安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 vol.09 「兄」

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そんな豊の救いとなったのは、母の居酒屋に来る常連客だった。


社会人サッカーをしている山崎氏は、豊がサッカーをしていることを知ると、顔を輝かせながら、彼の所属するサッカーチームに遊びに来ないかと誘ってくれた。


彼に連れられて行った社会人サッカーのチームは、中学生の豊を歓迎し、快く仲間に入れてくれた。


豊も、自分を一人前に扱ってくれる社会人サッカーがとても気持ちよく、毎週のように連れて行ってもらった。


チームの大人たちは、生き生きと活躍する豊を気に入り、豊はメキメキと腕をあげて行った。

 



捨てる神、拾う神といった出来事が、バタバタと目まぐるしく起こる、落ち着きのない1年が過ぎようとした頃、突然、兄が死んだと知らされた。


数人でバイクを連ねて走っている途中、後ろから兄を追い越そうと並んで来た友人をよけようとして、電柱にぶつかったらしい。

 

豊の父は、料理人だった。


母の叔父も、温泉で有名な有馬の料理協会の会長を務めており、一躍話題になったTV番組「料理の鉄人」に出演するような人物だった。


兄も、中学を卒業すると、そうするのが当然のように、料理の道に進み、大阪や、淡路、有馬などで、板前の修業を重ねていた。


中学のサッカー部でキャプテンを務めていた兄が、14歳の年 阪神淡路大震災が起こった。


人々の生活がどうにか平常に戻った後も、彼らにサッカーができる場所は戻らなかった。


もともと明るい連中だったので、することがなくなったら、もうバイクに乗るしかないなぁ~などと言いながら、サッカー部はまるごと、俗にいう「ヤンキー」になった。


なっただけで、特に悪いことをするわけではなく、夜遅くまでバイクを乗り回して、灯りのあるところにたむろするくらいが関の山だった。


おそらくそんな中で知り合ったのだろう、兄は、ある少女と付き合い始め、17歳で父親になった。


そのあたりの事情は、離れて住んでいたこともあり、小学生から中学になったばかりの豊には、今になっても詳しくはわからないらしい。


きちんと家族になって、家庭を作ろう板場の寮生活だった兄は、結婚し、真面目に働いて、家を借りた。


ようやく家族が一緒に住めるようになった新居の暮らしが始まって2週間で、兄は18年の人生を終えることになった。

 



「全員、しばけ!」


あの兄の言葉を聞いたのは、まだ数か月前のことだった。

その兄が、突然 居なくなった。


悲しいというより、豊は、自分自身をどう支えていいのやら、一人だけで無重力の暗い宇宙に放り出されたような、とてつもなく不安定な孤独を感じていた。


通夜に流された長渕剛の歌は、闇の中を漂う豊を、光る蜘蛛の糸が1本、また1本と延びて支えるように、「この世」に引き戻していった。


豊は、母の店にくる山崎氏と、また社会人サッカーに参加するようになり、家に帰ると長渕剛のCDを聞いた。


サッカー場で走っていると、自分が生きていることを感じる。


ボールを蹴る感触、そのボールを受け取るチームのメンバー、ゲームの後の程よい疲労感も、豊に生きていることを感じさせた。


サッカーが好きだ!と、豊は思った。


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