大動脈決壊! バツイチ弱小フリーランサーのDead or Alive

その日は突然やって来た

なんの変哲もない一日だった。
午後3時半にフリーター息子をバイトに送り出し、私はパソコンの前で仕事。そろそろ夕食でもと思ったのは、午後9時頃だろうか。
いや、その前に身体をほぐそう。
数日前から肩甲骨のあいだに痺れるような違和感があった。締め切り前の修羅場は半月も前だが、そのときの疲れがまだ残っているのかもしれない。
そこで、30~40分かけていつもより念入りに筋トレとストレッチをした。
終わったあと、左腰に妙な張りを感じた。ちょっとムキになってやりすぎたかな。そう思いながら1人分の夕食を居間の座卓に並べる。が、いざ食べようとしたら箸がない。台所まで取りに行かなければ。よいしょ、と立ち上がった瞬間だった。

ビシッ
張りを感じていた左腰で何かが切れた。そんな感触だった。
ん? 本格的に腰を痛めた?
不思議なことに痛みはなかった。気のせい? でもまあ、とりあえず座ろう。近くにある仕事机の椅子にそろそろと腰を下ろす。と同時に、いきなり吐き気が襲ってきた。吐き気というより、むかつきという感じか。
ヤバイ。これ心臓かもしれない。
数年前に軽い心筋梗塞を起こした私の父は、唯一の自覚症状が吐き気であったことから、初めは二日酔いだと思ったという。ところが数日しても吐き気は治まらず、病院へ行ったら心筋梗塞といわれてそのまま入院になった。
その話を友人にしたら、「うちの父親もそうだった。吐き気がするからお腹をこわしたと思って、何日か正露丸をのんでたんだって」
心筋梗塞に正露丸 !?
そのときは大笑いしたものだったが、どうやら心臓に異変があると吐き気に襲われるらしい、という知識が刷り込まれた。

気がつくと私は、机の上にあったスマホと財布を手に立ち上がっていた。苦もなく立てる。やはり痛みはない。そして、隣の部屋でクローゼットからダウンコートを出すと一直線に玄関を目指し、ドアの鍵を開けた。
まるで何度も予行演習していたようなスムーズな行動だった。
我が家は玄関脇に台所があり、ダイニングテーブルを置いてある。私はそこに座って膝の上にコートを抱え、固定電話の子機をつかんだ。スマホを使わなかったのは、119番は固定電話からかけるものと思いこんでいたからだと思う。そうすれば最悪の場合は逆探知してもらえて――。
119番?
ここで初めて止まっていた思考が動きだした。
救急車……呼ぶの? 
意識を自分の身体に向けた。依然としてむかつきがある。心臓がどうかしたなら救急車を呼ばなきゃ。
1・1・9、と番号をプッシュし……怖くなってすぐに切った。
マジで? ほんとに救急車呼ぶつもり?
救急車を呼ぶというのはものすごく非日常的な行為だ。ここで躊躇しない人がいるだろうか。
でも、ぐずぐずしていたら意識を失うかもしれない。だからこそ先に玄関の鍵を開けたのだ。気を取り直し、再び1・1・9、とプッシュした。でもまたすぐに切ってしまう。
だって、腰を痛めただけかもしれないよ。
誰にともなく言い訳をした。もちろんその可能性もある。救急車を呼んで病院に行っても、腰を痛めただけなら夜中に電車かタクシーで帰ってくることになる。いまは1月の末。寒い。だからコートを用意した。何も考えていないと思ったのに、自分の行為のひとつひとつに意味があったことにいまさらながらに驚いた。でも――。
もう一度、自分の身体に意識を向けた。
息を吸うと背中が痛い。明らかにおかしかった。
ええい、ままよ!
1・1・9……。
つながった。
電話の向こうで「消防ですか? 救急ですか?」と男性が訊く。
具合が悪いんです、と言おうとしたら「ぐ、ぐあいが、わるい……」とかすれた声が出た。
やだ、あたしったらほんとに病人みたいになってる……。
自分で自分にびっくりしながら、訊かれるままに住所や名前を告げ、電話を切ると膝に抱えたコートの上に突っ伏した。今はむかつきより背中の痛みのほうが強い。
早く来て、早く来て、早く来て。
不安な思いで念じているうち、救急車のサイレンが聞こえてきた。意外に早かった。たぶん6、7分。
そして、表でどやどやと人の気配がしたと思ったら、ガンガンとドアを叩く音がして「篠ノ宮さん、鍵あいてるから入りますよ」という声とともに数人の救急隊員が玄関になだれこんできた。
状況を説明するあいだ、血圧や脈拍を調べられる。救急車が来た安心感からか、少し身体が楽になった気がして、私はハキハキと質問に答えていた。
救急隊員「いまいちばんつらいのはどんな症状ですか?
私「息を吸うと背中が痛いんです
そのつらさを数字にすると、10段階のうちのいくつくらい?
うーん」私はしばし考えた。「4か……5?
訊いてどうする。
そうですか……」救急隊員は考えこむような表情になった。「実はねえ、脈も血圧も異常ないんですよ
じゃあ、やっぱり腰を痛めただけなのかなあ
そうかもしれないですねえ
なんだ、このノドカなやり取りは。
どうします?
「じゃあいいです」という返事を期待されているのはなんとなくわかった。「横になって様子を見ます」と言えば、みんなすぐにでも帰るだろう。
でも、腰を痛めて吐き気がする? この背中の痛みは? 
私は大学病院の名を挙げ、そこに連れていってほしいと頼んだ。マルファン症候群という病気の疑いで、息子ともども年に1度そこに通院していた。
私に関していうと、遺伝子検査によってその疑いは3年前に晴れていた。その後も通院しているのはあくまで「念ため」と、完全にシロとはならなかった息子の通院に付き添うためだ。そして医師からは「心臓で何かあった場合はすぐに救急車で病院に来てください」と言われていた。
私ではなく、息子が。
でもまあ、この際だ。行けば私も診てもらえるだろう。

病院からはすぐに受け入れOKの返事をもらえた。救急隊員に診察券と保険証を渡し、玄関先でストレッチャーを変形させた車椅子に乗る。エレベーターで下り、外に出ると、私は身体をひねって団地を見上げた。
誰も見てないでしょうね。
急にご近所の目が気になったのだ。
今思うとずいぶん余裕があったものだが、元気でいられたのはそこまでだった。救急車に乗って仰向けに寝かされた途端、猛烈な痛みが襲ってきたのだ。背中、だと思う。たぶん。
んあああ、だめです。仰向けは無理。横を向かせて。右に、右に
左向きだと心臓が押しつぶされそうな気がした。手を借りて身体の右を下にすると、少し楽になる。
私が落ち着いたのを見て、救急隊員のひとりが言った。
家族に連絡しないといけないんですが、息子さんに連絡つきますか?
息子は大学を出たあと、就職もせずにバイト生活を続けている。このときはとあるネットカフェで仕事をしており、就業中の夜12時まではスマホを持てなかった。だったら直接店に電話をすればいいようなものだが、あいにく私のスマホに店の番号は登録していない。
救急隊員が私のスマホを操作して息子に電話してくれたが、やはりつながらなかった。
といって、12時過ぎるまで何時間も彼らに電話をかけつづけてもらうわけにはいかないし……。
仕方がない。私は窮余の策を持ち出した。
アドレス帳に元夫の連絡先が入ってますから、彼に電話をして、彼から息子に連絡するよう頼んでください
とりあえずそれで一件落着。
ほっと気を抜いたら、背中の痛みがいっきに強くなった。もう右を向こうがどうしようが楽にはならない。あまりの痛みで息ができなかった。
いや、吸うことはできる。だが、吐けないのだ。普段は意識していないが、どうやら息を吐くときには意外と大きな力が身体にかかるらしい。背中の痛みのせいで、その力が出せなかった。
息を吸えるのに吐けない。なのに、これが生存本能というものなのか、身体がかってに息を吸ってしまう。その息がまた吐けない。
身体に酸素ばかりがたまっていき、肺がパンパンに膨らんで苦しかった。このままでは窒息する(厳密にいうと窒息ではないが)と恐怖感がつのる。
気がつくと呻き声をあげていた。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
声を出すことで少し息が吐ける。呻いたあと、短く息を吸ってまた呻いた。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
さっきまで呑気に近所の目を気にしていたのが嘘のようだった。もう頭の中には、なんとかして息を吐き出さねばという思いしかない。私のあまりの急変ぶりに、隣にいた救急隊員も大声で激励しはじめていた。
頑張ってください!
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
もう少しですよ、もう少し!
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
ほら、病院が見えてきましたよ。もう着きますからね!
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……

病院に着いて救急車の扉が開くと、建物の中から白衣の人たちがパラパラと駆け寄ってくるのが見えた。そして全員で声をそろえ
1、2、3!
掛け声と同時に私の身体を病院のストレッチャーに移す。
そのままどこかの部屋に運ばれ、横たわったままレントゲンを撮った。そしてまた移動。CTスキャンを撮る。造影剤を入れるが喘息はあるかと訊かれ、10年ほど前に発作が出たことがあると途切れ途切れに答えた。
造影剤を使うと喘息の症状が出ることがあるんです。いいですか? 使ってもかまいませんか?
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
すると右側から男性の怒声が飛んだ。
こういうときはいいんだよ! しょうがないだろ!
左側から私のトレーナーに手をかけ、袖から腕を抜いている人がいた。別なひとりはジーンズに手をかけている。
ズボンと下着を膝まで下ろしますね。ちょっと腰上げて
いったい私のまわりに何人の人がいるのだろうと思ったが、もう苦しくて目を開けることもできなかった。
気がつくと急にあたりが静かになり、どこからかスピーカー越しに機械的な声が流れてきた。

息を吸って」言われたとおりに息を吸った。「止めてください
こんなに苦しいときに……と思いつつ、必死に指示に従う。私をのせた台がガーッと動き、止まった。
楽にしてください
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」(息を……息を吐かなきゃ)
するとまた声がした。
息を吸って……止めてください」ガーッと動く台。「楽にしてください
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……
息を吸って」(嘘でしょ。まだやるの?)「止めてください
それでも律儀に息を止める私。すると――。

ガシャッ!!!!!

いきなり目の前でシャッターが下りた。
……のではなく、私は意識を失っていた。

かくして、有休も休業補償もないバツイチのフリーランサーが、病気とお金に翻弄されるDead or Alive(生きるか死ぬか)な1年が始まったのである。


緊急手術、そして入院

その後、何度か意識が戻った。
なぜか突然、医師らしき人の顔が目の前にあり「大動脈解離です」と言われたり、ベッドの足もとで「輸血しなきゃいけないけど血液型がわからない」という話し声が聞こえて「私はA型です」と必死に伝えたり……。でも、いずれの場合も一瞬にしてまた気を失った。
3度目に意識が戻ったのは「息子さんが来ましたよ」という声を聞いたときだ。神妙な顔でベッドの横に現れた息子に、ごめんね、びっくりさせてと私は言った。痛み止めが効いているのか、激痛は去っている。​
いつもと同じ1日。バイトを終えてやれやれと思ったところへ、いきなり母親が救急車で病院に運ばれたと聞いたのだ。どれほど驚いたことだろう。
軽いお詫びのつもりで、私はちょっとおどけて続けた。
あたしさあ――よりによってこんな日に、最低最悪のパンツ穿いてたわ
CTスキャンの撮影時にズボンと下着を膝まで下ろされた恥ずかしさを、いまさらながらに思い出したのだ。
息子はあいまいな笑顔を浮かべて目をそらす。
あとでわかったが、このときの息子は医師から病状の説明を受けた直後で、お母さんは緊急手術をしないと命にかかわる状態だ。何も治療をしなければ2日で50%、2週間で80%以上が死に至る。手術中の死亡率も10%前後ある、と言われていた。さらに、起こり得る合併症(脳障害、腹部臓器障害、心不全、呼吸不全、出血、感染、下半身まひ、などなど)の説明も受け、さまざまな同意書、入院等に必要な申込書などの書類10数枚に署名し、思いっきりテンパった状態で私のところへ来ていたのだった。
なのに、命にかかわる状態の母と顔を合わせたとたん、当の本人の口から出たのがパンツの話だ。
(なんだよカァチャン、あんがい元気じゃねえかよ)
息子は心の中で思わず声をあげたという。だが、そんな内心は気振りも見せず、彼はさりげなく言った。
「お父さんも来てるんだ」
そう。じゃあ、呼んで
​血液型が云々という話を耳にして、おそらく手術になるのだろうとぼんやり予測した私は「万一のときは息子をお願い」と、どうしても元夫に伝えたかった。
これもあとで聞いた話だが、元夫は初め、息子と一緒に私のところへ来ようとしたらしい。
ところが看護師さんに
いまは血圧をギリギリまで低く抑えてありますから、血圧の高くなるような話は絶対にしないでくださいね
と釘を刺されてハタと足を止めた。
「じゃあ、俺は顔見せないほうがいいよなあ……」
後日この話を聞いて、私はまさしく「ちょwwwおまwww」​状態。
離婚して10年、どうやら彼はそうとう深い内省の日々を送ったようだ。
それはまあともかく、お呼びがかかっておそるおそる部屋に入ってきた元夫に、私はさっそく切り出した。
あのね、もし私が死んだら……
すると、息子がギョッとしたように私の言葉をさえぎった。
「何言ってんの。大丈夫だよ!」
すごい剣幕……。 もしかしてあたし、ほんとにヤバイのか?

ガシャ!!!!!

午前3時、私は意識のないまま手術室に運ばれ、12時間後の午後3時に出てきて、ICU(集中治療室)に移された。
命にかかわる状態から、からくも生還を果たしたのだ。

降って湧いた請求書
麻酔でうとうとしながらICUで過ごし、3日後に一般病棟へ。
ベッドを出て、自分の足で病室内のトイレへ行くことが許されたのはさらにその数日後だ。そのとき鏡で見た自分の顔は、パンパンにむくんでまるで別人だった。声も自分のものとは思えない奇妙な高い裏声。手術中に気管挿管されていたためだ。
手術の痕は左の首筋に7、8センチのものが1本。そして胸の真ん中に約30センチのものが1本。胸骨を切って開胸したので、そこがなにしろ痛かった。動いても笑っても痛い。咳き込めば激痛が走り、じっとしていても疼く。

そんななか、事務局の人がやって来た。
「限度額認定証が提出されていないので、1月分の医療費は自己負担3割分の全額をお支払いいただきます。ちょっとまとまった金額になりますが」
「まとまった金額って……どのくらいですか?」
「まだ計算してませんけど、100万くらいにはなるかと​」
わからない人もいると思うのでざっくり説明すると――
国民健康保険に加入している場合、通常、個人が負担する医療費は全体の3割だ。風邪をひいて診察を受け、薬をもらって医療費が1万円になっても、個人が会計窓口で払うのは3千円。
ただし、入院や手術でその3割分がどえらい金額になった場合は、限度額認定証(正式には限度額適用認定証という)を医療機関に提出すれば、3割負担分が100万になろうが200万になろうが、下の表のとおり、収入に応じた限度額を支払えばいいというありがたい仕組みがあるのだ。
その適用を受けるには、役所に行って書類をもらってこなければいけない。
69歳までの自己負担限度額(月額)

所得区分
(賦課基準額)

年3回目までの限度額

年4回目以降

適用区分

(限度額

適用認定証)

上位所得者
901万円超

    252,600円 +(総医療費-842,000円)×1%

140,100円

上位所得者
600万円超~901万円以下

    167,400円 +(総医療費-558,000円)×1%

93,000円

一般
210万円超~600万円以下

     80,100円 +(総医療費-267,000円)×1%

44,400円

一般
210万円以下

57,600円

44,400円

住民税非課税世帯

35,400円

24,600円

 

私はあわてて息子にメールを送り、翌日、役所に書類を取りに行ってもらった。ところが、限度額認定証は該当する月の月末までに請求しなければいけないということがわかったのだ。

「カァチャンの手術が終わったあと、病院の人に限度額認定証を取ってきてって言われたんだよな」
「えーっ!? なんでそのときにちゃんとしなかったのよっ」
「あのねえ……」
息子は溜め息まじりに説明した。
私が救急車を呼んだのが1月29日の夜。
手術が始まったのは日付けが変わった1月30日の午前3時。
終わったのは同日の午後3時すぎで、そのときに限度額認定証の話が出たようだ。だが、バタバタしていてとても5時までに役所へ行けそうにない。
「じゃあ、今日じゃなくてもいいですよ」と病院の人は言った。
ところが、その日は運悪く金曜日だったから、週明けの月曜は月が変わって2月2日になっていた。
しかし、息子がいろいろ調べたところ、上記のように限度額認定証が提出できず、3割分に相当する医療費が高額で払えない場合は、国民健康保険の加入者を対象とする貸付制度があることがわかった。
正式名称は自治体によって違うが、貸付限度額は無制限、無利子である。
返済には診療月の3カ月後に国民健康保険から支給される高額療養費が充当されるから、借りた本人が返済する必要はない。病院からの請求額が正式に決まったら、改めて連絡すれば手続きをしてもらえるとのこと。
そして数日後。出ましたよ、請求書が。
ドーンッ!!!!!!
患者負担額、総医療費の3割で303万1,550円!​
フリーランサーなんて一見カッコよさげだが、その上に「弱小」の2文字がつけばフリーターとなんら変わりはない。その母親と正真正銘のフリーター息子という家族構成の我が家にとっては、いきなり出されたら心臓麻痺を起こしかねない金額だ。
高額療養制度で自己負担額を超えた分はあとで戻ってくるとはいえ、それまでには何カ月もかかる。
よかった。本当によかった。手術で命を助けてもらい、今度は高額療養費貸付制度に救われて、まさに九死に一生を得た思いだった。
ちなみに、この303万円は1月29日から31日までの3日分。総医療費は約1千万円。ほとんどが手術費用だ。本当に大変な手術をしていただきました。

神様からの休暇?
仕事はしばらくできそうになかった。いつ再開できるかわからないが、仮に3カ月休むとすると年収の4分の1が吹っ飛ぶ計算になる。
会社員なら有給休暇があり、それを使いきっても、加入している健康保険組合から傷病手当金というものが出る。金額は標準報酬月額の3分の2だ。しかし、私のように国民健康保険に加入している自営業者にはそれがない。
でも、そうよ、生命保険があるじゃない。
前にも書いたが、私は10年前に離婚している。それを機に加入した自分名義の保険が4カ月ほど前に満期を迎え、そのまま継続することもできたが、いろいろ考えて別な保険会社のものを新規で契約した。
たしか、手術給付金が40万円、入院給付金が1日1万円。それがあれば、しばらく仕事を休んでもなんとかしのげるだろう。
この10年、息子を私立の高校と大学に通わせ、フリーで仕事をしながらひとりで頑張ってきた。3カ月ほど前には、独り暮らしをしていた父も看取り、ひたすら走り抜けてきた10年だった。
きっとこれは神様が私に与えてくれた休暇なんだ。そう思うことにした。
本当は、父も看取ったことだし、いよいよ仕事の幅を広げなければ、と決意も新たにその準備にとりかかったばかりだった。なのになぜこんなことになったんだろう。なぜ私はこんなところにいるんだろう。いろいろと埒もないことを考え、病室でこっそり布団をかぶって泣いた日もある。
でも、しょうがない。これは休暇だ。ちょっと長めの休暇をとったのだと考えよう。


スタンフォードA型

本来なら、手術を受ける前に外来で病状と術式についての説明を受け、予約を取って後日入院、手術となる。ところが私は救急搬送され、意識のないまま手術が終わって今に至る。
だから、改めて主治医に病気と手術についての説明をお願いした。
病名は急性大動脈解離。大動脈が亀裂を生じて、そこに血液が流れこんだ症状をいい、心臓周辺の上行大動脈が解離したものはスタンフォードA型、腹部を中心とする下行大動脈が解離したものはスタンフォードB型に分類される。スタンフォードA型は、命にかかわる重篤な状態である。
そこまで聞いて「ふーん、じゃあ私はB型だったのね」と思った。だって死ななかったし、お医者さんにもお掃除のおじさんにも、元気だ、順調だって毎日のように言われてるし。ところが――。

あなたはスタンフォードA型でした
は!?
そして、上行大動脈から頸部の動脈まで、ステントグラフト(わかりやすくいうと人工血管的なもの)を入れて破れた血管を保護してある。今後は血圧を低く抑え、大動脈が再解離するのを防がなければならないが、身体が回復してくれば軽い運動なども可能になる、と医師は言った。
びっくりした。手術前には「もし私が死んだら――」と口走ったりしたが、それはあくまで手術を前にした儀式のようなもので、本当に死ぬかもしれないとは思っていなかったのだ。
私は居ずまいを正し、医師に頭を下げた。
どれほど大変な手術だったのかよくわかりました。どうもありがとうございました」​


生命保険の話

​入院期間はトータルで3週間。2月分の入院費は3割負担で30万円だったが、今回は限度額認定証を提出していたから収入に応じた金額ですみ、それプラス1月分の303万円を会計窓口で支払って、2月18日に退院した。入院が月をまたがなければ、ひと月分の限度額ですんだのに、つくづくツイてない。
が、不運はそれで終わらなかった。
当てにしていた生命保険がおりなかったのだ。原因は告知義務違反。前にも書いたが、大学病院に通いはじめたのはマルファン症候群という病気を疑われてのことだったが、それはいったん遺伝子検査で否定された。だから、5年前の大腸ポリープ摘出手術や、胃腸薬数種類と片頭痛の処方薬を何年も前から継続的に服用していることは告知書に書いたが、大学病院に行っていることは問題にならないと軽く考えて除外していた。
ところが今回、大動脈解離を起こしたことで遺伝子検査のやり直しをしたら、マルファン症候群を示す結果が出てしまった。加えて告知の基準となる通院日数について私が考え違いをしていたことも災いし、結果として告知義務違反を犯したことになってしまった。数カ月前に生命保険に加入したばかりというのも不運だった。それ以前に入っていた10年満期の保険をそのまま継続契約していれば、問題なく手術と入院の給付金が下りたのだ。
保険会社に提出する診断書のこと、医師とのやりとり、保険会社が依頼した調査マンとのやりとり、それらを書くと非常に長くなるのでそれはまた別の機会にゆずるが、入ると思っていた数10万円が入らなくなったのだから落胆は大きかった。しかも、給付金がもらえないのみならず、保険契約そのものも解除されてしまったのだ。
こんなに大きな病気をして、いつまた緊急手術&入院になるかわからない。なのに、生命保険がいっさい当てにできなくなってしまったのだから、これほど心細いことはない。保険会社から契約解除の知らせが届いた日は、ショックのあまりか発熱して寝込んでしまった。


8月10日、2度目の入院

いや、ショックのあまりの発熱ではなかったのかもしれない。実は少し前から頻繁に下痢と微熱がセットで来るようになっていた。さらに、息を吸うと胸が痛い。歩くと腰が痛い。背中が痛い。食後に胃が痛む……。
そしてとうとう8月10日、昼食後の胃の痛みがあまりにひどいので横になったところ、そのまましばらく起き上がれなくなってしまった。痛みのせいで冷や汗が出てくる。私はみぞおちを押さえて呻き声をこらえた。
ちょっと待って。これ、胃じゃなくて心臓ということはないの?
まだバイトに行く前の息子に病院へ電話をしてもらい、今回はタクシーで大学病院の救急外来に向かった。半年前と同様にCTスキャンを撮る。
結果は――胃でも心臓でもなく、なんと胆石発作だった。そのまま入院。保険会社から契約解除の連絡が来てまだ2週間たらずだ。しかも、病棟が混んでいるから、空くまで差額ベッド代のかかる2人部屋に入ってくれという。いったいどこまで不運が続くのか。
幸い、痛みの原因となっていた石はその日のうちに流れてしまったようだが、胆嚢には砂状の石がまだいっぱいあり、いつまた胆石発作を起こすかわからない。来月にでも胆嚢摘出手術を受けたほうがいいと言われた。そして5日間の入院中に術前検査をひととおりやり、またも限度額認定証のお世話になったのである。
悪いときには悪いことが重なるもので、入院中に株式市場はチャイナショックで大波乱。なけなしの貯えを少しでも増やそうと投資していたものが、あらかじめ設定していた逆差しラインにかかり、ほぼ大底でことごとく自動決済されてしまった。
ゴールデンウィーク明けから少しずつ仕事は再開していたが、収入は大幅減。そのうえ貯えも大幅減。なのに医療費ばかりが増えていき、生命保険はなし。当然ながら精神的ダメージも大きく、8月10日を最後に、私はSNSの書き込みができなくなった。友人から電話がかかってきても出られなかった。誰にも会いたくない。つらかった。


マルファン症候群というもの

何度か出てきているので、気になっている人もいるかもしれない。
マルファン症候群というのは、遺伝子の異常によって全身の結合組織が弱いという先天性の病気だ。いちばん問題になるのが心臓で、大動脈解離を起こしやすいといわれている。また、眼科的には水晶体脱落を起こしやすく、骨格異常や、さらには歯科、耳鼻科的な症状も表れる。
外見的特徴は背が高く痩せ型で、手足や指が長いこと。私は身長が175センチある。幼少期から大きかったので、これは私の最大のコンプレックスだ。だから、マルファン症候群という病気を受け入れることがなかなかできなかったが、遺伝子検査の結果を突きつけられればあきらめるよりほかない。
そのマルファン症候群が、この年の7月、難病に指定された。お蔭で医療費が助成されることになったが、私の入院・手術は1月~2月だったので、その分は対象にならなかった。またしてもツイてない。
ちなみに、ミュージシャンの米津玄師さんも、自分はマルファン症候群だとインタビューで語ったらしい。ただ、それが遺伝子検査などを受けたうえでの確定的な話なのかどうかはわからない。


3度目の入院、そして――

入院中は来月にでも胆嚢摘出手術をという話だったのに、退院後の外来で応対した別な医者は手術の必要はないと言い出した。しかし、いつまた胆石発作を起こすかわからず、戦々恐々としながら厳しい食事制限を続けている私としては、1日も早く胆摘して楽になりたい。心臓外科の医師も、胆石発作で血圧が上昇するリスクを考えると取ったほうがいいと助言してくれ、すったもんだの末にようやく12月9日入院、そして手術と決まった。
入院までのドタバタ劇に比して、手術は腹腔鏡下ですんなり成功。1週間後の12月15日に退院して、またまた限度額認定証のお世話になる。
1月の末に救急車を呼んでから約1年。身も心もフトコロもぼろぼろになってしまったが、なんとか年内にすべて片がついた。年が明けたら、新たな気持ちでまた頑張ろう、と思った。
退院1週間で痛み止めの薬も必要なくなり、ささやかながらもクリスマスディナーを楽しんだり、年賀状をつくったりして、心穏やかに年末を過ごしていた。ところが――。

痛み止めをやめて1週間した頃から、また痛みが出はじめた。さらに微熱も。心配になって病院に電話をしようと思ったら、なんともう年末の休診期間に入っている。仕方がないから耐えた。
耐えること数日。腹部一帯に発疹が出ているのに気づいた。これはもしや帯状疱疹……。ネットで調べると、治療にかかるのは早いほどいいらしい。
結局、1月2日にまたも大学病院の救急外来に行き、皮膚科の医師にまちがいなく帯状疱疹とのお墨付きをもらった。薬は1週間必ず服用しなければならないが、あいにく救急外来では3日分までしか出せない決まりだから、残りは地元の病院でもらってくださいと言われた。
この日の診察および薬代は6,950円。年が明けても、まだ私の不運は続くのか……。


Dead or Alive

3日後、地元の病院に行った。以前は胃腸薬や片頭痛の薬をもらいに定期的に行っていたが、ここ1年はご無沙汰している。
なので、まずは帯状疱疹の薬が欲しい旨を伝え、この1年の経過を説明した。1月に急性大動脈解離で手術し、マルファン症候群と確定診断され、8月に胆石発作で入院、12月に胆嚢摘出手術、退院から2週間後に帯状疱疹。
副院長をしている年配の医師は驚いた様子で「いやぁ、しばらく顔見ないからどうしたかなあと思ってたんだよ。大変だったねえ」と言い、さらに「ちょっとあなたさあ、お祓いでも受けたほうがいいんじゃない?」と続けた。
まさか医師にお祓いを勧められるとは思わなかったが、私自身もそれを考えたくなるような不運続きの1年だった。

だがそんな折、インターネットを徘徊していて『大動脈瘤・大動脈解離診療ガイドライン(2011年改訂版)』という資料を見つけた。そのなかの〈突然死例に見る大動脈解離〉という項目を見ると、この病気で突然死した人の61.4%が病院到着前に死亡しているとあった。この統計には手術や治療で回復した人は含まれていないから高い数値が出るのは当然だが、改めてこの病気の緊急性を思い知らされた気がした。
この年以降、芸能ニュースでこの病名が流れると、思わず耳をそばだてるようになった。ロックバンドC-C-Bのリーダー・渡辺英樹さん、大木凡人さん、ドキンちゃん声優の鶴ひろみさん。阿藤快さんは大動脈瘤破裂。このなかでお元気になられたのは大木凡人さんだけだ。
1月29日のあの夜、もしも救急車を呼んでいなければ、あるいは救急隊員に「どうします?」と訊かれたとき「じゃあ、いいです。横になって様子を見ます」と答えていたらどうなっていただろう。
それに、私はいちおう都市部といえる地域に住んでいるから救急車の到着が早かったし、手術に対応できる大学病院にも30分程度で搬送してもらえた。でも、全国どこでもそれと同じ対応をしてもらえるとは限らない。
そう、私は幸運だったんだ。度重なる不運を嘆き、ぺしゃんこに叩きのめされた気になっていたが、初めて自分が恵まれていたことに気づいた。

人間ってさ、簡単に死んじゃうんだね
私がそう言うと、息子は黙ってこくりとうなずく。2人のあいだではあの日のことが何度も話題に上った。そして、息子からはときどき妙な電話がかかるようになった。
いまどこにいる? 大丈夫?
スマホの着信履歴に覚えのない番号が残されていると、また病院や救急隊から電話が来たのではないかと不安になるようだ。

でも大丈夫、私は生きている。いろいろあって本当に大変だったけど、でもこうして生きている。
そしてそれは、とても幸運なことなんだ。


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