第7話 いざっ最初の勝負!

前話: 第6話 スーツ禁止。

2008年5⽉

ぬかりやビルの斜め向かいにあったジュンク堂の4階にあるカフェ。ここの喫茶店は、書棚を抜けた隙間から、控えめな入り口を申し訳なさそうに覗かせており、まるで秘密基地のようにひっそりと佇んでいる。その為、一見すると外からこの喫茶店の存在は解りづらく、ジュンク堂書店の常連客しか入ってこない。この当時、内密の話がある時や、一人きりで静かに考え事をしたい時に、僕は社員や関係者と絶対に出くわさない、この喫茶店まで足を伸ばしてコーヒーを飲みにくることが多かった。 この日も僕と奥野さんは、丁度ぬかりやビルにある本社の窓が見える、この喫茶店のテラス席に座ってコーヒーを飲んでいた。


「昨日まで気を揉みましたけど、今月の資金繰りもギリギリ何とかなって良かったです。ところで、全国視察の⼿ごたえはどうでした?」


GWも終わり、午後の陽気がポカポカと気持ちが良い。木々の葉の甘いにおいと爽やかな花の香りがほのかにしみこんでいる。向かいの明治通りから聴こえて来る雑踏の音をBGMに、テラス席で心地よい風を受けながら、奥野さんは、MacBookの画面に並んだ数字の羅列から一旦目離すと、静かに話を向けた。 



「かなりの強⾏軍だったけど、全店を⼀気に回って本当に良かったよ。あきれるほど店舗のデザインやオペレーションがバラバラだということが改めてよく分かったし、それにお店のスタッフ達も、以前は本社の人間や社長なんかと気軽に食事したり話しする機会なんてなかったらしくて、喜んでくれたスタッフも結構いたよ。

お蔭で今や、全国のオンデーズスタッフの中で、自分が唯一全ての店舗をくまなく見て、一番各店舗の置かれてる状況について詳しく知っている人になれたと⾃負できるようになったかな。財務経理関係は、奥野さんが一番良く知っているから、2 人が揃えば、今一番オンデーズの現状を正確に把握出来ている事になる。これでようやく、経営者として少しは、やるべきことの方向性が見えてきたような気がする。」 


「それは良かった。まずは誰よりもこの会社のことを正確に理解していなければ、正しい経営なんかできやしないですからね。それで、具体的な課題とか売上アップのヒントは何か見つかったんですか?」


「もう山のようにね。見つかったよ。というか見つかったというよりは、もう全部を根本から変えないといけないんだけどね・・。
やっぱり改めて深刻な問題だと思ったのは、とにかく店舗のイメージやマニュアルが驚くほどバラバラなこと。これはすぐにでも整備してなくちゃいけない。商品なんて、アスクルで買った事務用テーブルに、布を敷いてその上に雑然と並べてって具合の店がたくさんあった。これって本部が全く機能していないってことでしょ? 疑問に思って、本部のスタッフに聞いてみたんだよ。どういう風に店舗運営のマニュアルを運用してるのかって。そしたら『地域ごとに競合店との関係性や⽂化も違うので、東京の価値観を⼀律で全国に押し付けるのもいかがなものか』という意見が出たとかで、店舗の演出や細かいマニュアルに関してはチェーン全体で共通のものは用意されてなくて、その都度、地域のマネージャーや店長の裁量で勝手にやるようになってるっていうんだよ。」


「それって、⼀見理屈が通っているようにも見えますけど、本部が本来の仕事を放棄しているだけなんじゃないですかね。それなら、全国⼀律のイメージで展開しているUNIQLOやスターバックスなんかが、なぜ繁盛しているのか、合理理的に説明してほしい。」


奥野さんは、飲み干したコーヒーのお代わりを頼みながら、僕の話に同調した。


「そう思うでしょ。お客様の感性に東京も地⽅もないと思うんだよね。 地方は東京よりも情報も無いし、流行も遅れているから、東京の感性を持ち込んでもお客様が消化不良を起こすに違いないって、勝⼿に決めつけている感じなんだよね。
でも、実際は東京も地⽅も同じテレビや雑誌や映画、音楽に接しているんだ。これだけインターネットが進んだ今の時代に、地方が感性的に劣る環境なんてあまりない。だから、しっかりとブランディングされたお店には、地方でもお客様が殺到するんだ。地方の感性が遅れているとしら、それは店側の問題でしかない。要するにコチラが勉強不足、努力不足なんだよね。この点は一刻も早く修正して、業界⼀カッコイイメガネ屋さんとして、ブランディングを確立してイメージを統⼀するべきだと思うんだ。」


「メガネの一大産地である福井県の鯖江にも寄ったのですよね?」


「うん。鯖江のフレームメーカーさんのところにも何社か訪問してみた。実はそこで、ある事実を知ってね・・もう、かなり驚いたよ・・」


「何を知ったんですか?」


「オンデーズの商品部は、メーカーさんのところにほとんど足を運んで会いに行っていない。」


「え?メーカーのところに顔を出していないって? それは、どういう事ですか?」 


「つまり、今のオンデーズは完全に受け身なのさ。福井県の鯖江市や中国でメガネのフレームを製造しているメーカーや製造工場のところまで、こちらから足を運んで直接仕入れ交渉に出向く事はせず、本社でデーンと構えて、地方や海外から売り込みに来る問屋の担当者にサンプルを持参させて、その中から値段の合うものをただ仕⼊れているだけなんだよね。こんなのSPAブランドでもなんでもなく、ただの安売り商品を仕入れて、右から左に売るだけのバッタ屋だ。」 


奥野さんは、イスに深く腰掛け直すと、眉をひそめた。


「そうですか…。しかもウチみたいな弱小チェーンのところにまで、売り込みに来るようなメーカーや問屋は、その分の営業コストを上乗せしているだろうから、仕入れも割高になるはずですよね・・。」


「そう。当然、仕入コストは割高になる。でも問題はそれだけじゃないんだ。東京に来るメーカーさん達は他の取引先にも当然営業に行く。そして真っ先に顔を出すのは業界大手のメガネチェーンや優良顧客からだ。すると、良い商品や売れ筋の商品は先に大手に抑えられて、うちに来る頃には売れ残りの在庫処分みたいな商品しか残っていない。これじゃあ競合他社に比べて品質が劣ってるのも納得だ。」


「売れ残った在庫処分品みたいなものですか・・それも売上減少が続いてきた一つの大きな要因でしょうね。それについて私もこの前とんでもないことに気づきました。多量に売れ残った、もう絶対売れないような商品が、うず高く積み上げられて、商品センターの奥に放置されていたんです。こんな不良在庫が未だに簿価ベースで数億円、棚卸資産としてそのまま計上されています。」


「それはマズイな。商品の実態もどこかのタイミングでちゃんと決算に反映させて処理しないと、膿がどんどん溜まっていく一方だ。」


「不良在庫の件は、次回の決算までになんとかしましょう。まずは早急に仕入先との関係を見直す必要がありますね。うちの商品をメインで作ってもらえて、かつセンスが良くて品質も良い・・そんなフレームメーカーさんを見つけ出す事が必要不可欠ですね。」


「数社に絞って大量発注すれば、仕入コストも抑えながら格段に良い商品を店頭に並べることが出来るようになると思う。それだけで10%はコスト削減できるんじゃないかな?」


「品質が良くなれば売上アップも期待できますしね。了解しました。私も帳簿を洗いなおしてみます。確か、うちが今各メーカーへ支払っている取引の総額は、年間で4億円近くあったはず。これを 10%下げられれば年間4,000万、⽉に350万円は浮く事になる。この350万円があるかないかで、資⾦繰りは相当違って来ますからね。よし、商品部のやり方にメスを入れて、徹底的に今までの仕入れのやり方を改革していきましょう!」



「この商品の改革が上⼿くいけば、何よりもスタッフが一番喜ぶよ。全国のお店を周って、スタッフのみんなから一番お願いされたのが『とにかく品質を良くしてほしい。今のオンデーズの商品は悪すぎる。もっとお客様にちゃんと自信を持ってお奨めできるような商品を入れて欲しい』こういう声だったんだ。
お客様と直に接するスタッフにとって、品質の悪いものを売らなければいけないこと程、苦しいし仕事が嫌になることは無い。だからここを改善してあげることができれば、スタッフの販売に関するモチベーションは必ず上がる。」


「商品クオリティの劣勢を、現場の方がより痛切に感じていたって訳ですね。了解です。諸々見直しのため、フレームの仕入自体は4月からいったんストップしているので、再開時には仕入計画を一緒に詰めていきましょう。
それはそうと、社長、社内の雰囲気が少し対立気味になっているのは知っていますよね?このままでは少しマズイかもしれませんよ。実は各店の売上が、私たちが乗り込んでからの数カ月間、前年⽐で1割近くも落ち込んできてしまっています。社内に対立が⽣じた結果、オンデーズはさらに窮地に追い込まれ始めてしまっていると言っても過言ではないような状態です。しかも本社内の雰囲気は最悪です。本社が⼀致団結しないで、全国の店舗のモチベーションが上がるはずもないですし、競合他社になんて勝てるわけもありません。」


そう言うと、奥野さんはパソコンを開いて、下降線を辿るグラフで表された全国の売り上げ集計表を僕に見せながら嘆息した。 


「そうなんだよね。改革賛成派と反対派の対⽴が激しい店や地域ほど、売り上げが落ち込んでいってるみたいだね。このままじゃ経営は苦しくなっていく一⽅だろう。反対派の連中も俺たちも、"会社を良くしたい"という思いは皆んな同じなのに、どうしてこうも売り上げが急降下してしまうのか、ほんと現実はそう簡単に理想通りには上手くいかないね。」


「月末と月初の幹部会で、営業部が月次の売上予算の達成状況を発表していますよね?しかし、3月も4月も予算を達成したのは数店舗しかなくて、全体の達成率が90%も割っている。5月の見込も同様みたいです。」


「わかってる。何だか売上予算が独り歩きしている感じがする。」


「もはや、ほとんどの店舗が『何が何でも予算を達成しよう』なんて思っていないんです。もっと現実的に達成する可能性がある数字を示して、それを追いかけさせないとダメですよ。みんな負け犬根性が染みついてしまって離れません。」


「この前の幹部会で奥野さんが言っていた話だね。」


「そうです。あの後に営業幹部を含めて4人で議論しました。その席上『現実的な予算を設定する』ということで意見は一致しましたが、『じゃあ、誰が数字を作る?』という段になると、3人とも黙って下を向いたままなんですよ。もう頭にきたので『いいよ、俺がやるよ!一方的に数字を振るけど文句言うなよ!』と啖呵を切っちゃいました。」


「はは・・またキレちゃったの・・」


普段は温厚な奥野さんだが、時折とんでもないバトルを公然と繰り広げることがある。旧態依然とした空気を破壊するために敢えてそういう姿勢を見せるというのもあるだろうが、それだけオンデーズの財務状況や業況が危機的な緊迫状態にあったということであろう。


「具体的には、前年同月売上比いわゆる"前年昨対”の直近3か月実績の平均をとって、その平均に数パーセントを乗せた数字を予算とします。月毎の季節指数も算出して設定したので、その指数も加味することにより、理論上は『数パーセントの努力によって達成可能な』予算となります。」


“季節指数”というのは、毎月の売上変動を予測するのに必須の数値だ。ショッピングモールに多く出店するオンデーズは、ほぼ毎年同じような売上の動きをする。7,8月と12,1月がピーク、2月が底。そして9,10,11月はダラダラと二番底に向かうため、僕たちはこの期間を”魔の3か月”と呼んでいた。


「その設定方法で良いんじゃないかな。」


「それと先日、羽田本部長が叫んでいたんです。『この会社で日々の売上数字を気にしているのは、俺と経理の大里さんだけだ!!』って。」


「羽田っちが・・」


羽田本部長は、僕の古くからの友人で、某投資不動産会社で全国No. 1の営業成績を誇っていた営業の鬼のような男だ。オンデーズの再生にあたって、営業を牽引する強烈な右腕が必要不可欠だと感じた僕は、連日のように飲みに誘い口説き落として、共に乗り込んでオンデーズの営業を統括する業務に就いてもらっていた。


「羽田本部長が言ってることも大げさでは無いと思うんですよね。全体に負け犬根性が浸透しているから、敢えて日々の数字に触れるのを避けているのかもしれないし。現場も他の店舗の売上は見えないらしくて、これじゃモチベーションも上がりません・・そこで銀行式の店舗ランキングの還元を導入しようと思います。」


「店舗ランキング?」


「日々の売上と客数の実績と累計の達成率を表にし、達成率で順位をつけて上位順に並べます。この表を毎朝、全社にメール配信して全員が嫌でも毎日目にするようにします。」


「オッケー。いわば売上予算達成ゲームだね。」


「そうです。ゲーム方式にして、全店舗の店長達に達成可能なゴールを目指して競わせるのです。負け犬根性から脱却するには、小さな成功体験を積み重ねていく必要があります。もう一つの狙いは、日々の刺激です。売上が大きい翌日に順位が上がれば嬉しいだろうし、売れなかった翌日に順位が下がれが悔しい。頑張ったつもりでも順位が変わらなかったら他の店舗がもっと頑張った結果であり、『もっと頑張らなきゃ』と感じるかもしれない。」


後日談だが、2008年6月初旬に配信スタートしたこの店舗ランキングは、毎日深夜に奥野さんの檄文とともにメール配信され続け、社内のあちこちで波紋を呼んだ。「売上規模の違う店を並べて比較するなんて頭がおかしいんじゃないか? 」「財務が営業に口出しするな」等々、ネット上に批判を書き込むスタッフも相次いでいた。オンデーズの危機的状態に比例する形で檄文が過激になることもあり、営業幹部と奥野さんのバトルも毎晩のように勃発していった。
当初は社内向けに始まったものの、フランチャイズオーナーや外部株主からの配信リクエストも増えていった為、檄文のトーンも徐々に大人しく変化していき、ランキングの計算方法も少しづつ形を変えながら、今も9年以上継続されている。




「それとさあ、もう一つ、どうしてもスグにやりたいことがあるんだけど!」


「やりたいこと・・ですか?」


奥野さんは、少し嫌な予感がしたのか、急にテンション高く話し始めた僕を怪訝な表情で見つめた。


「思い切って、新しい店舗をオープンさせようと思うんだ!」


「はあ・・??新しい店舗を、オープンする??」



明日の資金繰りもままならないのに、新店舗をオープンする。この突然の僕の提案に、目を白黒させている奥野さんの胃袋が、キリキリと痛み出す音が聞こえてくるようだった。


「今、オンデーズに一番必要なのは、⽬に見える成果だ。それも圧倒的な結果が必要なんだよ。俺が打ち出した新しい戦略、新しいイメージのオンデーズで、実際に売り上げが伸びる事を証明して⾒せたら、誰も反対なんてしなくなるはずだ。『利益は百難隠す』という⾔葉があるでしょ。儲かってさえいれば少々の問題は乗り越えられるという意味。だから、ここで今までのカタカナの「オンデーズ」じゃなくて、英字の『OWNDAYS』新しい未来を象徴するような、新店舗をオープンさせて、俺の考えてるコンセプトやブランデイングの正しさを目に見える形で、会社のみんなに証明してみせようと思うんだよね。」


僕は⾃信満々に考えを披露すると、ぐいっとコーヒーを⼀気に飲み干した。こういうテンションになると、僕はもう誰の反対意見も聞かない。しかし、この時の奥野さんは間髪を入れずに、声を荒げて猛反対した。


「残念ながら今はそんな時期じゃないですよ。ここはまだまだ財務的な体力を慎重に見極めて強化すべき段階です。オンデーズは言うなれば集中治療室に入って昏睡状態の重病人のような状態なんです。何か一つでも処置を間違えて、予期せぬトラブルに見舞われたら、たちまち心肺停止になってしまいます。こんな状態で新店を出店するなんて、重体の患者から輸⾎⽤の⾎を抜くぐらいあり得ない事です。私は新店の出店には断固反対ですよ!」


普段温厚な奥野さんの口調があまりに決然としたものだったので、僕は内心驚いた。それほど、オンデーズの財務状況は逼迫しているという事なのだろう。しかし、それで安穏と引き下がる僕でもない。 


「確かに財務内容の健全化は最優先課題のひとつだろうけど、しかし、社内に不協和⾳が流れた結果、売り上げは更に落ち込んでしまってるのも事実だ。ここで売上低下に⻭止めを掛けなければ、財務内容は一層悪化するだけでしょ。新店の効果で売上を引き上げ、さらに新しい戦略の正しさを示して社内の不協和音を取り除き、全社一丸となった体制を築き上げて、売り上げ拡大を目指す。この好循環の起爆剤になるのが、全く新しいコンセプト、これからのOWNDAYSを具現化させる新店舗なんだよ!」


奥野さんは少し唸った。なるほど、確かに新店舗が成功すれば⼀⽯⼆鳥、いや三鳥の効果が現れるかもしれない。しかし、失敗したらどうだろうか。社長の僕は成功を信じて疑っていないが、現実問題として失敗する可能性も相当高い。万が⼀にもここで新店舗が大失敗したら、恐らくオンデーズは即倒産だ。あまりに危険な賭けだと奥野さんは考えていたのだろう。 


「社長、これは財務担当の役員としてはっきり⾔わせてもらいます。新店計画の意義はよく理解しました。 しかしそれを実⾏するのは今ではありません。その前にやるべき事が沢山あります。まず第一に出⾎を1日も早く⽌めるべきです。今、オンデーズは重体の上に出血が続いているような状態なのです。つまり、不採算店舗が全体の3分の1以上も占めている。この赤字を一刻も早く止める事が、最優先課題なんですよ。」


確かにそうだ。いくら新店舗を成功させて売り上げを上積みできたとしても、⼀ 方で⾚字を垂れ流していては何にもならない。奥野さんの言う通り、不採算店舗を黒字化するか、撤退するかして赤字を止めることこそ、喫緊の課題だったのだ。 


「それはまあその通りだよね。ここは急いで出⾎を⽌めるのが先決か・・。で、奥野さん何か具体的な手は考えてるの?」 


「まぁ、セオリー通りなら不採算店舗の閉店でしょうね。もっとも閉店にも、原状回復費用や退職していく社員の予告解雇手当等、かなりのお金がかかるので、いっぺんに20店舗近くのお店を閉鎖する体⼒は、今のオンデーズにはありません。他にも閉店を積極的に進められない理由はまだあります。赤字金額が大きな店舗、例えばK店なら6,000万円以上、N店でも4,000万円以上の退店に伴うペナルティが発生します。せいぜい小粒な赤字店を⽉に2〜3店舗ずつ、半年ぐらいかけて順番に整理して⾏くような感じでしょうか。」


「2店舗で1億円のペナルティ・・?」


「過去に闇雲に店舗を拡大していた時代の負の遺産です。そういう無茶な賃貸契約を結んでしまっている店舗も結構あるんです。閉店を進めても売上が無くなり人件費だけ残ったら、キャッシュ流出は変わりません。逆に更に悪化する可能性すらあります。売上にはまだまだ伸び代があると思うので、大胆なコストカットを進めながら、売上を増加させる手を地道に打つ方が賢明だと思います。」



「それはダメだ。」 


この提案に僕は即座に反対した。


「コストカットの⼤前提には、まず従業員の解雇や賃金カットがあるでしょう? それは絶対にやったら駄目だ。従業員の解雇や賃金カットなんていきなりしたら、立ち直れるものも立ち直れなくなる。しかし社員を抱えたまま店を閉めたとしても、それでは経費削減にはならない。もし該当店舗のスタッフの人達が自分から辞めて行くというのなら仕⽅がないけれど、会社が⽣き残るためにスタッフを大量にリストラして解雇するなんてのは本末転倒だ。

全国のお店を見てまわって解ったけど、メガネ屋っていう商売は結局『人』の要素が半分以上をしめてるんだ。接客や検査やレンズの加工、それらがちゃんと提供できて初めてお金が頂ける。言うなれば人も商品の大切な一部だ。だからその大切な商品をリストラしてしまったらお店の商品を半分以上捨てることと同じなんだ。」


「でも、リストラしなければ赤字はとまりませんよ?」


奥野さんは、できることなら自分だってリストラなんてしたくは無い。でも会社を存続させていく為には、詰め腹を切るのは止むを得ないことだろうと言いたげに、苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てるように言った。


「いや、要は赤字が黒字にさえなればいいんでしょ?全体で見れば赤字額は莫大だが、ひとつひとつのお店で考えれば、⽉にほんの数⼗万円程度の赤字がほとんどだ。ということは、1⽇にしたら、たった3、4本多くのメガネを今より売れば赤字は無くなるんだよ。たったそれだけなんだ。そっちの方が閉店して行くよりよっぽど簡単だし建設的だろう?」


「しかし、実際には今その1日にあと3〜4本の3〜4本が売れてないんです。今よりもあと少し多く売るための、何か具体的な案はあるんですか?」


「あぁ、ある。まずは目標を細分化することだ。」


「細分化ですか?」


「そう。いきなり『月間100万円、今よりも多く売り上げをあげろ!』なんて言うから駄目なんだ。今の営業部は目標の建て方が大雑把過ぎる。月に100万売り上げを上げるということは、1日に3万円上げればいいだけだ。3万円というと、現在のオンデーズの客単価だとメガネ3本分だ。そして平均的な店舗の営業時間は12時間だ。つまり4時間毎に、あと1本。昨年の今よりも多く売れれば良いだけなんだ。それを積み重ねれば自然と月の終わりには100万円が上がっている。だから、営業部は毎時間、毎時間。小さく目標を設定させて、昨日よりも今日、午前よりも午後、あと1本多く売ることだけを考えて皆んなが行動するように、具体的で細かな指揮をとらせていけばいいんだ。そうすれば、目標の達成を皆んなはっきりと意識するようになって、実際に行動が変わってくる。そして、それに加えて、今考えている新コンセプトの店舗を成功させて、そのノウハウを全店に⽔平展開すれば、 1⽇3本どころか、10 本も 20 本も多く売って見せるよ。」


僕がここまで⾔い切ったとあっては、もはやどうしようもない。奥野さんは、半ば諦めたような顔で覚悟を決めたようだった。




2008年6⽉

東京都内は、初夏のねっとりと肌に絡みつくような蒸し暑い⽇が連日続いていた。不快指数も跳ね上がり、東京・秋葉葉原では歩行者天国での前代未聞の通り魔事件が発⽣し、ネット社会が新しく産み出しつつある影の部分が世間を震撼させていたりもした。 

僕は、フランチャイズなどの法人営業を担当してもらう為に知り合いの会社から、半ば強引に引き抜いてきた塚田さん(当時法人事業部 部長)と一緒に、⾼⽥馬場の駅前に居た。塚田さんが持ってきた新店舗⽤の物件の下見に来ていたのだ。 


「どうです、⾼田馬場駅の目の前という得難い物件ですよ」 


少し顎のしゃくれた不動産屋の営業マンが、満面の笑顔で物件を指さしながら得意げに説明をしてくる。


「場所は申し分ないね。ここなら学生も多いし、ビジネスマンやOLも大勢通る。お洒落に敏感な層を狙うには、願ってもないロケーションだよ!」


「でしょ!私も一目見て、この物件は新生オンデーズを象徴するのに相応しい物件だと思ったんですよ!」


僕と塚田さんは、二人並んで満⾜気に⽬を細めて物件を眺めていた。そこには最近まで携帯量販店が入っていた6坪ほどの小さな貸店舗だった。店舗正⾯の上部に、高田馬場駅のホームからはっきりと視認できるほど巨大な看板スペースもあり、店内の広さに不釣り合いなこの巨大看板も同時に確保できるという点も、かなり魅力的な物件だった。 


「でも、どうなんですか?メガネ屋さんにしては、少し狭いような気もするのですが?」


この物件を紹介してきた不動産屋の営業マンは、笑顔を浮かべながらも探る様な⽬で僕の反応を伺った。


「いや、我々がイオンさんのような、ショッピングモールで出店している店舗の中には、6 坪や 8 坪でも十分な売り上げを叩き出している店が沢山あるんですよ。我々のメガネ屋は、高度に進化した最新の機械を巧みに駆使しているから、こんな⼩さな坪数の店舗でも十分に売り上げも利益も確保できるビジネスモデルをもっているんですよ。」 


塚田さんは、かなり誇張気味に、しかし自信たっぷりと説明してみせた。 実際はまだそんな、人様に自慢できるようなノウハウなど全然有していなかったが、この当時、たまたまイオンオール京都ハナ店やイオンモール熱田店で6坪程度の小スペースで1坪辺り60万や70万といった売り上げを出している利益店があった。しかも、この時はまだその成功要因を正確に分析しきれていなくて、単純に「売り場が狭くても店の前の人通りがめちゃくちゃ多ければメガネは生活必需品だから売れるんだろう」といった程度の認識でしかいなかった。


「そうですか。それなら安⼼しました。実は丁度今さっき、大手の金券ショップさんからも引き合いが来ていましてね。⼀応、この場で1万円でも申込金を入れていただけますと、御社との契約を優先的に進めることができるんですが、どうしますか?」


(煽りだな) と僕は思ったが、立地・広さともに非常に気に入ったので、即決で仮申し込み を入れることにした。僕は自分の財布から1万円を取り出すと、その場で申し込み用紙に簡単な必要事項を記入して、お金と一緒に営業マンに渡した。これで仮契約は成立だ。 


翌⽇、僕は幹部達全員を会議室に呼び出し、単⼑直⼊に切り出した。


「みんな、ちょっとこれを⾒てほしいんだけど。⾼⽥⾺場駅から徒歩 5 分の超掘り出し物件なんだけど・・」


「こ、これは新店舗の?」


「ピンポーン!!正解。⾼⽥⾺場は学⽣が多いし、ビジネスマンやOLもうじゃうじゃ通っているでしょう。あの場所ならお洒落落に敏感な若者をターゲットにした新コンセプトのOWNDAYSを展開するには、まさに絶好の場所。最適だと思うんだ」


僕は自身満点といった顔で図面を眺めながら話した。それに反し、居並んだ幹部陣は皆んな一様に苦⾍を噛み潰したような表情で見つめていた。


「はは〜~ん。さてはみんな、路面店なんか無理だと⾔いたいんでしょ? だがここをよく⾒てよ。ほら、坪数はたった 6坪なの。家賃は流石に高くて坪あたり12 万円もするんだけど、 何せたった6坪しかないから72万円で済む。 72 万円で駅前の超一等地に路⾯店が出せるんだよ。しかも巨大看板もあるから広告効果もある。礼金や敷金にしたって安く抑えられるし、内装⼯事費や備品も少なくて済むんだ。それに、ちょっとこれを見てみてよ。」 


そう⾔うと、僕はエクセルで作った新店の収⽀計画書を見せた。


「イオンモール京都店と新百合ヶ丘の店は、たったの 6 坪と8坪だ。 それで月商500万円以上を売っている。⾼⽥⾺場なら駅前の路⾯店だから、それと同等の⽉商500・・いや、600万円はカタイはずだ。客単価1万円として 1日平均20客だから、人員も2 名体制で充分に回せる。家賃、光熱費、人件費などの固定費は200万円以下に収まるはずだから充分⿊字が見込まれる。というか、超ドル箱店舗にもなり得る計算だ。出店費⽤にざっと2,000万円かかったとしても、1年で充分に元が取れる。どう?完璧な計画でしょ!」


僕は得意満面な顔で収⽀計画表を差し出した。幹部陣は皆、開いた⼝が塞がらないような様子だった。 それもそのはず、この時点ではまだ資金繰りは火の車で、銀行交渉も、⽂字通り⾎ヘドを吐くほど苛烈なものだった。そんな綱渡りの交渉を続けているというのに、⽬の前の僕は、嬉々として新店舗をオープンするつもりでいる。 みんなの胃がキリキリと痛み出すのもそれはしょうがないだろう。そんな最中に


「どう?たったの2,000万円でいいんだよ。この出店資金を何とか捻出して新店を出そう!」 


と、あっけらかんと僕が発言していると、それまで押し黙って議論に耳を傾けていた奥野さんが急に堰を切ったように声をあげた。


「わかりましたっ!!もうわかりましたよっ!2,000万円は私が何とかしてきますよ。やりましょう!!しかし、万が⼀にも失敗は許されませんから、これは肝に銘じておいてくださいね!ここでこの社長のイメージする新コンセプトのお店が失敗したら、財務の⾯では完全にアウトです。しかも、社長の戦略も間違っていたことを⽩日の下に晒すことになる。そうなったら、社長の求⼼力は完全に失われ、オンデーズは空中分解するかもしれません。つまり、瀕死のオンデーズにとどめを刺すことにもなりかねませんからね。その危機感を充分に持って、この新店に賭けてください。 私も、この会社と心中する覚悟を決めてるんですから。」


求められてるうちに、奥野さんの曲がったへそに火がついたのだろう。多分、奥野さんも僕と同じで、困難であればあるほど、困難に挑みたくなってしまう、なんとも損な性分なのだ。思わぬ奥野さんの⾔葉に、僕の顔から笑顔は消えていた。僕は表情を引き締めると、こう言った。 


「新店舗を出すのは、なにもこの1店舗だけじゃない。これはあくまでも始まりだよ。オンデーズは現在60店舗にも満たないが、1年後には必ず100店舗を達成する。チェーン店として生き残っていくためのバイイング・パワーを持つためには最低100店舗まで、まずは持っていかないとダメなんだ。」


新規出店に続いて、一気に100店舗にまで店舗を増やすという計画を突如聞かされた幹部達は、一様に困惑した顔をした。


(前年は数件しかオープン出来ていないのに、いきなり1年で40数店舗・・)

「何考えてるんですか?お金は大丈夫なんですか?」

「契約手続とか店舗設計とか、時間かかりますよ。」


等々、古参の幹部達は次々に不安を口にしたが、僕は諭すように続けた。


「新しいコンセプトのモデルを直営店で作ったら、そのノウハウを元にしてフランチャイズ展開をする。全国で加盟店を募って、店舗網を拡大するんだ。資金がない今のオンデーズが一気に売上を拡大して借入金の返済を楽にしていくにはそれしかない。ただし創業者の時に広げていた、いい加減なフランチャイズのやり方とは根本的に全てが違う。加盟店と本部。双方の役割分担をしっかりと明文化した契約を交わし、もっと戦略的に機能する俺が理想とする形のパートナーシップ型のフランチャイズモデルを作るんだ。


フランチャイズを使って早期に100店舗体制にする計画は、事前の再生計画として銀行にも提出して、一定の理解は得ている。もう進んでいくしかないんだよ。そしてそのモデル店舗となるこの高田馬場の新店は何としても成功させなきゃもう俺たちに後はない。
それに、もしも⼼中するような⽻目になったら、その時は死なずに、また1から事業をやり直せばいいじゃないか。商売のネタなんてどこにでも転がっている。空き⽸でもなんでも拾って売って元⼿を作り、商売を始めて、またどんどん事業を拡張すればいいんだ。誰も気づかないような隙間を⾒つけてビジネスを仕掛け、今度こそ世界⼀の会社を作る。あんまり深く考えずにゲームのリセットボタンを押すようなもんでさ、また楽しいゲームを皆んなで 1 から始めれば良いだけだよ!」



奥野さんや羽田本部長は(それも悪くないかもな・・)といった顔でしぶしぶと苦笑いしていた。こうして新生オンデーズの、まさに社運を賭けた高田馬場店の出店計画は、新経営陣と古参幹部の気持ちに大きな溝を作ったまま、梅雨入り前のジメジメとしたさなか、池袋の片隅で静かに、しかし激しく動き出した。


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