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【第1話】恋する惑星:シンガポール1996年、ベンクーレン通りの安宿にて

Image by Olia Gozha

たぶん、95年か96年のことだったと思うので、もう20年以上前のことになる。

その年の冬、僕はまだ大学生でバンコクからマレー半島を南下してバリ島まで飛行機を使わない旅行をしていた。これは当時の僕にしてはちょっとした冒険だった。バンコクから順調にペナン、マラッカ、ジョホールバルとマレーシアを通過してシンガポールに入ったのだけれど、あまりのホテルの高さに仕方なくある安宿のエアコンつきのドミトリールームに泊まることにした。当時のバックパッカーの間では、ドミトリーこそ貧乏旅行の醍醐味だとばかりに、こんな部屋ばかりを泊まり歩くことがかっこいいみたいな雰囲気があって、僕もそう思い込んでいた。でも、英語もよくわらからないし欧米系パッカーのパワフルな振る舞いにどうも気後れしてしまって、シンガポールに着く頃にはすっかり安い個室に泊まる癖がついてしまっていた。やれやれ、またドミかと少しうんざりして部屋のドアを開けると、八畳くらいの部屋の四隅にに二段ベッドが三つ、背の高さくらいの大きめの鍵つきで三つの扉があるスチールロッカーが二つどんと並んでいた。窓際では壁の穴に突っ込んである感じの古いエアコンがガーガー音を立てている。窓際左の二段ベッドの上が自分の寝床でその下は大きめのTシャツやら半ズボンやらが無造作に置かれている。窓を挟んだ向かいの二段ベッドの下段には小さめのバックパックがきちんと置かれていて、その上のベッドにはアジア系の若い男が寝転がって雑誌を読んでいる。入口ドアのすぐ左がロッカーで右側がまた別の二段ベッド。下段には欧米系の大学生風のきれいな女の子が腰かけていて、その上にはこれまた欧米系のくるくるヘアーの瘦せた男がシーツを腹の上にかけて昼寝中だった。軽く挨拶をして部屋に入り自分の寝床に荷物を置く。窓を挟んで向かいのベッドの上段で寝転がっていたアジア系の男が僕に声をかけてきた。「日本人ですか?」ホッとした。この部屋に日本人がいてよかった。彼の話では、すぐ下のベッドも日本人の女性で、僕の下はアイルランドの男性。ロッカーの向かいのベッドの下はイギリス人の女性でその上はフランス人だとのこと。つまりこの部屋の6人のうち3人は日本人ということになる。僕は心の中で地球の歩き方に感謝した。この部屋には、シンガポールを一回り観光して、それからインドネシアに入る船のチケットが手に入るまでの一週間くらいの間いたと思う。荷物を分けてすぐ使わないものをロッカーに入れたあと、僕はこの日本人の若者と昼食に出ることにした。この人は、大学を出てから東京でバイク便のドライバーをしているという人で、まとまった金ができる度にアジアを放浪しているとのことだった。このバイク便氏は、東京半年、アジア半年の割合で行き来していて、しばらくはこんな生活を続けるつもりらしい。一通りの話をした後で彼は年金の話を切り出した。なぜか旅先で年金の話を出してくる日本人は年齢を問わずかなり多い。結論はいつも年金制度は将来的にはダメになるので、払わない方が賢いということ。自分が払ってない年金に対する不安を払拭するために話し合っているような感じさえ受けた。タイの山の中でも、ペナン島でも、ジョクジャのカフェでも日本人パッカーは必ず年金の話をする。日本に居づらくてアジアに脱出してきた割りには心配することはいつも年金のことばかりで滑稽に感じた。バイク便と共に部屋に戻ると彼の下を寝床にしている日本人女性も部屋に戻ってきていて、イギリス人女性と流暢な英語で談笑している。すぐにバイク便もなかなか上手な英語で参戦して部屋の中は英語モードになった。部屋に居づらくなったので、出掛けようとしたら、バイク便と日本人女性が僕を追うように部屋から出てきた。何でかわからないけど、今度は3人ででかけることになった。つづく

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