ひたすら前だけを向いて歩くクニオ君の話
毎朝、通勤の時に職場のすぐ前の歩道ですれ違うおじちゃんを「くにおくん」と勝手に名付けて心の中であいさつをしていた。
名前の通り、昔流行ったゲームの「熱血硬派くにおくん」の50年後みたいなおじちゃんで、30年前に流行ったような巨大なバッシュに黒のボンタンジャージ、上は、日替わりで赤、青、黄の原色のシャツを襟を立てて爽快に着こなしている。
気合いの入った日には、シャツと同じ色のメッシュを前髪のそり込みの部分に入れて、重そうな太鼓腹をのしのしと揺らし、ガニ股で駅前の歩道を闊歩していた。
そして、その横にはこれまた僕が勝手に「のぶよちゃん」と命名した、あのドラえもんの声優そっくりで長い髪を三つ編みにした小太りの福々しい女性がいつも並んで歩いていた。機嫌のよさそうな日には並んで手をつないで、何やら楽しそうにお話をしながら二人して駅に向かって行く。
「くにおくん」はお決まりの合皮のセカンドバックを小脇に抱え、「のぶよちゃん」手製の弁当が詰まっているであろう巨大な黒いランチャーを肩にかけて毎日意気揚々と(たぶん現場に)出勤されているご様子で、彼らを目で見送ることが毎日の日課になっていた。
こんな強烈であっても幸せそうな二人を見ると何なくこちらもうれしい気持ちになって「おお、くにおくん、今日もバリバリだなあ、行ってらっしゃい」と心の中で声をかけていた。「のぶよちゃん」にちょっかいをかけようものなら、0.1秒で歩道に沈められてしまいそうな覇気が「くにおくん」からは発散されているようだった。
それが、この秋口から駅前の歩道を闊歩するのは「くにおくん」だけになってしまった。「くにおくんは」前だけをじっと見つめ黙々と歩く。心なしか表情も暗く、しばらくすると彼を見かけることはなくなった。「のぶよちゃん」は病気なのか、あるいは「くにおくん」との関係にピリオドが打たれたのだろうか、と気になっていた。
そして、今朝、1か月ぶりくらいに「くにおくん」とすれ違った。黒髪に原色のメッシュを入れていた頭髪は真っ白で(もともと黒く染めていたのだろう。もしかしたらヘアスタイルのセットは「のぶよちゃん」の担当だったのかもしれない。)、原色のシャツと黒いボンタンジャージは健在なものの、その体は二回りほども小さくなっているように見受けられた。
真っ白な髪に泣きはらしてしわくちゃになったような顔の「くにおくん」は、歯を食いしばるように前を見つめ、駅に向かって黙々と歩いていく。小脇にはあの合皮のセカンドバックが挟まっているが、肩にはあの巨大ランチャーはなく、代わりにコンビニのお弁当と菓子パンが入った袋を手に提げている。
「くにおくん」は、前だけを見つめ黙々と歩く。あの暑い夏の朝の「のぶよちゃん」との楽し気な談笑の際に見せた自信に満ち溢れながらも緩んだ笑顔はなく、巌のような鬼瓦のような顔面を僕はただただ見送った。
「くにおくん」の身に何が起こったのかはもちろんわからない。でも、やっぱり僕は「のぶよちゃん」と手をつないで並んで歩く覇気に溢れた「くにおくん」のほうが好きだ。もう、望んでも望むべくもない、二度と見ることのない姿であったとしても。
ニュースでは今朝、今年初の木枯らしが吹いたらしい。
何があっても、人はそれでも「くにおくん」のように、前だけを向いて黙々と歩いていくものなのだろうか、と思う。こう考えれば「くにおくん」はやっぱり熱血硬派なんだろうと思う。
そして、僕は彼ほどに強くなれるだろうかと考えてみたが、今のところその自信はない。しかし、「くにおくん」から何かしらを教わったような気もするのもまた確かだ。
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