教員1年目の学級崩壊から倒れて救急車で運ばれた話
夫にあたりちらした。
それでも、夫は、困っている私がかわいそうだと、
いつも傍にいて励ましてくれた。
自分に力がなくてクラスをまとめられないんだから、
自分がクラスをまとめられる力をつけるしかない。
勉強すれば勉強するほど、
個別指導のプリント作成や楽しい授業研究など
やることは山のように増えてきた。
2学期になって、なんとか、立ち歩きの少ないクラスで授業をできるように
なってきたものの、
担任として、しんどいクラスであったことには変わりなかった。
有り難かったのは、
力のない私でも、保護者の方々は優しかった。
個人面談では、学級崩壊を起こして教員の資格ない!
などと、言われる覚悟をしていたが、
以外にも、保護者の方々に励まされていた。
「このクラスに手のかかる子どもが集中していますね」
「新任やのに、かわいそうやね」
とも、言われた。
そして、
「うちの子は、先生のこと大好きですよ」
「今日は、先生に33回褒められたって、うちの子回数数えてるんですよ」
「親が何度言ってもできなかったのに、『はいっ』って返事するようになったんです。理由を尋ねたら、先生が教えてくれたって言ってました。ありがたいです」
とも、言われた。
折れそうな、いえ、折れた心には、やさしい言葉が響いた。
クラスをまとめられない私なのに、有り難い言葉だった。
もちろん、そういう保護者ばかりだとも思わなかったが、
目に見えて何かを言われなかった、
陰口をされていたかもしれないけれど、私の耳にまで届かなかったのは
当時の私の状況を思うと、有り難かった。
教頭にも自分の非を詫び、助けてほしいと訴えたが、
「子どもにとって小学1年生は一生で一度しかないのに・・・(何やってるんや)」
と、言われて、その日の帰り道泣いたこともあった。
3学期になっても、しんどいクラスであることには変わりなかった。
子どもたちの立ち歩きはなくなっても、しんどかった。
しんどいというのは、油断のできない、という感じで、
毎日の各授業で、個別対応の必要な子どもたちに
それぞれに合った個別プリントを作成する必要があり、
もちろん、クラス全体でする授業の研究もする必要もあり、
1時間の授業中には、クラス全体を見るために、
あちらへこちらへと、動き回る必要があり、
子ども達一人一人に合った教材が準備できていないと、クラスにざわつきが始まる、
著者のJuncoさんに人生相談を申込む
著者のJuncoさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます