インドの山奥で修行してきた話-1 【旅の背景】

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1997年10月24日(金)午前6時過ぎ 修士論文の提出を4ヶ月後に控える当時大学院生だった私は一人成田空港へ向かうリムジンバスに乗っていた。


スーツケースの中は大量の調査道具と文献資料、そして必要最低限の衣類等。
手元にはクアラルンプール経由南インドマドラス行きの往復航空券とパスポート。それに研究室から支給された10万円程の滞在費のみ。
人生二度目の海外にして7週間の単身インド行き。
目的は中世インド建築書「マヤマタ」の設計方法研究の為、現地の伝統住居等の実測データを出来るだけ多く採取すること。

初海外はこの2年前に同じく南インド。その時は5人のチームで一番下っ端。調査対象は中世ヒンドゥー寺院。
この時、エジプトや中東、東南アジアでの海外調査ベテラン先輩陣は口々にこう言った。



「えーー!海外経験ないの??? で、いきなり南インドかぁ。。。相当カルチャーショック受けると思うけどまぁ最初が南インドだったら他のどの国行っても大丈夫だから!www あ。言っとくけどロマンチストがよく言う『インド行ったら人生観変わる』とかってのは北インドの事だから期待しないでね。しかし初海外でいきなり南インドかぁ。。。。」と。

そもそも当時でも私が通ってた大学では少なくとも卒業旅行に海外に行くのが普通であった。

親に出してもらったりバイトしてお金貯めたりして。
あいにく私はいつでも貧乏であった。親は金持ちであったが金に関して厳しかった。
そんな次第だったので大学卒業前、卒業論文・卒業設計を提出した翌日から既に働いていた。
周りは就職前の最後の自由とばかりに旅行に行く中、私は休みの日も遊び相手もおらず、金もなく、ひたすら「ドラクエⅥ幻の大地」のレベルアップに勤しんでいた。
周りの友達がまだ春休みを謳歌している卒業式の日は私も勤務先に休みをもらった。1日だけ。
卒業式の日に1ヶ月以上ぶりに再会した旧友たちは皆「卒業旅行どうだった?何処言ったの?」という話題で盛り上がっていた。
スイスだのオーストラリアだのお互いのみやげ話で盛り上がる中、私は「何処行ってきたの?卒業旅行」と聞かれて
「まぼろしの大地(ドラクエの世界だけど。。。。)」と答えて皆の哀れみを買った。
ちなみにこの話は大学を卒業し、2年間働いてお金を貯め、大学院を受験して再入学してからの話である。

1回目の調査時も8週間の滞在だったが移動手段確保や宿探し、現地での調査交渉などベテラン勢に任せっきりで下っ端の私は付いて行くだけ。
それでも相当にきつかった。そして今回は誰も頼る人は居ない。
現地で英語が通じるのはマドラスまで。そこから奥に行くと英語を話せるのは村中探してもわずか2〜3人。基本的に現地のドラヴィタ語しか通じない。
私の英語力はペーパーテストではそこそこだったが会話力はほぼゼロ。典型的な日本英語教育の申し子。
現地の住環境はほぼ野生。私は東京のボロアパート風呂なしトイレ共同でも尻尾を巻いて逃げ出すほどの軟弱児。

そして極めつけはマドラス空港に深夜2時に到着した後は何もかもノープランだということ。

当時はまだインターネットが普及し始めた初期で、海外でもスマホで自由に情報収集が出来るようになる10年以上前の話。
情報源は「地球の歩き方」1冊のみ。マドラス到着後は全て行き当たりばったり。

その日の宿も決まって無ければ街への行き方もわからない。その前に空港での入国手続きの仕方すらよく分かっていない。

そういった幾多の不安に押しつぶされそうになりながらバスは午前8時過ぎに成田空港に到着。
国際線でのチェックインや出国審査を一人でやるのも初めて。


「はじめてのおつかい」みたいなオロオロ感満載であったがまだまだここは日本。言葉が通じる事の有り難さを痛感する。
搭乗までに少し時間があったので売店でおにぎりセットと小説2冊、それと
ビックコミックスピリッツを購入。
搭乗まで残り30分。搭乗を待つ私は「高等少年院に移送される時のマンモス西(あしたのジョーより)」の様であったと思う。



(つづく)




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