インドの山奥で修行してきた話-21 【インド最後の五日間。帰国して成田で号泣】

前編: インドの山奥で修行してきた話-20 【タミル大学へ。そしてさよならタンジャブール】

1997年11月22日(土)第三十日目 
AM10:00 タミル大学で「こいつに会え」と紹介状を書いてもらった
国際タミル研究所の布川氏に面会する為リキシャを拾う。

ホテルにあった電話帳から電話番号調べて電話してみたが取り次いでもらえなかった為、またもやアポ無し突撃。この頃にはこういう事平気で出来るくらいに感覚が麻痺してました。
しかし到着したものの敷地がめちゃくちゃ広い。リキシャのオジサンをそのまま通訳に雇い道行く人に「建築学専攻の布川氏を知らないか?」と聞きまくる。ここの人たちは友好的で声掛ける人みんなが一緒になって探してくれた。
なんとか布川氏が在籍してるらしい研究室に辿り着くも氏は月曜日まで不在と、前回と同じパターン。
月曜日にまた来ると言い残し今度は航空券の予約変更のためマレーシア航空の支所へ。
当初調査にどのくらい掛かるか見えなかったので余裕を持ってチケット抑えていたがそれを3日後の火曜日に変更。
対応してくれたインド人、「予定より二週間も早い帰国じゃないか! 何かインドで嫌なことでもあったのか?」と心配してたけど、自分はもう帰国日が決まってニッコニコ。刑務所に入ってた人が出所日が決まった時こんな気分になるんだと思う。

これで月曜日に
国際タミル研究所を再訪するまでの時間はオールフリー!!
文献を探しに本屋巡りをする他はひたすらホテルでルームサービス+映画三昧。
この時見た映画はダイ・ハード3、ルーキー・オブ・ザ・イヤー、ビッグ、エアーアメリカ、アメリカンシチズン、ウイングオブデザイアー、ブレインデッド、フライトオブアルカトール。メジャー・マイナーに関わらずテレビにインド人が登場しないだけで嬉しくて見続けた。見た映画の全て日記に感想まで書いてある。この時幸せの絶頂だった事が伺える。
夜は毎晩ホテルのルーフトップバーへ。今までの怪しい酒場とは全然違う。何しろメニューにカクテルまであった。ここは天国かと思う。

1997年11月24日(月)第三十一日目 

AM9:30 再び国際タミル研究所へ。前回「ここが布川氏の研究室だよ」と教えてくれた部屋に向かう。
行ってみると先日いた人が誰も居ない。また自己紹介から始める。
すると「お前が探してるのは日本人か? だったらここにはいないぞ。韓国人だったら居るけど、そいつの専門は建築じゃない」と。。。。


あらららら。。。。前回みんな話をあまり聞かないで、見た目だけでその韓国人と同胞だって判断して連れて来られたんやなぁ。。。
こうなりゃーって事でとにかく手当たり次第に「マヤマタを知らないか? 建築マンダラを研究してる人はいないか?」と聞いて回ったが、みんな避ける避ける。。。。 気持ちは分かる。逆の立場で考えたら俺もそんな外人相手にしたくない。
結局1時間粘って諦める。これで全ての調査を打ち切り。後は明日深夜発の飛行機に乗るだけ。

1997年11月25日(火)第三十二日目 
AM7:00起床 飛行機の時間まで何も予定はないのに帰国が楽しみすぎて早く目が覚める
相変わらず一日中部屋でルームサービス+映画。もうインド人見たくなかったから。
PM6:00 ホテルチェックアウト。
8:30にタクシーを予約していつものルーフトップバーへ。
ウィスキーを飲みながらマドラスの夜景を見てたら泣けてきた。今までの苦労が走馬灯のように思い出された。
ちなみにこの最後の5日間で使ったお金の合計はダラシュラム村で3週間過ごした分と同じくらいでした。
PM8:30 ホテル発  PM9:00マドラス空港着 
AM0:20 離陸 機内で行きの飛行機内での事などを思い出して懐かしい気持ちに浸りながら珍しく機内で寝る。

1997年11月26日(水)第三十三日目 
AM7:00 クアラルンプール着 乗り継ぎの飛行機まで5時間。空港内に喫煙所が2箇所しか無いのが不便。長椅子で横になったりして時間を潰す。


空港がインドに比べて超近代的で旅の終わりが近づいてることに感動。 ブランチにフォーを食す。 汁+麺の食事は33日ぶり。麺好きにはたまらない瞬間だった。
AM12:20 成田に向けて離陸。液晶モニタ付きの座席に感動。スピード2としこふんじゃった見て後はゲーム。周りの人は私の今の状況とか知らないのでさぞかし異様なテンションが不気味だったと思う。髭・髪ボーボーで顔は日焼けで真っ黒。で、泣き笑いしながらゲームに興じる。ちょっと頭のおかしな人っぽかったと思われる。
PM8:10 成田着 飛行機降りてからイミグレまで歩くとき文明社会に帰ってきた安堵と辛かった日々が終わった感動でボロボロ泣きながら歩いたのを覚えてる。ただイミグレの後ろで並んでたオジサン達が「日本の空港は全然ダメだな。ホント恥ずかしいよ。アメリカの空港はねー。。。」とか文句ばっかで腹たった。是非ともあのインドの山奥に置き去りにしてやりたいと思った。日本人に生まれたことを感謝しろ!

その後成田エクスプレスで新宿まで戻り、最後中野のアパートに到着して全日程終了。時刻はPM10:30。
インドにいる間「帰国したら真っ先におでん屋行くぞ!」と楽しみに、夢にまで見ていたがイザ帰って来たらまた外出する元気もなくシャワー浴びて就寝。
翌日研究室に帰国報告。第一声は「二度とインドには行きませんからね!」でした。

ただしこれは20年前の話。現在はこの時よりかなり近代化されてる様ですし観光客も足を運びやすくなってる模様。ネットで幾らでも情報得られるしホントいい時代になったもんだと。そしてこの時の私の苦労は何だったんだろうと思わんでもない。
おそらく今の時代に観光や放浪で行くんだったら南インドは面白いのかもしれない。自分は情報が容易に得られない中で単独研究調査という状況だったので。。。。。 インドの方々、そしてインドLOVEの方々、気分を害される方が居たかもしれませんがその辺の事ご理解ください。
ちなみにマドラスは当時の呼称で今ではチェンナイと言うそうな。当時の時代背景を。。。。という程でもないが見なおして書き換えるもの面倒なのでこの記事ではマドラスのままで通します。

おしまい




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