【第2話】恋する惑星:シンガポール1996年、ベンクーレン通りの安宿にて

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部屋を出ようとする僕はバイク便に呼び止められた。

「あのー、この子、昨日こっちに着いたばっかりで、マーライオンが見たいって言ってるんですけど、よかったら一緒に行きませんか?」

僕もマーライオンは見たことがなかったので、その提案に乗って見に行くことにした。午後の真昼のぎらつく日差しを浴びて、僕とバイク便とその子は宿があるベンクーレン通りを出発した。

行きのバスの中で、その子は国際基督教大学の学生で、バイク便は彼女の先輩であることが判明した。彼女(これからICUと呼ぶことにする)は、おとなしい感じのこれといって特徴のない感じの子で、これから1か月ほど東南アジアの国々を回る予定。そこで、まずはバイク便が沈没しているシンガーポールに入って、彼から旅の指南を受けるのだという。

ICUはバイク便に好意を持っている感じがあったけど、バイク便はそれを上手に受け流していた。きっと僕が誘われたのも彼女を上手に受け流すための方便だったに違いない。

世界3大がっかり観光地に恥じないにほどにマーライオンはあっけなかった。そして、バイク便の弾除けに上手に使われた僕は少し嫌な気分になっていた。それでも、ICUは嫌な顔一つせずにバイク便と僕に均等に話しかけてくれた。

「シンガポールの町もそうなんだけど、東南アジアはここそこに植民地主義の影響みたいなのがあって、いたたまれないんだよね。」

バイク便が帰りのバスでこうつぶやいた。ICUは目をキラキラさせて返答する。

「えー、私には何も見えてないかも。シンガポールだって、発展した近代的な街並みって感じで。」

バイク便は無言で夕焼けのビル群を眺めている。

「バイク便さんの目からシンガポールの町ってどんな風に映ってるのかなあ。私も1か月旅したらバイク便さんと同じ風景がみられるかな?」

まったく居場所がない僕。今このバスは目の前のこの二人のためにこの都市国家のビル街を疾走している。恋する惑星、僕の頭の中ではあのクランベリーズのDreamsが流れる。

スカしてんじゃねえ、バイク便。バイク便のくせに。この沈没野郎め。でも、僕はわかっていた。バイク便は決してスカしてこんなことを言ってるんじゃないことを。

そうこうして、バイク便とICUと共に部屋に戻ってくると、僕のベッドの下のアイルランド人の男性も戻ってきていて、部屋の住人が全て揃っていた。

このアイルランド人は27、8歳くらいでジェイソン・ステイサムをメタボにした感じのツルッパゲのマッチョゴリラ。僕ら3人が部屋に戻ってきたときにはちょうど、同室のイギリス人女性に自分の商売道具であるハーネスを体中に巻き付けて同時に自分の筋肉アピールを展開中だった。

体中にベルトを巻き付けてこいつはこういう趣味があるのかと思ったけど、バイク便の説明ではゴリラは水中溶接をするフリーの潜水士でシンガポール港の現場に通っているとのことだった。フリーの潜水士って今でもよくわからないけど、とにかくそういうことらしい。

「もともとは北海油田の基礎工事なんかをやってたんだけどな、とにかく寒いのと、それにでかい事故があって会社が傾いちまって、それからは中東と東南アジアの現場を回ってるんだ。しかし、まったくハードな仕事だよ。」

ゴリラは胸筋をぴくぴくさせながら、どや顔で話している。こんな話をキャサリン妃にちょっと似たイギリス人女性はにこやかに相槌を打ちながら聞いている。

「すごいわ、それってプロフェッショナルな仕事よね。」

ゴリラはますます調子に乗ってキャサリン妃にしゃべりまくる。その上のくるくる巻き毛のフランス人はそれを冷ややかに眺めている。

「よし、じゃあ、今からこいつ(つまり僕)の歓迎会ってことで一杯飲みに行こう。うまいギネスを飲ませるパブが近くにある。あ、でも昨日はこの子(ICU)の歓迎会だったかな、あーはっは!」

ゴリラは僕に向かって上機嫌でこうまくしたてる。ってことで、マーライオンから戻ってきて早々、ゴリラ、キャサリン妃、バイク便、ICUと僕の五人でバプに行くことになった。くるくる巻き毛はこの歓迎会を辞退した。

パブに入り、初めにギネスを1杯だけ飲んで、顔を真っ赤にしている僕を見てゴリラが言う。

「おまえ、もう出来上がっちまったのか。情けねえ奴だ。じゃー、お前はこれでも飲んでろ。」

ゴリラは僕の目の前にトマトジュースをどんと置いた。僕はビール以上にトマトジュースが嫌いだ。

僕以外の4人は英語で話しまくる。その内容は半分くらいしかわからなかった。でも、バイク便が親切に話の要旨をタイミングよく訳してくれたおかけで、僕も話の輪に加わることができた。

キャサリン妃は可愛い外見とは裏腹にかなりの熱血漢で、湾岸戦争当時、日本がお金だけを出して派兵しなかったことを辛辣に非難した。

「世界の平和を守るにはやっぱり誰かが血を流さなくちゃダメなの。英米はそれをやっている。日本は金だけ出して血を流す覚悟がない。卑怯だわ。」

これに対しバイク便は憲法のこと、国内の政治状況のことを引き合いに出して派兵は難しいことを説明する。なかなかの理路整然とした説明だ。ICUはうっとりしてバイク便の横顔を眺めている。しかし、キャサリン妃は納得しない。適当にできあがったゴリラがそれでも気を効かせて、微妙にズレた話をする。

「オレは日本人とも一緒に潜ったことあるけどな。あいつらはなかなかやるぞ。少なくともアメリカ野郎よりは肝が据わってたかな。まあ、でも、もしこれが北海油田だったらあいつらも逃げ出すだろうけど。うわっはっは。」

結局は、自分の自慢に落ち着き上機嫌のゴリラ。それを上手にいなしてキャサリン妃は話を続ける。執拗に日本を責め続け、僕ら三人は少し彼女を持て余しつつあった。

「結局、日本は私たちが血で守った平和にただ乗りして石油を使っている。日本人に中東の石油を使う権利はないわ。」

そこで、僕も何か言おうと思ったけど英語では言えなかったから、だいたいこういう内容をバイク便に話してもらった。

「もともと、パレスチナ問題はイギリスの二重外交が原因でしょう。それに、イラクはもともと親米だった国。石油で散々儲けたけど、言うことを聞かなくなったから潰した。世界の平和と言うけど、この前のルワンダ内戦で英米は何をしたのか?結局、石油が出るところには出かけるけど、ルワンダのように何もないところには行かない。そういう戦争に日本が関わる筋合いはないと思います。」

キャサリン妃の顔が蒼白になり、その後、真っ赤になった。すぐに彼女はパレスチナ問題とイラク問題は別だし、今はルワンダ問題について話しているのではないとかいろいろ言い訳した。それ以降の話は覚えていない。

でも、帰りのバスではなぜかみんな仲良しで、ゴリラとキャサリン妃は何かよくわからない歌を歌ってるし、うっとりICUとそっけないバイク便は相変わらずだし、僕はといえば飲めないビールを飲んで世界はぐるぐる回っていた。

結局、キャサリン妃にとって議論はちょっとしたスポーツか酒のつまみみたいなもので、本当に日本人が卑怯とかそういうふうに思ってるわけじゃあなかったのだ。たまたまその場に日本人が3人いて、それ向きの話題を提供しようとした彼女なりのサービス精神だった。でも勝気な彼女は途中からちょっと暴走してしまったのだけれど。

つまり、キャサリン妃も良い人だったのだ。それは、彼女のICUに対するふるまいで十分にわかったし、バイク便の理路整然とした説明にも一目置いているような気がした。僕だけが状況を読めずに熱くなって、一発かましたつもりになってたことを帰りのバスで気がつき、恥ずかしくなった。

そして、5人が部屋に戻ったその夜、僕たちとくるくる巻き毛の間に事件が起こった。

つづく

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