最愛のビッチな妻が死んだ 第29章 僕たちの罪と罰
「もうそんな必要ないと自覚してるのに、生き急ぎでるって言われるのは常」(あげはのSNSより)
この投稿には八景島シーパラダイスではしゃぐ僕たちの写真とともにアップされている。
写真と本文には関係ないようで密接にリンクしている。僕たちは死に急いでいるのではなく、生き急いでいるようだった。
あげはは幼少のころより、自分の病気を、そして死を覚悟して生きてきた。15歳で家出して、夜の世界で生き、数々の有名人や権力者、数多の男性と逢瀬を重ねてきたあげは。
テレビや街中でポロっと、「コイツとヤッたことある」というあげはの言葉を聞いた。
リストカット、太ももや首の傷、タトゥの数だけ、傷を刻み、命を刻み生きてきたあげはの過去を暴く気は僕には起きない。
「ルールは破ってもマナーは守る」がモットーの僕たちは、実際のところ法律も犯したし、故意的にしろ悪意的にしろ人々を傷付けたり、迷惑もたくさんかけてきた。罪を犯してきたのは認めるし、異論はない。だが、だからと言って僕からあげはを奪った運命や神、もしくは絶対的な他者が存在するのならば、僕は絶対に死ぬまで許さない。
人間の生は他者のために使うべきかもしれないが、ならば死は自分で使い方を選ばせて欲しい。
僕が命と身体をあげはに捧げる、死の義務を等しく背負っているのなら、それぐらいの自由や権利ぐらい勘弁してくれよ。
僕はいま生き急いでいる。限られた時間の中で、余生をあげはと添い遂げるにはどう使うべきか考えている。
僕は2つのことを始めた。
1つ目はあげはに再び会った時、どんな相談でも対応できるように、何があっても「大丈夫だよ」って言えるように心理カウンセラーの資格を取る専門学校に通い出した。僕は二度と同じ過ちを犯したくはない狡猾でズルい人間だ。僕は自分自身が人間的に成長する必要性を感じた。
「あげは、僕があげはの悩みに全部応えてあげる。僕があげはを幸せにするから一緒に幸せになろう」
もう1つは僕が死んだ時に一眼で「あげはの旦那」だと分かるように刺青を増やすこと。キチガイのようにあげはと同じスミを入れる。まあ、完全なるキチガイなんですがw
精神科医に受けた診断は「躁鬱病」「統合失調症」「摂食障害」「性的機能不全」他、11月には障害者手帳が発行される。あげはと同じ手帳がもらえる、僕は笑みがこぼれるのを止められなかった。
国から認定されたキチガイ。国が認める精神障害者。
「あげは僕もあげはと一緒だよ」
かかっている精神科の病院で心電図に異常が出た。24時間心電図を測る機械を装着し、検査結果を待った。
一応結果はすぐに心筋梗塞で死ぬことはない。が、重ねる眠剤や安定剤の乱用やオーバードーズ、自殺未遂によって心臓はかなり弱っている、と。
僕は結果を聞いた時、少し震え、少し笑った。
自分で自殺もしたし、これからもするだろう。ただ、「あまりムリしなくてもいつでも死ねるのだ」「ほんの少しの衝撃を心臓に与えれば死ねる」と気付いた僕は医者の前にも関わらず、声を出して笑った。
「いつでもあげはのそばに行ける」
こんな幸せなことはない。残る余生を誰かのためじゃなく、あげはのため、あげはを喜ばしたい僕のために使える。
毎日ひたひたと迫りくる死を笑って迎える覚悟と、毎日ぬらぬらと湧き上がる自殺願望と。多量の眠剤と精神安定剤、少しのドラッグとタバコとともに僕はもう…僕はまだ…生きている。
今回は脱線して、僕の日記を公開します。
3月15日
あげはの「名前の誕生日」であるこの日、僕は本来なら2月20日の交際記念日に入れる予定だったタトゥを入れた。
予定では、あげはは僕のイニシャルである「K」、僕はあげはの「A」、ともに車の中で思いつき、ティッシュのハコに書き出した安全ピンをイメージした落書きが元となっている。
加えて僕は、あげはの代名詞と言える胸「あげは蝶」を心臓の上に入れる予定であった。 僕はあげは蝶の位置は少し変え、あげはとまったく同じ位置に入れてもらった。
痩せていて胸板が薄い僕には彫られている時、骨に響くため、心地よい痛みを感じた。
「コレでずっと一緒だよ。すぐにあげはの旦那と一目でわかるね」
この日から、旨に手を当てて、よりあげはとの対話がスムーズにできるようになった気がした。
4月4日
世間体ではあげはの49日だが、僕たちにとっては婚約記念日である。
この日、僕は計5カ所にタトゥを入れた。 まずはあげはが入れたがっていた「月の満ち欠け」から。
次にあげはが肩に入れていた「化学式」のタトゥ。あげはのはコカインとヘロインだったが、僕にはあまり縁のない2つであり、僕はあげはが常に持ち歩いていた精神安定剤の「デパス」と睡眠薬「ハルシオン」を入れた。あげはがよく眠れるようにと。
そして、あげはを紹介されたきっかけである腕のタトゥ「BITCH」。
男版のBITCHでピンとくるものが浮かばれなかった僕は、そのままのフォントで同じ位置に入れた。
最後はあげはの首に入っている「キスマーク」。
太一さんは僕の行為を弔いだと思ってるけど、僕は僕なりの添い遂げ方であり、僕はバカだから身体全部を捧げて、あげはへの想いで、身体中をあげはへの愛で塗り潰したいだけだ。
このやり方はキチガイじみているのは、承知している。リストカットもできない、ハンパなオーバードーズしかできない自分なりの、せめてものやり方だ。
たまに心と身体が追っついていないのか、歯がガチガチと、身体がワナワナ震える。
4月25日
1年前の僕たちからお互いにハガキが届いた。
「今日も楽しかったね。グランイルミのスベリ台で筋肉痛から江ノ島へ。毎回、何回きても新鮮な思い出と気持ちでこれますよおに。では、この手紙が届くころのあげはへ、愛してるよ 共輔」
「いつも旅行を楽しくしてくれて、ありがとう!前回行けなかったグランイルミ、今回行けてよかったー。イルミはもちろん、ローラーすべり台テンションアガった!今日もデートだけど、帰ったら昨年の手紙が届くころだね。それでこの手紙はまた一年後に届くよ、楽しみだな。いつの時も優しくしてくれて幸せだよ。ずっと愛してるよ あげは」
おめおめと無様に、こっけいでもこの物語は僕が死ぬまで完結はしない。あげはと僕の恋愛は終わらない。
好きな人がいる人は「好きだよ」と相手に伝え、愛し合っている人は「愛してる」と毎日どれほど大事に思っているか伝えてほしい。
キレイごとしゃなく、今日死んでもいい、明日が最後かもしれない気持ちで、後悔しないように愛し合ってほしい。
これ以上、ぼくのように伝え切れずに取り残された間抜けなフヌケを作らないように。
僕があげはに怒られ続けて、学んだこと。
「好きな人には好きって伝える」
「悪いと思ったら、すぐにゴメンねと謝る」
5月某日
あげはの検死報告書を取りに東京都監察医務院に行った。住宅街の一角にある医務院は入るとそこだけ空気が異常に重かった。
死という現実。死因という結果。紙切れ1枚の重さ。
家に帰ると部屋の壁が異様に白く見えたり、部屋がガランと異常に広く感じたことは覚えている。
太一さん、眠りたくて、安心したくて、ではなく上がりたくっててのは、あげはらしいというか、安心したというか、仲直りしたかったのか、怒ってるのじゃなくて、起きたら機嫌よくなるように、気分を持ち上げたかったのかってホッとしたような悔しいような。
僕はあげはと一緒だ。
太一さん、あげはは機嫌よくしようと、僕と仲良く幸せに暮らすためにがんばり過ぎたと思います。
あげはを殺したのは僕の罪で、その罰を受けるために残されたと思っています。
僕は今でも、あげはと同じく安定剤と眠剤と暮らしている。致死量飲むなら服揃えたりするので、大丈夫ですので。ご心配なく。
僕の生はあげはに会うために産まれてきて、僕の死はあげはに会うために死ぬのです。
死が2人を分かつわけではなく、その日が2人を繋ぎ止めるでしょう。
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