あたしがあたしになれるまで

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前編: あたしがあたしになれるまで
後編: あたしがあたしになれるまで

春と言うにはまた肌寒い時期。中学2年生の冬。その日は、あたしにとってとても印象深い日だった。


当時、明日なんて来なければいいと思っていた。このまま時間が止まってしまえばいいとさえ思っていた。


その日も皆、部活を終えてそれぞれが楽器を片付け、またね、と一言いうと部室をあとにする。あたしもまた、楽器をしまい家路につこうとしていた。

あたしの家は学校まで徒歩30分。塾は隣町に通っていたので、
夜は母が迎えに来てくれて塾へ行くような毎日だった。

学校の螺旋状になった階段を降り、靴箱にいき、母が待つ車へと向かう。今日はどんな話をしようか。友達が誉めてくれた話か。はたまた、あたしと先輩とのじゃれあいの話か。

いつだって、母に何でも話すどこにでもいる中学生だった。

車を見つけて乗り込んだとき、なんだか、違和感を覚えた。母が顔を真っ赤にして涙ぐんでいたのだ。


母が泣いている姿なんて、今だかつて見たことがなかった。母はいつでも、社交的で明るい太陽みたいな人だから、泣くと言う言葉を知らないと思うくらいポジティブな人だと思っていた。

「離婚することになった」

その時あたしはハッとした。理解するのに時間がかかった。なぜ母が泣いているのか、その理由は想像もつかなかった離婚だと。

「母さんが悪いんよ」

「追い出されたんよ」

なんで?なんでそうなったん?

あたしはわからなかった。今日の今日まで父と母は仲がよかった。とあたしは思っていたのに。喧嘩こそすれ、旅行だって皆でいっていたのに。

知らない間にすれ違いが起こっていたのか。それとも、最初から噛み合っていなかったのか。

ギリギリ回っていた歯車は、音をたてて崩れていった。

こんな状態で塾なんて行けるはずもなく、母があたしを落ち着かせるために地元近くを運転してくれていたのを覚えている。

そんな風にしてくれていたのに、あたしは自分に原因があると考えた。あたしさえいなければ、父と母はうまくいっていた。

あたしが何でもほしいと言うから、母は無理をしていたんじゃないかと。

「あたしなんていなければよかってん」

この言葉を聞いたとき、母は心の底から傷ついたと思う。あたしは、なんて言葉を口にしたんだと今でも後悔している。

この言葉を言えば、なにかが変わると思っていた。魔法の言葉のように思っていた。

でも、そんなこと言っても母の傷が深くなるだけ。あたしにはそれがわからなかった。とにかく必死に母と暮らしたいと思っていた。

ただ、母は言う。親権は父にあると。

あたしは絶句した。あの父と二人きりで生活をしなければならないのかと。

父はとにかく理不尽に怒鳴る人だった。怖くて怖くて仕方がなかった。そんな父と暮らすなんて!想像もつかなかった。

母はその日、父に1日だけ過ごしたいとお願いしたそうだが、それも叶わずあたしは父の待つ家へと帰ることになった。

地元近くで母と別れを告げた。あの時、あたしは母と何をしゃべったか覚えていない。ただ、家に帰る間ひたすらに泣きわめいていた。父と暮らすことが嫌だと言う感情に飲み込まれていた。

それ以上に思うことは、母の待つ家がどんなに温かかったか。母と暮らす家などんなに楽しかったか。

もうそれも叶わないと思うと家に帰りたくなかった。このまま家に帰らずに友達の家に逃げ込もうか。そんなことも考えたけれど、父と言う人物に怖さを覚えていたこともあり、その行動もできずおとなしく家へと帰る。

帰れば父が何もいわずに座椅子に座っていた。口がへの字に曲がっている。これは機嫌が悪いと言うことがすぐにわかった。

これからなにか言われる。それがわかった瞬間に身構えた。あたしは父のとなりに座り、しゃべるのを待った。

「お前も中学生や、しっかりしやなあかん」

あたしは何も言えなかった。

「お前には辛いかもしれんが、あいつはお前を裏切ったんや」

父は喋り続けた。

「あいつはお前の貯金を使っていた。それに俺に黙って借金していた」

この時、お金の恐ろしさを知ったと同時に、誰も信じたくなくなった。母は、そんなことを一言も言っていなかった。

誰が正しいことをいってるのだろう?母は、あたしを裏切っていたのか。そう思うと、涙が止まらなくなった。

父はそのあとも何か言っていたと思う。けれどもう、覚えていない。父は、泣いているあたしをおいて、2階にある父の寝室に向かっていった。

取り残されたあたしは、眠りにつきたくもお風呂に入りたくもなかった。何か行動すれば、今日が終わってしまう。

明日なんて来なければいいと思っていた。時間が止まればいいと思っていた。

これが夢であればいいと本気で思った。けれど、次の日は必ず訪れる。

そしてあたしは知る。

昨日起きたことが事実であると。

朝起きれば、毎日準備してくれていた朝ご飯もない。母さんがいつだって準備してくれていた。

温かいご飯。朝から食べられることがどんなに嬉しいことか気づかなかった。

朝は父が起きてこない。あたしは一人でご飯を食べて学校へと行く。

学校で仲のいい友達に父と母が離婚したと告げた。その時、友達はどんどん暗くなっていくあたしの表情を随分心配してくれていたようだ。

おしゃべりだったあたしが、どんどん暗くなっていく。それが徐々にわかっていったと言う。

そして、春になり中学3年生で起きたいじめ。始まりはほんの些細な会話だった。

スカートが短くなったよねと、あたしは友達にいったそうだ。誰かにたいしてでなく、友達と二人で話していてふと何気なしに口にした。

その件で、自分の妹のことを言われたとある同級生から問い詰められた。最初は違うといっていたのに、聞いてもらえない。

気弱だったあたしは、その言い合いに負けてしまった。

「いったかもしれない」

覚えていないのに、そんな風にいってしまったあの頃のあたし。

そこで違うと言い切れば、何か変わっていたのだろう。それをあたしは強く言えなかった。

父にその話もできず、ひたすらに悩んでいた。友達が見るに見かねて、助けてくれた。

時折学校を休んでいたあたしは、もうすぐで不登校になるところだっただろう。高校もいかずに、何もできない人間になっていたかもしれない。

その時、言葉はナイフだと知った。そして、父の些細な言葉のナイフは、あたしの心のなかを抉っていることがわかった。

父に相談できない。母がいればあたしは、相談できていたのかな?あたしはどうして父と暮らしているんだろう。そんな悩みがいつも頭から離れなかった。

そして近づく受験。行きたい高校はあたしのレベルではギリギリだった。

この高校にいけば、祖母の家が近くにあるから祖母の家に住めるかもと思っていた。

判定はD。先生にも塾の先生にもランクを落とした方がいいと言われた。それでもあたしは引かなかった。

塾へ行くとき、父は仕事で家にいない。塾は歩いて30分ほどかかる場所にあった。まだバイクにも乗れなかったあたしは、歩いて夜の道を進まないといけなかった。

みんなは、送り迎えしてもらってるのにあたしは、、、。帰りだけは危ないからとタクシーにのって何度も帰っていた気がする。

夏が来て秋が来て、冬が来た。あたしは、県内の私学を受験し、合格した。皆県外も受けていたが、あたしは受けさせてもらえなかった。県内の私学だけで十分だろうと。

そして、あたしはなんとか志望校の公立高校に合格した。高校生になれば、あたしは変わるんだと心に決めていた。

けれど、まだまだあたしの生活はぐるぐると目まぐるしく変わっていくのだった。


それから、あたしは高校生になった。いつも祖母の家に行くときに通っていた高校だ。

高校生になって、あたしは、なんだか嬉しくなった。今まで父親の管理下にいたようで、とても苦しかった。

でも高校生は、違うんだ!なんて甘く考えていた。

地元から約1時間かけて通う高校生活。高校で絶対始めたいものがあった。

それがソフトテニス。あたしは、母のしていたテニスをずっとやりたいと思っていた。

父は当初テニス部にはいることに対して反対していた。もともと小児喘息を患っていて、よく喘息がでたり体が弱かったからだ。

けれど、その頃はもうあまり風邪も引かなくなり、病院の先生にも小児喘息がなおったと言われていた。

その事を理由にあたしはテニスを始めると父を説得した。テニスはあたしを大きく変える切っ掛けの1つになってくることは、この頃のあたしは知るよしもなかった。

同じ学年の女子が10人。そのこたちがテニス部に4月から入部した仲間だった。

テニスはとても楽しかった。勉強にはついていけなかったあたし。授業がおわれば一目散に更衣室へと走っていく。大好きなテニスができると、毎日が楽しみで仕方がなかった。

入ってすぐは、体力作りに素振りだったけれど、どれもが楽しくて仕方がなかった。父との生活を忘れられる時間、何かに打ち込む時間があたしは好きだった。

部活がおわれば、また一時間かけて家に帰る。家に帰れば、父はいるのだろうか?

父がいる空間に苦手意識を持ち、父と会話をすることが怖かった。

ある日、学校から帰ったあたしを待ち受けていたのは、黙って怒りを露にする父だった。父は、母と離婚した日と同じように座椅子にどっしりと座っていた。

「携帯代が高い」

携帯を中学の3年生からもつことを許され、友達とやり取りができるようになった。ホームページを作ることもできた。

そこで覚える課金。携帯ゲーム等はそこまで普及はしていなかったが、あたしはコミックをネットで読むことを覚えた。

父に注意されたことに対して、初めて使いすぎていたことを知った。

反省したけれど、その翌月などは携帯代がどれだけかかっていたか気になってしまっていた。

そして、翌月。あたしは、父より先に帰ってきていたので、携帯の明細をあけてみた。自分の明細を見終わると、あたしは封筒に戻して父の座るテーブルのところにおいておいた。

その夜、あたしは父に怒鳴られることとなる。

「おい、ちょっとこっちこい」

帰ってきたあと自分の部屋へと向かい着替え終われば、いつも座る場所へと向かった父。座り、明細書があいているとわかり、父の声色は変化する。

あたしは、なにも言わずに父のとなりへ座る。

「あけたんか」

「うん…」

「お前もか…

結局お前もあいつの子やな。やることが同じやわ」

父は少し嘲笑うかのように言葉を投げつけた。父は言う。

母は、まずいと思う明細が来ると父に内緒にしていたらしい。それがわかり、何度母を怒鳴ったか。何度お金のやりくりをしたかと、自慢気に話す。

祖母にまでお金をかり、父は仕事をやめざるを得なかった。

父は、あたしをあいつの子だといったけれど、あたしは言いたかった。あの人の子供だけれど、あなたの子でもあると。

そんな言葉いうなら、何で引き取ったの?

言葉は時としてナイフになる。それを父は知らないのだろうか。

この言葉は父に言われた言葉のなかでも鮮明に覚えている言葉だ。

「お前が男やったら、殴ってたわ」

あけたことに関して言い訳をするつもりもなかった。まさか、怒られるなんて思いもしなかった。

隠すつもりも、逃げるつもりとなかったのに、なぜ父はそのようにいったのかいまだにわからない。

けれど、父にはあたしと母が重なって見えたのだろう。


父との関係は良好ではない。それは、中学の友達もあたしの話を聞いていて、わかっていたようだった。

あの頃のあたしは元気がなかった。と、大学の頃に中学の友達は言った。

元気になれた理由は、テニス部が一番だと思うよ、ともいってくれた。

高校の時、相変わらず成績が悪かったあたし。無理して、背伸びして入った高校では、いくら中学の時に勉強についていけたとしてもこけてしまうと、瞬く間に置いていかれる。

インフルエンザの時は最悪だった。元々ついていけてないのに、さらに距離を離される。もはや、先生が言っている言葉は異国の言葉だ。

当時のテストは、殆んどよくなかった。1年の秋、遂によくないテストの点数を見て父は言いはなった。

「お前、部活やめろ」

夜遅くまで部活動に明け暮れるあたしが勉強についていけていないことが、テストをみてわかる。それだけあたしは、勉強ができていなかった。

「部活してるから、成績が悪いんや。そんなんやったら、部活やめろ」

部活をとられたら、あたしに何が残るのだろうか。必死で父親を納得させる言葉を探した。

けれどいくら探しても見つからなかった。あたしは、それでも辞めたくなかった。

部活をとられてしまえば、あたしはあたしでなくなる。たった一言やめたくないというのがとても難しかった。

「やめ、たくない」

必死で勇気を振り絞って父親に逆らってみた。

「勝手にしろ」

父はそう吐き捨てると、自分の部屋に戻っていった。

なぜ反論しなかったのか、と今なら思うけれど、あの頃は反論できなかった。

父が絶対で父に逆らったら、怒鳴り散らされると思っていたから怖かった。恐怖ばかりが、あたしの心を縛り付けていた。

この時違う言葉を言っていたら、今のあたしはなかったのかもしれない。

当時、あたしは父が嫌いで嫌いでたまらなかった。理不尽に怒る父、機嫌のいいときだけ優しくなる。都合のいい人だ、勝手な人だと思っていた。

いつだって自分を縛り付けて、自由になんてさせてくれないと思い込んでいた。

正直、父に対して殺意を覚えたことだってある。何度父に対して思ってしまったか。このまま楽になれる!けれど、止めるのはいつだって想像してしまう誰かの悲しむ顔だった。


高校1年生の冬のある日、あたしは祖父と父とレストランに訪れていた。

祖父は同じ県に住んでおり1ヶ月に1度ないし、2ヶ月に1度一緒に出かけていた。それも祖父の楽しみだったと思う。

祖父はいつも嬉しそうにあたしのことをほめてくれる。

「うちの家系の自慢だ」

そんなとき、自分に少し自信が持てるような気がした。祖父は、あたしをこれでもかと言うくらい可愛がってくれた。

父といても、心が和らいだ。

祖父と父と出掛けたその日は、何だか少し寒気がしていた。ご飯を食べているときに、間接がいたくなった。

これはなんだろう?初めての感覚にあたしは戸惑った。ご飯を食べたあと、家に帰りすぐにベッドに潜り込んだ。

それでも間接の痛みは引かず、熱まで出てきたようだった。

次の日、父はそのまま仕事へ向かった。あたしはその日学校を休んだ。そして次の日も休んだ。

住んでいるところは田舎で自力で病院へいくには交通手段もなかった。父に気づいてもらうまで、しばらく時間がかかった。

3日くらいたってから、あたしは病院へと向かうことになり、インフルエンザと発覚する。


節々が痛くても、何もしてもらえない。母だったら、母とすんでいたらと叶いっこない理想ばかりが頭をよぎっていた。

この頃になると、どれだけ裏切られたと父に言われても、母に会いたい気持ちが徐々に膨らんでいっていた。

そして、あわよくば母と一緒に暮らしたいとまで思い始めていた。

転機が訪れたのは、インフルエンザにかかったあとだった。きっかけは本当に不純なものだった。

部活帰りみんな迎えに来てもらっているなか、あたしは一人で帰らなくちゃ行けない。そんなとき、ふと脳裏をよぎったのは母のこと。

あたしは母と2年、3年ぶりに連絡を取ることになる。けれど、そのときの緊張は想像しているよりも酷かった。

どうしよう。利用しているのではないか、こんな風に再会してもいいものなのか。

そんなことを考えながらも、あたしは母と連絡を取った。迎えに来てくれた母は、少し老けたような気がした。昔使っていた車ではなく、小さな車でいかにも苦労していましたというような乗用車だった。

あたしはそのとき、母に連絡をとっていなければ今も父と暮らしていたのかもしれない。

母と話をするととても楽しかった。元々朗らかな人で、顔が広い。

聞いていたら、当初は友達の家を転々としていたようだった。

母の生活を想像してみた。どんなに苦しくてどんなに悲しかったか。

母に甘えることは最初とても難しかった。少しぶっきらぼうになってしまう自分が嫌だった。自分から呼び出したくせに、こんなにも愛想が悪いなんて!

お母さんと再会してからというもの、あたしは、ちょくちょく母と会うようになっていた。そして、母が塾から地元の近くまで送ってくれるようになっていた。

その時間があたしはとても好きになっていた。父にはない居心地のよさが、そこにはあった。

朝は祖母の家に行くようになった。祖母があたしのお弁当を作ってくれるようになった。

祖母も嬉しそうにしてくれるのだ。あたしが戻ってきたと。

年に数回しか顔を見せていなかったけれど、今はこうして朝学校行く前に顔をのぞかせる。そしてたまに父が夜勤の時は祖母の家に泊まって過ごすようになった。

3年生になる前、2年生の夏くらいから土日に父のいる家に戻ることを条件に、祖母の家に泊まって学校に通学することとなった。

当初はとても反対された。けれど、父との暮らしはもう沢山だった。

朝、父自身の好きなもので構成された朝ごはん。あたしは、レーズンやマーガリンの入ったバターロールが苦手だった。それを食べず、学校へ向かう。お昼は、適当にちぎったフランスパン。

夜は、時折お風呂に入ろうと思ったらお湯がすでに抜かれていた。夏ならまだしも、冬に何度かそんなことがあった。

お鍋の残りが一週間以上放置。

そんな生活に嫌気がさしていた。その当時は、料理も今以上にできず、1人で何かすることができなかった。

だから母と祖母に甘えたかったのかもしれない。

母も祖母の家に戻ってきており、あたしは父に母が祖母の家にいることを内緒にしていた。

これが後々大きな問題になることは気づきもしなかった。

祖母は嬉しそうだった。母のことを心配し、あたしのことも心配していた。母とはお金の件で何度か縁を切ろうと思ったらしいが、それでも親子。祖母は、それでも母との関係を切ることはなかった。

朝に祖母と母がいる光景は、今でも幸せだったと覚えている。祖母は、あたしにお弁当を作ってくれた。いつもいれてくれたブリの塩焼きは、お母さんのブリの塩焼きよりも美味しかった。

高校2年生のとき出された家庭科の宿題で祖母に食べてもらったご飯。祖母は、美味しいよって笑顔で食べてくれた。

一緒に過ごせる時間がいつまでも続いてほしかった。けれど、そんな時間もいつかは終わりを迎えてしまう。

もうすぐクリスマス前。あたしは中学校の頃の友達と遊ぶ約束をしていた。その日の祖母は調子が悪かった。2階で勉強していたら、ガタンと1階から音がした。

何事かと降りてみたら、祖母が洗面所で倒れていたのだ。あたしはあわてて、祖母を抱き起こす。

「おばあちゃん、大丈夫?」

「足の力抜けたんやわ。それで倒れたんや」

あれ、おばあちゃん、こんなに軽かったっけ。

あたしは祖母がいつのまにかこんなにも老いてしまったことに気付いた。あたしが大きくなれば、みんな老いていく。

そして祖母がボソッと言うのだ。もうだめかもしれない、と。そんなこといわないで、あたしはそれしか言えなかった。まだまだ元気でいてほしいのに、そんな悲しいこと言うなんて。

「あたしがやるから、おばあちゃんはゆっくりしといて」

祖母が這って洗面所から移動する姿に、切ない気持ちになった。

そして、母に連絡した後、あたしはすこし不安に思いながらも友達とのランチへとでかけた。

けれど、友達と話しているときでも祖母のことが頭から離れなかった。友達との時間をすこし早めに切り上げて、あたしは家路につく。

祖母はいつも通りだった。あたしは、帰ってきてほっとする。

母も帰ってきたあと、心配だからと病院へ母は祖母をつれていった。あたしは、ひたすらに祖母の状態が異常なしであると言う報告を待っていた。

帰ってきた母から告げられたのは、異常なしの一言。倒れたときはすこし血圧が高くなっていたという言葉だった。

その言葉を聞いてとても安心した。あのときの不安は、一時的なものなんだと。

安心した母とあたしは、近くのTSUTAYAにいってから買い物にいくことになった。祖母は、その日はもうつかれているからと早めにお風呂にはいって寝るといっていた。

「電気消してねといてね」

母は祖母に一言のこし、家を後にする。


「たくさんかったな!おばあちゃん、もう寝てるかな??」

「そうやなぁ、もう寝てるかもしれへんね。先はいっとき」

母が車をとめて、あたしは先に荷物をもって家にはいる。そのとき、違和感があった。洗面所の電気がついていた。あれ?

もう祖母は寝ているはず。電気の消し忘れかな、と思ったが祖母がそんな忘れる人でない。

もしかして、と一瞬にして不安がよぎる。あたしは、急いでお風呂場の扉を開けた。

「おばあちゃん!!」

そこには、唇が紫になった祖母の姿があった。あたしは急いで母のところへかけよる。

「母さん!おばあちゃんがっ、」

「どしたん??」

「おばあちゃんがっ、浴槽で」

母は、慌てて家にはいり浴槽に向かう。今まででこんなにも慌てている母を見たことがないくらい必死だった。

祖母は既に息をしていない。母は構わずお湯を抜き心臓マッサージをする。母はこのときすごく必死だった。母は、泣き叫ぶように何度も祖母のことをよぶ。

「お母ちゃん!いかんといて!いかんといてっ」

あたしは救急車を呼ぶことしかできずただただ立ち尽くしているだけだった。目の前で繰り広げられる死の恐怖に、逃げ出したくなった。

いつかあたしはこんな風に母を見とるのだろうか。とても怖くなった。

救急車がやってきて、祖母はそのまま救急搬送された。母とあたしはそのあとを車でついていく。

隣に住んでいた祖母の友人は、病院へと向かう前に母に対して泣きながら訴えていた。

「なんでっ、友達を奪わんといてよっ」

隣に住んでいたおばさんは、祖母の良き友人だった。おばさんは、いきなり友人を奪われてしまった。この気持ちの向けるところはどこにもなかった。ただ母に対してだけぶつけられていた。

母もあたしも何も言えずにいた。何も言えなかった。もし、母とあたしが外に出ていなければ、祖母は生きていたのかもしれない。

そんな気持ちがぬぐえないでいたからだと思う。

車のなかでもあたしも何も話せなかった。こんなときはなにを話せばいいのだろう。普段うるさいあたしもこの時はずっと黙っていた。

待合室について、あたしは微かな希望を抱いていた。医師が奇跡を起こしてくれるんじゃないか。祖母が息を吹き返してくれるんじゃないかと。

待ってる最中に、バイクで事故した男の人が待合室にやってきた。すごく医師の人たちが手をやいている。

事故で無事に命があることがうらやましかった。羨ましげに見ていると、母は静かにあたしにいった。

「おばあちゃんな、今日あんたが優しかったって喜んでたよ。何かかってあげたいって。

今日はすごく優しかったって嬉しそうだった」

何で今そんなことをいうのだろうか。何で悲しそうな顔をしてるんだろう。

わかっていた。本当はもう手遅れかもしれないってことも。

母の兄にあたる叔父が、途中でやって来て母に事情をきいている。あたしはただ、二人のやり取りを遠目から見ているだけだった。

その後に警察官がやってきて、事情聴取が行われた。第一発見者のあたしに質問してくる。聞かないでほしかった。思い出したくなかった。

そして時間がたち、医師に呼ばれ祖母の眠る病室へと向かう。祖母はすごく安らかな顔をして眠っていた。

最後苦しくなかったかな。寂しくなかっただろうか。祖母は何を思って死んでいったのだろう。

叔父は、祖母の眠るベッドのとなりで涙を流していた。

あたしはそのまま、その場所をあとにした。


祖母の葬式が行われる。葬式には父を呼ばなければならなかった。あたしにとって、怖い瞬間が訪れようとしていた。

父に母と暮らしていたことがばれてしまう。ずっと隠していたことが、わかってしまう。

それでも母は電話をしなさいと言う。あたしは渋々携帯を手に取り電話をかけた。

怒られることが怖かった。父に怒鳴られることが怖くて拒否反応を示すようになった。

なぜ怒鳴られるのだろう。あたしが離婚したくてした訳じゃない。離婚したのは親の問題だ。あたしは幸せに暮らしたかった。それを壊したのは紛れもなく父だ。

一緒にいることさえ許されないのか?

沸々と浮かび上がる気持ちにあたしは対応しきれなかった。

「明日連れて帰る」

「いらん」

「おばあちゃんはなくなった!お前がいる理由はないやろ!」

なぜ葬式の時にこんなにも荒れないといけないのだ。母のところにいて何がいけないのか。子供に選ぶ権利はないのか。

それでも、父はあたしを連れて帰った。また家に帰って説教だ。こんな時間なくなってしまえばいい。

本当に嫌になる。このまま消え去ってしまえばいいのに。とも考えた。けれど、あたしの理性が止める。そんなことをしてはいけないと。

誰かはが悲しむ姿はみたくないと。

いつの間にか1年がたち、あたしはまた母と暮らすようになっていた。

勝手にしろと父に言われ、母と暮らすことを選んだ。

そして、高校卒業間際。あたしは、父の兄にあたる叔父に会いに行った。大学の入学費を出してくれると言う。

そして叔父はあたしにいう。

「お前んとこの親は両方ともあかんわ」

言われてすぐ、あたしは何のことかわからなかった。叔父は続けざまに言う。

「お前んとこの親父も何度も借金しとる。もう何回お金を貸したか。今だ返ってきてない

同じことを繰り返しとる。アホやわ。お前は親頼ったらあかん。自分でお金ため」

はじめて知る事実にあたしは最初ついていけなかったが、次第に腹が立った。あんなにも母の借金に対する悪口をいっていたのに、自分もしていたなんて。

あたしにいってたこととやってることは同じだ。腹が立つのと同時に悲しくなった。それだけあたしは幼かったのか。

あれだけの言葉をあたしにかけ、心を傷つけた。父はあたしを信じられないといった。あたしももう父を信用できなくなったよ。

母が父に隠したように、父はあたしに隠した。関係が違えど重要度で言えば同じではないか?高校卒業手前、あたしはひどく傷ついた。

父とは高校卒業するまでと当初祖母がなくなってから約束していた。そして、正直な話時間が迫るごとに父のところへ帰ることが怖くなっていった。

土日は帰る約束だったが、父が仕事で帰ってこないことから、あたしは帰らなくなった。

そして、叔父から聞いた事実を知り父から遠ざかろうとした。あたしは父に裏切られたのだ。そんな父と暮らしたくはない。そんな風に考えていた。

あたしに隠していた事実は、教えたくなかったのだろう。父の威厳、家族の絆そんなものが父の中にあったのかもしれない。

けれどいってほしかった。叔父の口からでなく父の口から聞きたかった。聞いたところで何になる?そんな風に思ってしまうだろう。子供のためを思って言わなかったのなら、何も言わないでほしかった。

父は、あたしが大学生となり実家に戻った時に、今後の話をし始めた。

「あたしは母さんとこからかよいたい。時間も大分違う」

「お前は受験の時だけ言うてなかったか?嘘つきか?」

あたしは言い返せない。父の言っていることは図星だ。怒りのこもった口調が、あたしを追い込んでいく。

「土日帰ると言うときながら何回帰ってきた?俺はもうお前を信用できん」

ほら、まただ。信用できないって軽々しく言う。

「俺はお前が3年4年とあいつとくらして、あいつみたいになるんがいやなんや。1年いただけでこんな後先考えへんその場凌ぎの考えをするようになった」

そこまで言われても、あたしは言い返せない。父はあたしの性格を母に似てきたという。

父と暮らせば、あたしは父の言う正確にならないのか?それもまた違う気がする。

「父さんは今借金を抱えてるんや。だから自己破産したらお前も働いてもらわなあかん」

それを今言うんだ。あたしは、その時思った。こんなときに何で言うのだろう。もし父が自己破産し、あたしが働くとなればまともな職にも付けず、それでこそその場凌ぎの生活になっていただろう。

父との話し合いは平行線だった。父は階段を昇りあたしは一人取り残された。

このまま、あたしは父と和解もせずに必要なものだけをまとめて家を飛び出した。

そして、母のいる家へと舞い戻ってきたのだ。

あたしと父は3年ほど顔を会わすことがなかった。あたしは父から逃げてしまった。

大学3年生の頃、父からいきなり電話がかかってきた。祖父の件だ。

祖父が危篤状態だと言う。この頃には祖父は病院で過ごしていた。たまに遊びにいくととても嬉しそうに喋ってくれていた。

そんな祖父もついになくなってしまった。あたしは、母の車に乗り病院へと向かった。

そこには既に安らかに眠る祖父がいた。父は淡々としている。

「こっちにきて、おじいちゃんの顔を見たれ」

母がいない。急に不安になった。父とあたしだけ。叔父はまだこない。

あたしは、何も言えない。父の前に来るとまるで人形のように黙ってしまう。

葬式の時も父は、祖父の肌にさわってみろや、とにかくあたしがいやだと思うことを言ってきた。感情を圧し殺そう。このときだけだ。

このときだけ我慢すればいい。そんな様子に気づいてくれたのは叔父だった。叔父はあたしのことを気にかけてくれた。

この頃から叔父とあたしは時折顔を会わせるようになっていった。

そして、あたしは成人。社会人となった。

それでも父との関係は悪く、連絡などとらなかった。そして、社会人3年目のころ、叔父からはとこの結婚式に一緒にいくかと、誘われた。

はとこの結婚式には、あたしの父と母をよく知る人物も参加していた。

その人は、あたしに大変だったねとこえをかけてくれた。

「おっちゃんな、あんたのこと一時期は養子にとるか本気で悩んでたんやで。

あんたの父親と母親がうまくいってないこともあたしは知っていたよ。あんたの父親が、お寺でお願いしてたのは夫婦円満。でも、あんたの母親はそうでもなかったみたいやけどな」

叔父があたしのことをそこまで考えてくれていたことに、あたしは驚きを隠せなかった。確かにいろんなところで面倒を見てくれた。でもそれは、どの姪っ子に対してもしているものだと思っていた。

けれど、叔父は陰でもあたしのことを支えてくれていたのだと知り、あたしはとても感謝した。

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