私が自由を求めるワケ④

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次話: 私が自由を求めるワケ⑤
追い炊き無しの北向きのベランダに置かれた
その場所はとても寒く、
でも、居候の居心地の悪さが無いのが救いでした。


それからは学校とバイトの日々でした。

たまたま入った高校でしたが、とても良い学校で、
友達や先生に恵まれ、楽しい学校生活を送れました。
最初はこんなブスでコンプレックスだらけの私を
受け入れてもらえるかどうかが不安でしたが、
皆暖かく迎え入れてくれ、
学校で淋しい思いをする事はありませんでした。


その後当然進学出来るハズもなく就職しましたが、
就職先も父の指定した場所でした。

当時住んでいた都内で職場を決めたのに、
またもや入社式の3日前に千葉に引っ越す事になり、
ほとほと親の身勝手さにあきれ返りました。


会社を決める際、
何箇所か応募をしましたが、
典型的なブスでコンプレックスだらけの私は、
試験すら受けさせてもらえない事も多く、
門前払いをされる事で更にコンプレックスを
増幅させていきました。

しかし、ある大手の会社は見た目で私を判断せず、
キチンと入社試験を受けさせてくれました。

42人中トップの成績でその会社に入社した私は、
その会社の中でもエリートの部署に配属されました。
運よく、
父が選んでくれたその会社はとても良い会社でした。

課内の人達は、私を見た目で判断せずに、
一人の人間として誠実に接してくれました。
キチンと教育を受けた人達に囲まれ、
私は色んな事を吸収して行きました。

後で聞いた話ですが、
他の課では、
なんであんな冴えないブスを入社させたんだ!
という陰口を叩かれていたそうです。


そんな時、父が倒れて入院しました。
働いたお金はほとんど家計に入れました。

世の中はバブルで浮かれていましたが、
私には別世界の出来事でした。

親のお金で大学に行かせてもらって、
ブランド品を持ち、海外旅行に行く人達は、
自分とは人種が違うのだと思っていました。


どんなに残業をして帰っても
家事をするのは当たり前でした。

土日に出かけて私が家事をしていないと、
途端に母の機嫌が悪くなり、
そこから1ヶ月ほど口を聞いてもらえない事も
よくあることでした。

父は退院しても、
しばらくは体調が優れない期間が続き、
仕事ができずに家に居る事が多くなりました。

そのストレスからか、
父の疳に触れる事があれば殴られ、
翌日顔を腫らして会社に行き、
皆に驚かれる事も数回ありました。

夫婦仲も悪く、母は口癖の様に
「離婚する」と言っていました。
(いまだにしていませんが)
2〜3ヶ月の間、
夫婦の会話が全く無い日も珍しく無く、
その間は息がつまりそうでした。


いつの頃からか私は、
ストレスから暴食をする様になっていました。
ますます醜くなって行く恐怖に怯えながらも、
やめられませんでした。

父は私を「牛かと思ったら、お前か!」と嘲り、
人の目には私はその様に映っているのかと、
ますますコンプレックスを募らせて行きました。

これ以上太って醜くなるのは嫌だ!

そして、私は吐く事を覚えました。



つづきは、また次回へ。




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