ワールドピースチアリーダーMONAの原動力、それは障がいという素敵な個性を持った弟 part1

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宇宙に行くのだと思った

「これからアメリカに行くわよ」
当時の私は3歳。幼い私の頭の中は地球イコール日本だった
ロケットに乗ってアメリカという惑星に行くのだと思った
「お星様が近くで見られるんだ」
そう思ったこの時のワクワク感は今でもはっきりと覚えている。


飛行機に乗り込んだ。ロケットじゃないことに不思議に思った。
窓の外をずっと見ていても、お星様は現れない。地球も見えてこない。
そしてそのまま、アメリカに到着したのだ。


当時いとこがアメリカのシアトルという場所で仕事をしていた。
バケーションがてら、家族で二ヶ月ほどいとこの家に滞在させてもらったのだ。
階段にはカーペットが敷いてあるような大きなおうち。
かけっこができるような緑色のひろーいお庭
ゴロンとすると、その緑の匂いが心地よかった。
大人たちはよくそのお庭で、のんびりした椅子で、ビールという飲み物を飲んでいた。
「この世で一番いいところは北海道なんだよ」
とアメリカに来る前まで私にしきりに伝えていた父は、
その北海道という言葉がいつからかアメリカに変わっていた。
大人はコロコロいうことが変わるのだ。


いとこのの幼稚園や小学校には、私も勝手によくついていった。
だから、お友達もすぐにできた。
そこでは好奇心旺盛な私には不思議で素敵なことばかりだった。
今まで聞いたことのない言葉をしゃべっているお友達。
髪の毛がキラキラしているお友達
ひとみが澄んでいるお友達
見たことないお肌のお友達
でも、追いかけっこやおままごと、お花屋さんごっこを一緒にして楽しいと思うのは同じだった。
毎日いろんなお友達の家に遊びに行っては、くたくたになるまで遊んでいた。
幼稚園の中に、タイヤが二つ付いた椅子に座っている男の子がいた。
教室では、いつもその子を囲んで、暖かい空気が流れていて、私はその空気が大好きだった



3つ子の魂100まで

この言葉は本当だと思う
アメリカでの二ヶ月で、地球はどうやら日本だけでなく、いろいろな国がありそうだということ
人っていうのはどうやら日本人だけでなく、違う言葉を話したり、見た目が違ったりと、いろんな人がいるのだってこと。
私の好奇心の塊はさらに大きく膨らんだ。
そして3年間の人生で初めて夢というものができた。
世界中の人とお友達になりたい


この時できた小さくて大きな夢が、この先の私の人生にほんのりと、そしてずっとそばにい続けることになった。









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