落ちこぼれの反対を知っている人間は少ない
まえがき
おちこぼれ【落ち零れ】
① 落ちて散らばっているもの。
② 残りもの。あまりもの。
③ 教科の進度についていけない児童・生徒。
(スーパー大辞林より)
「おちこぼれ」という言葉を知っている人は多いです。
「俺は学生の頃落ちこぼれだった」、「私はこんなこともわからない落ちこぼれよ」のように、主に③の意味で使われたりします。
落ちこぼれになるということは、ほとんどの場合(多少の努力を伴ったことを前提に置きつつ)本人の不可抗力によるところが大きいです。
他人が出来ることがなぜ自分にはできないのか、と自己卑下や自己否定をしてしまうこともしばしば。
フィクションの世界に目を向けると、物語の主人公の設定としては「落ちこぼれ」にはある種のテンプレ的要素を持っていることは少なくないです。
実はある特殊な能力を持っていて、それを上手く活用して成功を収めたり、努力を重ねた結果、それがほぼ必ず実を結ぶような流れが主人公が「落ちこぼれ」の物語の場合よく見られ、例えば、落ちこぼれの少年が主人公の某忍者マンガなどは典型的な例だと思います。
なにかとできないことが目立ちやすく、世間の目にさらされやすいがために周りからの孤立を余儀なくされてしまうことが多いことなど、本人が受けるストレスには計り知れないものがあるでしょう。
私はみんなができることができないことは悪であるという風潮が少なからずとも、日本の教育の世界にはあると思っていますし、そして、みんなができるよりできる、できてしまうことは悪であるという風潮もこの国の教育の世界には同様にあると思っています。
それを自分の体験を基に、書いていきたいと思います。
胸くそ悪くなる方もいると思うので、なに言ってんの?と
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長文注意です!
当たり前であったこと
気がつけばそうだった。
思えば小さな頃から、周りの子供よりは物覚えが早かった気がする。
3~4歳の頃から絵本を読んだり、その文章を暗唱できるぐらいには記憶力がよかったことを覚えている。両親は純日本人ではなく、外国の生まれであったため私が日本語を(ひらがなとカタカナだったが)読めることにとても驚いたという。
小さな頃から家には一般家庭程度には書籍があり、もちろん日本語でないものも多かった。そんな中で私は数少ない絵本を繰り返し読み、おそらくはその中で習得できたのだろうと思う。もちろん、英字の絵本も同じ頃には読めていたと思う。
両親が共働きを初め、私ははじめて日本の保育園なるものを経験した。
そこでは同い年の子供や一つ下だったりの子供が多く、みんなで遊ぶことができる楽しい場所だった。そこでは文字の読み書きを教わる時間があり、みんなしてひらがなカタカナを教わった。
一度ホワイトボードに文字を書いたのを見れば、書けた自分と何度も書いてもらわないと覚えられない同い年の子たちがいて、ただ不思議でしかなかったが特に気にも留めてなかったと思う。なにより先生たちは自分を褒めてくれることが不思議だった
「こんな誰でも出来るようなことで褒めてくれるなんて、なんていい人達なんだ」
と、本気で思っていた。
友達もすごいねー!や覚えるの早いねー!と褒めてくれたりする、不思議であり、同時にうれしくもあった。
しかし、それも小学校前までのこと。
今思えば、ここからが楽しくも辛い義務教育の始まりだった。
小学校
地方に住む私は学区内の小学校に通った。
徒歩30分もかかる学校だったがすぐ慣れた。
学校は楽しかった、たくさんの自分が知らないことを知れる。
まだまだ自分の知らないことがたくさんあることは、私にとってとんでもなく
ワクワクさせてくれる事実で、みんなもそう思っていると、疑いもなく思ってた。
小学校入学するころには不思議と小学校6年生までに出てくる常用漢字は一通り書けなくても読めるようにはなっていたこともあってか、学年初めにもらう教科書はその日のうちに一通り読んでしまうのは当たり前だったし、特に国語の教科書は色々な物語がオムニバスなモノだったので、作者の個性が言葉や文章に表れていてその違いを何度も読みこむのが好きだった。
他の教科書も知らない単語や事象が出てくるのでもちろん好きだった。それでも特に国語は好きだった。
他にも当時流行っていた小学○年生という雑誌は常に1つ2つ上の学年のものを読んでいたし、それぐらいはみんなが当たり前にやるものだと思っていた。
そんなことを普通に思っていたからか、授業というものはきっととんでもなく面白いに違いない!という淡い期待を抱いていた。不幸にも、すぐにそうでないことに気づくわけだが。
当時の授業方式では(今では信じられないかもしれないが)先生が教科書を読みそれを黒板に写し、質問するような、先に教科書を読んでしまったこどもには恐ろしく退屈なものだった。
教科書を丸写しし、それを生徒に伝えるだけの授業をやる意味について小学校中学年の頃に友人に聞いたことがあった。
初めて日頃思っていたことを聞いた時の友人のひきつったような表情、奇異なモノを見る目は恐らく一生忘れないだろうと思う。
そもそも私は、日本人の容姿をしていない時点で田舎の学校ではいじめの恰好の的だったし、それに加え上記のようなことを言い出すのだ。
自分の知力を鼻にかける嫌味なガイジン。
レッテルは簡単に決まった。
私は授業中は決して退屈なそぶりもみせず、むしろ積極的に参加している方だった。授業では挙手し簡単な答えを言う。その繰り返しだった。
教員も全員に答えさせたい思いもあったのだろう、私が手を挙げてもしばらく私を指さないこともあった。
それでも退屈だったことに変わりはなかった。
しかし、そのレッテルが決まってからは学校がとても居づらい場所になった。
退屈な授業、つまらないことで妬むクラスメイト、ガイジンをいじめるのはさぞ楽しかった事だろうと思う。
そんな中、図書室だけはオアシスだった。
何百冊もの蔵書に囲まれたあの空間が私はたまらなく好きだった。
小さな頃から親に連れて行ってもらっていた、県立の図書館とは比べ物にならないぐらい小さいものだったが、あの乾ききった教室群の前では充分に私を潤してくれる場所だった。
そこでは日本の歴史シリーズや世界の〜、小説や伝記マンガなど興味をそそられるものが多く1ヶ月程でどこになにがあってどんな本があるのかを覚えてしまう程度には図書室の虫になった。
小学校5年生かそこらの時には、教室では疎外感のような、いてもいなくても変わらないような空気を感じ取れるぐらいには敏感になっていたので休み時間はますます図書室にひきこもった。
その時にハマっていた本は辞典だった。この話を現実でしてもなかなか共感者が少ないが、とにかく私は色々な辞典を読むのが楽しかった。英和、和英、カタカナ、古語、科学、自然そして国語。国語辞典は特に好きだった。自分の知らない言葉を知ることができる、こんな時のことをこの言葉が表してくれる。この言葉をこの辞典ではこう書いてるけどこっちは違うなど、最高に楽しかった。
落ちこぼれの認知度は高い。
得てして、哀れみやかわいそうといった感情がつきまとう。
どうにかして救ってやりたい、教員ならば、いや教員でなくとも日本人はそう思うのが当然なのだろう。できない子ほどかわいいという言葉があるくらい、この国にはそういう思いが浸透しているのだと思う。現に私はそうやって、教員がクラスのいわゆる出来ない生徒を出来るように何度も教えるのを見たことがある。
ところがその一方でできる人間が"悪"のような、変人扱いを受けるのはなぜだろう。
できることはむしろいいことではないのか。ただ色々なことを知りたい、吸収したいだけにもかかわらず、それが良しとされることが極端に少ないあの状況は一体なんなのだろう。
テストだけが人生ではない、学校の授業は人生にほとんど役に立たない、と話すのならば、あなたたちは私たちに何を教えてるのですか、と逆に聞きたくなってしまう教員や大人に
できる人間は自分で勝手にやりなよ
とそんな雰囲気の中ほっとかれる小学生の身にもなって欲しかった。と今でも思う。
そういうわけで小学校の授業にまったく関心がなくなっていた私は、このまま学区内の中学校に行くのが嫌になり、県内にあった私立の中学校に受験進学することにした。
その中学の受験模試では今までのテストの問題で初めて、全くわからない問題に出会った。私は心の中で歓喜して
絶対この学校に行った方が授業は楽しくなる!
と思い、親にムリを言って1週間程、人生初の塾に通わせてもらった。そこでの授業はたまらなく面白く、あっという間に時間が過ぎていったことを今でも忘れない。
学校がつまらなく、疎外感のある場所であったのに塾という場所はなんて面白いのか。学校もこんな授業をしてくれたらいいのに。そんな風に学校の存在意義をはっきりと疑わしく思わせてくれたのも、この経験があったからだと思う。
そんなこんなで、私はそこに合格した。
浮きこぼれという言葉
浮きこぼれという言葉を知ったのはごく最近のことです。
落ちこぼれの対義語で、周りの児童より何らかの理由で高い学力を有する児童が授業に物足りなさを感じたり疎外感を感じたり、実際に他の児童たちに疎外される状態を指すとのこと。
まさに私は浮きこぼれの典型的な子供で、そして、私だけではなく何人かのクラスメイトはまさにその状態であったように思えます。
(今後は"空気を読み"、何かと出来ない子を演じるようになったのは言うまでもありません。)
考えてほしい(考えてほしかった)事
浮きこぼれは目立った問題にはなりません、というより、なりにくいと行った方が正しいのだと思います。
それは放っておいても、なにかと一人でほとんど出来てしまうからです。
それでも、一人でできるからするのと一人でするしかないのはまた違う話だはないでしょうか。
少なくとも、私は他の人と切磋琢磨するような授業をしたかったですし、
授業が終われば、普通に他人と遊んでみたかったです。
ただ、授業が少し退屈だっただけのただの子どもでした。
今でもあの頃を思い出すと、苦い気持ちになります。
今考えれば、周りの大人にその時の気持ちをそっと主張するべきだったのかもしれない、と思います。
本当に授業が面白くない、と。
そんな中で小さな声で、誰にも聞こえないように、大人に言う、その勇気のいることといったら。
子どもだけの社会は大人よりも無垢で残酷です。変わり者は「君は皆と違うから」の一言で淘汰される社会に思える。
周りの大人はそんな子どもたちにとっての(少なくとも私にとっては)最後の砦で、しかも数回限りしか言えないライフラインのようなもので、その数少ないうちの言葉のひとつを周りの大人はしっかりと受けとめてほしい、と思います。
言葉は悪いかもしれませんが、子どもは常に教育システムの被験者であり被害者です。
子どもがシステムを変えることはできません。変えることができるのはそんな子どもの小さな声を聞き、反映させられる大人だけなのです。
子どもを単なる子どもとして扱わず小さな人間として接する事ができる大人が必要なのだと、私は思います。
最後に
もしかしたら、日本には多くの浮きこぼれなる児童が、だった方々が存在するのではないでしょうか。
本当は退屈だけども、誰にも言えない。言ったら皆に嫌われるかもしれないから。
周りに合わせなきゃ、本当はこうしたら上手くいくかもしれなけども、言わないでおこう。
そんな風に自分の意見を抑えて笑いながら、「ゴメン、私馬鹿だからわかんないや」という
子どもたちがいっぱいいる、もしくはいたのではないでしょうか。
浮きこぼれの人の気持ちを少しでも理解してもらいたいという思いもあり
衝動的に書き上げました。
愚痴のような文章で、山なし落ちなしで申し訳ないですがここまで読んでくださった方々に感謝です。長文におつきあいありがとうございます。感想などあれば書いてくださると嬉しいです。
また、誤字脱字など至らぬ箇所には目をつむっていただけると幸いです。
中学校編は書くか迷っているところで、機会があれば書こうかなと思います。
では。
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