網戸【あみど】越しでもはっきり見える、茶色と白のトラ模様。大きくて愛らしい、まん丸な目。
「ニャオ~~ン! ニャオ~~ン!」
私を見ながら、忙しそうに、また鳴いた。
Mさんの家の方たちはお留守らしい。
ウゲゲの声以外は、ひっそりとしている。
ウゲちゃん……。愛おしくてたまらなくなる。
ダメダヨ…… ダメダヨ……
私の心の中で注意するのは、もうひとりの私。
まだ鳴き続けているウゲゲの声を背中に聞きながら、夢中で自転車のペダルをこいでいた。
なんだか、涙がこみあげてきてしょうがない。
この日、私は家族に、
「網戸越【あみどご】しのウゲゲ」の話をした。
そして、
「もう行かないよ。ゼッタイに行かない」
とあきらめようとした。
が、数日後、仲の良い友人と食事をした帰り、Mさんのお宅の前を通ることになった。
また、「網戸越しのウゲゲ」との再会だった。
ウゲゲは今日も、Mさんの二階の部屋の中にいた。
網戸【あみど】に、前足を二本つけて、へばりつくようにして、道路にいる私たちを見て、やっぱり
「ニャオ~~ン! ニャオ~~ン!」
と鳴き続けていた。
友人が
「ウゲゲ、宮下さんのこと、しっかり覚えているんだね……。なんて、可愛いんだろうね……」
そう感心したようにいってくれた。
友人の言葉を聞いて、泣きそうになったけど、泣くのをがまんした。
私は、その夜、
もう、ウゲゲには会いに行かない、会えば、会うほどつらくなるから……と、心に決めた。
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