一本の映画を撮るように、人生をプロデュースする話。(第2章:ヤツと剣道 編)

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前話: 一本の映画を撮るように、人生をプロデュースする話。(第1章:上京と音楽 編)
広く人類の平和繁栄に、
寄与せんとするものである!」



小学校低学年のオレには、意味なんて到底理解できるはずもなかった。

だが、

こうして改めて声に出してみると、

その偉大さに、心が震える


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ただ、

練習には行きたくなかった。


必ず体温を計り、

37度以上あると、母親に、

「ねぇ、今日は休んでいい?」と尋ねる。


剣道がキライな訳じゃない。

練習がイヤな訳じゃない。


練習の曜日と時間帯に問題があった。

土曜の夜と日曜の午前中は100歩譲ろう。


しかし、

水曜の夜7:00からの

”DRAGON BALL Z”。


これを見れないなんて、神様を本気で恨んだぜ。


その​悔しさと苦しさからの反動に違いない。


今、オレの部屋は、ドラゴンボールのフィギュアでいっぱいだ(笑)


ちなみに、一番好きなキャラクターは悟空の父親のバーダック。​

絶対にかなうはずのない的に、

一人で決戦を挑み散ってゆくさまには”男”を感じた。


OkasurferZ(オカサーファーゼット)は、
丘でサーフする奴ら、、

つまり”音に乗る奴ら”っていう意味。

最後の”Z”はもちろん、メンバーが影響を受けたこのマンガから頂戴した文字だ。


DRAGON BALLは子どもたちに大きな影響と、大きな夢を与えた。


オレもこのマンガに出てくるヒーローたちのように、

子どもたちに夢を与えられるような存在に


いつかはなりたいな。


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小学5年の新学期が始まると同時に、
父の仕事の関係で、佐賀県武雄市の小学校へ転校することになった。

当時はまだ市町村合併前で、佐賀県杵島郡。

”郡”!!

とんでもない大昔にタイムスリップしたかのような感覚だった。

夜7:00以降は真っ暗闇。

コンビニ一つない。

毎週必ず購読していた週刊少年ジャンプとは、そこで決別した。​


おまけに父の実家はもと病院(整骨医院)。

ひぃじいちゃんからやっていたそうだ。


築年数は当時でも100年以上。


なんとか住めるように改装はしてあったが、

100坪ほどある広さと、その歴史が怖かった。


・トイレまで遠すぎる。

・電話がなっても気づけない。

・キョンシーが入ってそうなでかい箱がいくつもある。

・骨董品屋で買えそうな壺や掛け軸、年季の入った家系図。

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