教員1年目の学級崩壊から倒れて救急車で運ばれた話

3 / 4 ページ

夫にあたりちらした。




それでも、夫は、困っている私がかわいそうだと、


いつも傍にいて励ましてくれた。





自分に力がなくてクラスをまとめられないんだから、


自分がクラスをまとめられる力をつけるしかない。





勉強すれば勉強するほど、


個別指導のプリント作成や楽しい授業研究など


やることは山のように増えてきた。





2学期になって、なんとか、立ち歩きの少ないクラスで授業をできるように


なってきたものの、


担任として、しんどいクラスであったことには変わりなかった。





有り難かったのは、


力のない私でも、保護者の方々は優しかった。





個人面談では、学級崩壊を起こして教員の資格ない!


などと、言われる覚悟をしていたが、


以外にも、保護者の方々に励まされていた。





「このクラスに手のかかる子どもが集中していますね」


「新任やのに、かわいそうやね」


とも、言われた。





そして、


「うちの子は、先生のこと大好きですよ」


「今日は、先生に33回褒められたって、うちの子回数数えてるんですよ」


「親が何度言ってもできなかったのに、『はいっ』って返事するようになったんです。理由を尋ねたら、先生が教えてくれたって言ってました。ありがたいです」


とも、言われた。




折れそうな、いえ、折れた心には、やさしい言葉が響いた。


クラスをまとめられない私なのに、有り難い言葉だった。




もちろん、そういう保護者ばかりだとも思わなかったが、


目に見えて何かを言われなかった、


陰口をされていたかもしれないけれど、私の耳にまで届かなかったのは


当時の私の状況を思うと、有り難かった。






教頭にも自分の非を詫び、助けてほしいと訴えたが、


「子どもにとって小学1年生は一生で一度しかないのに・・・(何やってるんや)」


と、言われて、その日の帰り道泣いたこともあった。






3学期になっても、しんどいクラスであることには変わりなかった。



子どもたちの立ち歩きはなくなっても、しんどかった。



しんどいというのは、油断のできない、という感じで、


毎日の各授業で、個別対応の必要な子どもたちに


それぞれに合った個別プリントを作成する必要があり、


もちろん、クラス全体でする授業の研究もする必要もあり、


1時間の授業中には、クラス全体を見るために、


あちらへこちらへと、動き回る必要があり、


子ども達一人一人に合った教材が準備できていないと、クラスにざわつきが始まる、

著者のJuncoさんに人生相談を申込む

著者のJuncoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。