心の世界、現実(うつつ)の世界
幽霊は実在している。
それも、特別な場所、特別な時間ではなくて、ごくありふれた場所に実在する。家の中にも現れるし、真っ昼間に出てくることもある。
残念ながら僕は見たことはないが、目撃者はたくさんいる。嘘だと思われるなら、一年生の教室に行って子どもたちに聞いてみられたらよい。少なくとも二人に一人は、幽霊を目撃している。
もう十五年以上も前の話。僕が一年生を担任していたときのこと。
ある朝早く、僕が教室にはいると、学級文庫の前に子どもたちが集まっていた。ちょうど梅雨時で、その日も雨。子どもたちは、始業までの時間を、読書で過ごそうと思っているのだ。
その中の三人の男の子が、僕の姿を見るなり、ひそひそと相談を始めた。「たのもうか。」「そうしよう。」そんな声が聞こえてくる。
僕が教卓の上に置かれた連絡簿に目を通し始めると、三人が、
「先生、先生。」
と言いながら学級文庫から取ってきた、一冊の本をおずおずと差し出した。「私は幽霊を見た」というタイトルの本である。
前年僕が担任していた四年生の子どものひとりが、学級文庫に寄付してくれた本で、中には漢字がいっぱいならんでいる。一年生が一人で読むのは少しむずかしい。そこで、「先生に読んでもらおう。」ということになったのだ。
どうしようかな、と迷っていると、ほかの子どもたちもバラバラと集まってきて、口々に読んでくれとせがみだした。
まあ、いいか。この日は、朝の会で「一輪車の使い方」という話をする予定だったが、急きょ予定を変更し、本の中にある「昭和二七年に大高博士をおそった本物の亡霊」という、とびきり怖そうな話を子どもたちに読んで聞かせることにした。ただし、内容は題名ほどこわくない。
けれど、僕にとっては退屈きわまりないその話も、一年生を怖がらせるには十分だった。固唾(かたず)をのんで聞き入る子どもたち。中には、はじめから耳を押さえて、それでいて聞き耳を立てている、聞いているのか聞いていないのかよく分からない子もいる。
数分後、僕が読み終わると、こわばっていた子どもたちの体から、ふっと力が抜けるのが分かった。
「こわいお話ですねえ。こわかった人?」
そう尋ねると、二〇人くらいの子の手が挙がった。けれど、本読みをねだった男の子たちを含め、いつも元気のいい数人は、
「ぜーんぜん。」
「もっとこわい話、いっぱい知っているわ。」
とカラ威張りをしている。
そこで、ちょっとしゃくにさわった僕は、とどめにもう一つ、一年生を恐怖のるつぼにたたき込むことにした。
「あ、そうそう。この間、テレビでおもしろいことをやってました。こわい話を聞いたり、暗いところに行ったりしたら、背中がゾクゾクッとするときがあるよね。
お坊さんが言ってたんだけれど、そんなふうにゾクゾクしている人の後ろには、必ず霊がついているそうです。今先生の話を聞いて、ゾクゾクッてした人の後ろには、霊がついているんですねえ。おもしろいねえ。」
恐怖感をあおるため、僕は逆に、できるだけ明るく楽しそうにそう言った。効果抜群。子どもたちの肩に、再び力が入り出した。
なにしろどの子もゾクゾクの真っ最中。ということは、髙橋豊の話が真実なら、自分の後ろに霊がついていることになる。おもしろがっている余裕などない。
「それでね、その霊を追い払う方法もあるそうです。追い払うには、左の手で、右の肩をサッサーッと二回こすればいいそうです。でも、それはゾクゾクッとした人だけだよ。
こわくなかった人や、平気だった人は、そんなことしなくてもいいんだよ。
でも、ゾクゾクしているのに何もしなかった人は、家まで霊がついてくるんだって。おもしろいねえ。」
帰り道、霊と二人っきりなんてまっぴらごめんだ。僕の話が終わらないうちから、今までうそぶいていた男の子たちも含めて、すべての子どもたちが、右の肩をサッサカサッサカこすりだしたのだった。
十二分にこわがらせたせたあと、
「本当に幽霊やお化けがいると思う人。」
と尋ねてみた。大半の子の手が挙がった。
「それじゃあ、そのわけを話せる人?」
と聞いてみた。
出るわ、出るわ。あんまりおもしろいので、あわててテープに取ることにした。
「それじゃ、どうして幽霊がいるとか、いないとかわけの言える人。」
ハイハーイ。勢いよく手が挙がる。
一番元気のいい、みきちゃんから、聞かせてもらうことにした。
「前な、お父さんが出会った。」
いきなり短い文の中に非日常的体験が凝縮された、おもむき深い体験談が飛び出した。クラスの中に、緊張が走る。
負けじとハイハイ声を張り上げて手を挙げたのが、かなちゃん。
「あのな、かなのお父さんが、お化けやねん。」
エエー!という驚きの声。「私、かなちゃんのお父さんと話をしたこと、ある!」と興奮している子もいる。幽霊との会話である。かなちゃんの話はこう続いた。
「だって、家でかくれんぼして、ピアノの下にとじこめといたのに、五分たって見たら、おれへんようになっててんもん。」
なるほど、一理ある。はい、けいくん。
「だってさ。あやしいやつ、いてるやん。イカロス星人みたいなやつやん。人間みたいなやつでキャハハハハ。」
よく分からないが、君の家のまわり、つまり交野市の京阪河内森駅周辺は、すでにそういう連中の手に落ちているわけだ。
お、のりくんの手も挙がっているぞ。
「夜中、グレートコマンダーのゲームしとってん。そしたら、音が、どんどんって鳴ってな、見てみたらお化けがおってん。目ん玉があってん。」
目玉おばけか…。やっぱりくちびるお化けや、耳お化けより、目玉の方がこわそうだ。
はい、さらちゃん。
「お父さん、鬼とお友達やから、お父さんは知ってると言ってた。」
ええ!あの人、鬼と友達だったのか…。優しいお医者さんなんだけどなあ…。
はい、じゅん君。
「お父さんが、前、幽霊がおるって言うててん。自転車が一個あって、ちょっとたってみたら、骸骨の絵になっとってん。」
かなり難解な発言である。
けれど、話の内容をどう解釈していいのか悩んでいるのは僕だけ。子どもたちは、細かな内容にとらわれることなく、じゅん君のおどろおどろしい話し声で、十分こわさを堪能しているようだ。
気がつくと、さっきまで聞こえていた椅子のきしむ音や、咳払いの声がやんで、教室内は恐ろしいくらい静かになっている。
めぐちゃんとまみちゃんの手が挙がった。
「死んだ人を埋めてその上に寝てたら、その下の人が幽霊になって出てくるねん。」
「おばあちゃんの近くの、いとこの子が、お山に夜中に行って、きれいやったから写真を撮ってみたら、背中に白いのがうつってたん。」
死んだ人をむやみに埋めて、その上に寝たり、夜中に山登りをして写真を撮ったりはしない方が、いいかもねえ。
りきくん、えみちゃん、まりちゃんにこうくん、続けていってみよう。
「昨日、夜中の十二時ごろに起きてゲームボーイのマリオをやってたら、足音が聞こえてドアを開けたら、幽霊がおって、宇宙人もおった。」
「幼稚園の時、お便所に行ったら四本の手が出てきた。」
「おトイレに入っているときに、下から足音が聞こえた。」
「夜中、二時くらいまで起きていて、ドアの鍵をしめへんかったら、出てくると思う。」
手を挙げた子どもは、みんな話し終わった。でも、だれも動かない。
不意に、一人の子が肩をさっさかこすりだした。
それを見て、あわてて肩をこする子が続出。
こうして一時間目は、静かな摩擦音とともに過ぎていったのだった。
夜中にふと目を覚ましたとき、あるいはかくれんぼをしていて一人っきりになったとき、それまで子どもたちの心のすみに隠れていた魑魅魍魎(ちみもうりょう)が、姿を現す。
そう、冒頭にも書いたとおり、子どもたちにとって、幽霊は本当に存在しているものなのだ。
そして、その怖さを取りのぞいてくれるものは、親であり、見慣れた町並みと知り合いの人々であり、暖かい我が家なのである。
子どもたちにとって一番こわいもの。それは、ずっと昔からお化けや幽霊だった。そして、一番頼れるものは、お化けから子ども達を守ってくれる人々だったのである。
そんな世の中が、これからも続いてほしい。一番こわいものが、地震や自動車や、あるいは現実の人ではなく、子どもたちの心の産物である幽霊やお化けである日本が、いつまでも続いてほしいと、心から願ってやまない。
「お化けが一番こわい。」と言う子どもたちは、幸せに満ちた顔をしている。
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