2-4.アホ、もっと加わる

次話: 2-5.アホ、巻き込まれる

2-4.アホ、もっと加わる

※前回の『アホの力』更新から、4年近くも経ってしまった。更新が滞り誠に申し訳ない。年月が経ち、もう一度自分の過去を練り直してみようかというふうに思えたので、『前回の続き』から書いてみたいと思う。

という訳で続き…。

 

私はそれまで、南相馬の街の人と一緒に何かを創ったという事が無かった。
『コミュニティカフェ べんりDaDo』のメインメンバーとして『まちなかひろば』の仲間に加えてはもらったが、実質的には場所を間借りして、好きな事をしていただけだった。『南相馬ダイアログ』に参加した時は、街の人からすれば依然『どこの馬の骨か分からん奴』だったのだ。大はしゃぎで『つながる』チームに加わったものの、私は一体何をどうしたら良いのやら…。
でも『何か新しい事をやろう』というエネルギーは、私をどんどん高揚させていくのだ。それはとても不思議な感覚だった。震災前の埼玉での生活では感じた事の無いモノだったのだ。いや、本当のところは、埼玉の生活でもその感覚を感じるチャンスはあったのだけど、私がそのチャンスを受け取ろうとしていなかったのだろう。
『加わる』チーム内では、その時までに築いていたほぼ唯一のつながりである、南相馬市社会福祉協議会(以下「社協」)との連携をコーディネイトする事になった。社協職員と市民とのお話会を開いたのだ。『フェスティバル』で、社協が何をする団体で、震災後どんな活動をしてきたのかを、市民を集めて話してもらうのだ。
コーディネイトすると言っても、そんな事はした事が無い。それに、お話会なんて場づくりに関わった事も無い。何をどうしろと指示する人もいない。決まっているのは、『フェスティバル』の日程と会場くらいなものだ。けど、実は社協の職員はそういった場づくりのノウハウを持っている。『社協ってナニ』みたいな話はお手の物なのだ。なので、何をどう話すかはお任せしてしまった。イメージだけ伝え、それを共有して、あとは丸投げしたのである(笑)。出来ない事は出来る人にやってもらう…これが良い!

ここでも『アホ力』は発揮されているのである。だって出来ないんだし(笑)。

そもそも『南相馬ダイアログ』は、ちゃんとしたコーディネイターがいたからこそ実現出来たイベントだった。イベント全体の段取りやお話会の場のファシリテーションなどは、きちんと『出来る人』の支援を受けていた。そうした人の支援から、アホな私は色々な事を学ぶ事が出来た。この事はその後役立つ事となる。

要するに私は『はしゃぎながら出来る事をした』だけなのだ。おまけに無料で勉強までしている。
もちろんそれでも、やる事のボリュームはとても大きく、十分充実感を得られるモノだった。

かくして、2012年2月18日19日の二日間で『南相馬ダイアログフェスティバル』は行われた。
両日の来場者は約1000人!会場は大賑わいである。この賑わいを見て『何か凄ぇぞ!とんでもなく面白い事になってる!』とますますハイテンションになったのだった。
加藤登紀子さんの無料コンサートあり、柳美里さんのワークショップあり、餅つきありと盛り沢山。それ以外にも、様々なテーマでお話会の場が開かれた。タイムテーブルは2日間みっちりだ。そんな中で私が担当した社協とのお話会も大勢の来場者があり、とても良い場が出来ていた。
そして、このたくさんの『お話会の場』の中に、その後の私の行動を決めるテーマの場があった。

『お父さん会議』と題されたその場は、子育て中のお父さんが集まって開かれた場だ。
ご存じの通り当時の南相馬市は、原発事故の影響で子供の屋外の活動に制限がかけられていた。学校の体育の授業も外では行われず、学校への登下校も車で行われ、屋外に子供達を出す事を極力抑えた。もちろん当時はまだパニックが続いていた状態だったので、それはやむを得ない事だったのだが、自由に遊ぶことを制限された子供達には強いストレスがかかっていた。こうした状況を受けて『お父さん会議』では…

『週末に2時間も3時間もかけてくるまで出かけて行き、そこで子供達を遊ばせるしかない。普段の子供達はストレスからか相当不安定になっている』

という悲痛な訴えがなされた。

 

さて…どうする?

続きのストーリーはこちら!

2-5.アホ、巻き込まれる

著者の戸田 光司さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。