ばあちゃんの教え

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「もう現地ば出て今日くらいに着きんしゃあはずやけんね。

ご飯の用意ばしとらんかったら

また文句ば言いんしゃあやろうけんね。」とのこと。


子供たちは用意されたご飯と母親の話を聞いて、

希望を持ったに違いない。


  ただ、帰ってくると知らされた8月後半から

 1か月が過ぎても2か月が過ぎても、

 じいちゃんは一向に帰ってくる気配がかった。

 当時の管轄にも状況を確認してみたが、

 なんせ戦後の混乱で、『いついつに現地を出発した』以外は

 具体的なことは分からず・・・。


そして終戦から3か月程度が過ぎたある日、

ばあちゃんがいつものように一人分多い御膳=じいちゃんの分も含めて

ご飯の用意を済ませ、子供たちを呼んだ時・・・。


  庭で遊んでいた小学生だった伯父が「お父さん!!」と叫んで、

 その声を聞いた他兄姉も急いで玄関先に出てみると、

 じいちゃんが立っていたらしい。


 かけよって泣きつく子供たちをよそに

 じいちゃんはズイズイ家の中に入り、

「おおい!腹減ったぞぉ!」と言いながら居間に行き、

「なんや、ちょうど飯やったとや。

 おら、お前たち、早う座れ。冷めんうちに食べるぞ。」

 と普段通りに食べ始めたとか。


「なんや、これは。飯が固かぞ!」と文句をのたまうじいちゃん。


  「何ば言いようとですか。米が食べられるだけありがたかとですよ。

 文句があるなら食べんでもよかとに。」ぶつぶつ・・・。


  「なんや!何か言ったや?」


 「・・・」(じとーっと旦那を横目で見るばあちゃん)


ばあちゃんは驚くでもなく泣くでもなく、

いつも通りにおじいちゃんとの‘小競り合い’を展開したそう。


伯母が困惑して、

「え、何で普通にしゃべりよーと? 

 お父さんが帰ってきたとよ?」と聞くと

ばあちゃんは「そらぁ、帰ってくるくさ。家やもん。」

と一言返すのみ。


 その様子を見て子供たちは、

 「何だ。単に帰宅が遅れてただけで、

 普通に帰ってくる予定だったのか。」と思い直したとのこと。


 でも、そんなことはありえない。

 あの時代、場所によって状況の違いはあれど、

 「内地」へ引き上げてくるのは相当な困難だったはず。

 様々な理由で実際に戻って来られなかった方は数えきれないほどいる。

 ましてじいちゃんの出征先は激戦地で、

 終戦後は相当数の日本人が身柄を拘束された場所だ。

 戦時中も敵味方に関わらず相当な犠牲が出たことは

 後になって雑誌の特集でも知った。

​ そして終戦後も皆が皆簡単には引き上げ船に

 乗れたわけではなかったということは周知のとおり。


 家族がそろって普段通りの生活がまた始まることを切に願い、

 実際にそうなったら子供たちの前では何事もなかったように

 平然とふるまったじいちゃんとばあちゃん。


 母親や伯父・伯母たちは、

 両親の「絆」を亡くなってから知ることになった。


 そして誰からというわけでもなく、自然と足は近くにある神社、

 ばあちゃんがお百度参りしたであろう神社に向かい、

 皆でお参りをしたのでした。


 ばあちゃんの死をきっかけに

子供の頃にもらった言葉を思い返してみると、

自分の人生の転機や大事な思い出は、

かなりの割合で「ばあちゃんからの言葉」が

きっかけになっていることに気づいた。

「オナゴにはやさしゅうせんといかん。そうせんと後が怖かばい。」とか

「男には引いたらいかん時がある。引いたらいかん時に引くもん(者)は、

 ばあちゃんがキ〇玉ば取っちゃる。」など。

 

 死んでからなお人(孫)の生き方に大きな影響を与えているばあちゃん。


 あと数年で「不惑」を迎える自分だが、

 とうていばあちゃんの「不惑の心」には追い付けそうもない。


  


 


 

 


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