ブラック企業で借金850万円を背負った僕の大逆転劇

大逆転劇そう聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう?


92年日本シリーズの代打満塁サヨナラホームラン?


ロシアワールド杯最終予選の後半ロスタイム決勝弾?






はっきり言おう。

多くの人にとって、日常はこんなに鮮やかではない。


僕らの毎日は、もっと淡々としていて、泥臭くて、平凡。




寝坊したけどダッシュしたら、ギリギリいつもの電車に間に合ったとか。


ドラマの最終回見逃したと思ったら、予約録画してたとか。


片思い中のあの人に、週末デートに誘われたとか。




誰にだって、小さな大逆転劇は日々起こっている。あまりロマンチックじゃないけどね。





このストーリーを読み終わったとき、あなたはきっとこう思うだろう。


「そうだよね、大逆転と言ったって、現実はそんなに甘くない。でも、もしかしたら…!」




もしかしたらの可能性に、僕は賭けてみたい。


大逆転劇というか、もはや奇跡のような確率かもしれないが、その可能性が1%でも上がればいいなと思い、このストーリーを投稿する。



2019年2月12日






[目次]
1.プロローグ
2.悠々自適な0円生活
3.10年ぶりの電話
4.夜逃げ後輩
5.ブラック洗脳術
6.30分で100万円
7.夜逃げ社長
8.裁判
9.答え
10.大逆転劇のはじまり

11.エピローグ

約15000字 / 読了時間15分







1.プロローグ

従業員サイトウ「もしもし、タカハシ!朝早くにごめん!お前、社長のこと知らないか?!」

ぼく「はい、知りませんけど、、」

従業員サイトウ「ああ、高橋、落ち着いて聞けよ。社長…今朝から現場に現れないんだ。飛んじまったらしい」




100万円以上の未払い給料、メガバンク2社の銀行カードローン、クレジットカード6社のキャッシングとリボ枠上限いっぱい、親族から借りたお金。返済利息も含めると850万円以上にのぼる借金を僕に残し、その朝、社長は消えてしまった。


僕は、ひとりぼっちになった。


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2.悠々自適な0円生活

遡ること10年前。18歳、春。

無事に現役で首都圏の某音楽大学の声楽科に合格し、僕は音楽漬けの充実した日々を過ごしていた。

しかし、楽しい大学生活もずっと続くわけではなかった。


プロになれるのは、ほんの一握り。


だいたい、音楽を志してる同世代と数年間共に過ごしてきて、多くの人は、自分の才能の平凡さに気づく。ある時、自分の立ち位置を冷静に理解するのだ。


周りの友人たちが就活をし始めた大学3年の春、僕はうたを歌うということを現実的な職業にするにはどうしたらいいかを、ひたすら考えていた。

何故、うたを歌うことを仕事にしたいと思ったのかは、よく覚えていない。というか未だにわからない。しかし、毎月安定したサラリーをもらえる生活でないことくらいは容易に想像できた。厳しい業界なら、収入が不安定だろう。


そこで僕は考えた。


収入が不安定ならどうすればいいか?



答えはすぐに出た。

支出を減らせばいい。



そうすれば、生活費のためにアルバイトしている時間を、音楽活動にまわすことができる。


そんなことを考えていたとき、モバイルハウスという暮らし方を知った。

6畳一間ほどの小さな移動式の家は、ライフラインから独立している。即ち、電気水道ガスが繋がっておらず、基本的にエネルギーはソーラーパネルなどで自給する。場所は駐車場を借りればOK。光熱費はゼロ、家賃もかからないので1ヶ月10万円もあれば充分だ。

というわけで、もう僕の頭の中はモバイルハウス生活の妄想でいっぱい。

しかし、手先が劇的に不器用な自分。
自分1人では、家はおろか、紙ヒコーキすら折れないことに気づいたので、ノリと勢いで周りを巻き込むことにした。





[ノリと勢いで人を巻き込んだ結果]

1.まず大工志望の友達をスカウト

2.看板屋の息子を仲間にする(作業場ゲット)

3.友達の友達が建築士の卵だったので、昼飯を奢って図面描いてもらう

4.美大の友達の卒業展示会の最終日に2tトラックで乗り込み、展示物の解体手伝う代わりに、ほぼ新品の廃材をタダで大量にゲット!

5.廃材で補えない部分(ソーラーパネルや屋根など)はホームセンターで購入

6.製作過程をブログで公開したところ、モバイルハウスを置かせてもらう場所を無料で提供してもらえることに!




…結果、総額7万円、製作期間1ヶ月でモバイルハウス完成。



大学4年の夏。
かくして、神奈川県藤野に家賃0円、光熱費0円、土地代0円で新居を構えることが決まった。







半年後。
無事、音大を卒業し、いよいよ本格的なモバイルハウス生活がスタート。ライフラインに繋がっていないが、とても快適な暮らし。


電気: ソーラーパネル(Amazonで15000円程で購入)で自給。ケータイの充電、PC、照明の電源くらいは余裕でまかなえる。

: たまたま近くに有名な湧き水スポットがあったのでそれを汲んで使う。

ガス: 毎日毎日火起こしするのはめんどくさかったので、火を使う調理のときはカセットコンロを使用。

お風呂: 近所に温泉(400円で入れる)があったので、そこに毎日通っていた。

トイレ: そのまま自然に還すスタイル。これが開放的でなかなか気持ちいい。





家の間取りは4畳+ロフト2畳で、ロフトで寝るのだけど、ちょうど仰向けになると開閉式の天窓が真上に来るように設計していて。星空を見ながら毎日眠った。
     
飲食店でバイトをしていて賄いを食べられたので、月々の食費もあまりかからず、月10万もあれば貯金できた。


ほぼ毎日、都内まで出ていたけど、満員電車とは無縁の日々。音楽活動に専念しながらお金の心配も特にしなくていい。




悠々自適な暮らし。


そんな生活を2年間ほど続けた。

何も心配することがなく、楽しくて気楽な時期だった。







その後、ひょんな出会いから物件を無償提供してくれる人が現れ、「援助するので海辺にカフェを開業しないか」というおいしい話をいただく展開に。





ここから事態が急変していく。




経済的な基盤を整え、音楽へもっと注力したいと思っていたタイミングだったので、一時的に音楽活動を休止し、カフェ開業に集中することにした。

しかし、急きょカフェ開業することになったので、事前リサーチはゼロ。



[引っ越してから知ったこと]

1.カフェ周辺にはお店ゼロ

2.目の前の海岸道路が走っているが、夏場でも通る車は日に2〜3台くらい。

3.周囲は別荘地なので、そもそも人が住んでいない



…結果、カフェの営業は一夏で終わった。








3.10年ぶりの電話

住み込みでカフェを手伝ってもらっていた彼女と相談し、店を畳んで東京に戻ろうと決めた9月のある日、中学時代の後輩から10年ぶりに突然電話がかかってきた。


後輩K「ゆうやくん、お久しぶりです!!」

ぼく「…だれ?」

後輩K「Kっすよ!お元気ですか?俺、独立して運送会社を始めたんですよ!それで人手が足りないのでだれか紹介してほしいもらえませんか?」

ぼく「…。(あ、当時部活で問題児だったアイツか。にしても独立とは、大人になってからは立派に頑張ってるんだなあ)

後輩K「もしもしー?ゆうやくん?聞いてますか!?」

ぼく「オーケイ。ちょうどいいやつ(自分のこと)紹介するよ!今度一度会える?ちょうど来週に東京戻ろうと思ってたところだったんだ」



ちょうどいいタイミングだった。

カフェの売り上げが全く立たず、日々の生活費でわずかな貯金もなくなったところ。あらためて音楽活動に専念するためにお金を貯めようと思っていた時期だった。




5.夜逃げ後輩

東京に戻ってすぐに、後輩Kの運送会社で働き始めた。会社といっても、後輩(社長)と僕の二人きり。右も左もわからぬまま軽貨物の配達をはじめた。

軽貨物の仕事をはじめて一か月経った頃。段々と仕事の流れを覚えて来た時期に事件が起きた。

ある朝、後輩Kがなんの連絡もなく、突然失踪したのだ。

なんの前触れもなく夜逃げしちゃったものだから、彼の担当の現場はてんやわんや。元請けの会社の方々と一丸となって、フォローしてなんとかその日は無事に業務を終えることができた。



元請け会社の社長(以下、社長)「状況が状況なだけに大変だと思うから、うちでケツ持つよ。お前は筋もいいし、このままうちで働きな」

ぼく「ありがとうございます…助かります!僕自身、この仕事はじめて1ヶ月で、右も左もわからない状態で後輩Kが夜逃げしてしまったものですから…」



その後も後輩は電話に出ることなく、途方に暮れていた僕は、元請けの会社の社長の言葉に大きなご恩を感じながら、ここで春までで働くことに決めた。


今思えば、ここが運命の分かれ道だった。





5.ブラック洗脳術

軽貨物の仕事はなかなかハードだ。
朝4時半に起きて5時前に家を出る。45分ほど車を走らせ、取引先と倉庫に到着。僕がメインで担当していた現場は企業向けの配達と個人宅への配達が混ざっているところ。

1時間半ほどかけてその日の荷物仕分けて軽バンの荷台にぎゅうぎゅうに積み込み、地図で1日200件近くある配達先をひとつずつ確認し、配達ルートを決めていく。

朝7時になると朝礼が始まり、その後出発。

お昼をまわった頃にはぎゅうぎゅうに積んだ荷台は空っぽになっている。補給ポイント(公園の駐車場)に向かい、大型トラックから午後の分の荷物を降ろして軽バンに積み込む。午前中の配達がスムーズに行くとここでお昼ご飯を食べる(といっても車内でおにぎり程度)時間をとれる。お昼の時間もとれない時も多々あって、そんなときは、車を走らせながら片手でおにぎりを頬張る。

19時頃には荷物をすべて配り終え、ところどころで集荷にもまわり、倉庫へ戻る。
辞書の厚さほどもある伝票の束を手作業で仕分け、集荷のお金を計算し、日報を書いてようやく終了。

車を走らせ、自宅に帰ってくるのがだいたい22時くらい。

これを毎日続ける。
休みは月に1日(半日のときもある)。


音楽活動を再開するためだと割り切って休みなしでがむしゃらに働いた。

集中してやると結果はついてくるもので、はじめて3ヶ月で以前から在籍していた従業員6名全員を抜いて、トップの配達件数を収めるようになった。

こうして、僕はひたむきに働くことで社長の信頼を得ていった。





6.30分で100万円

業務になれてきたある日、僕は配達物を間違えるというミスを犯し、始末書を書いた。そして、始末書を書いてから1週間後、社長から突然電話がかかってきた。


社長「配達先の企業が怒っていて、始末書では済まないかもしれない。でも俺がなんとかするからこの件は内密に」

ぼく「自分のミスのせいで迷惑かけてしまい、申し訳ありません」



この時は、本当に社長に対して申し訳ないなと思っていた。本心で。
それから数日後。社長に現場近くのコンビニの駐車場へ呼ばれた。



社長「ゆうや、大事な話がある…落ち着いて聞いてくれ。あの件で、裁判になるかもしれない…でも俺がなんとかするから安心しろ」

ぼく「はい、すみません…」




彼の言葉を信じて、ぼくは仕事に戻った。ものすごい罪悪感に襲われてみぞおちがキュッと痛くなった。今、冷静になって考えれば裁判や示談なんて明らかに嘘なのだが、当時は思考する余裕がなかった。



それから数日後、夜帰宅したころに社長からの電話。


社長「例の件、収拾がつかなくなっているので示談することになったよ…。はあ。もちろん、社長の俺が全てケツを持つが、早急にお金を用意する必要がある。手持ちでは足りないので、なんとかお前も手伝ってくれないか?」


背筋がゾワっとした。おかしい。


社長の言い分は明らかにおかしい。配送先を間違えたぐらいで、こんなことになるはずがない。だけど僕は日々の業務に悩殺され、働きづめで冷静な判断能力を失っていた状態だったし、配送先を間違えたのは自分のミスだ、という負い目もあったから、冷静に判断することができなかった。

そして僕は罪悪感に苛まれ、言った。



ぼく「これ以上、社長に迷惑をかけるわけにはいかないです。ぼくのミスですから、自分でもなんとかします」

社長「そうか。お前の気待ちはわかった。明日は現場へほかの奴を回すから、お前は俺と一緒に来てくれ」




翌日、社長の軽バンに乗り込み、連れていかれたのは駅前の緑色の某メガバンク。

到着するまでの道すがら、社長はどうやったら審査が通るのかを事細かに教えてくれました。社員の人数、売り上げは多めに申告すること。勤続年数は5年以上と書くこと。などなど。そして銀行の前で僕を降ろし「じゃあ終わったら迎えにくるから、頼んだぞ」と告げ、黒の軽バンはぼくを置いて行ってしまった。


そう、社長がレクチャーした審査とは、銀行のカードローンのこと。

最近は便利なもので、銀行に行くとATMの横に電話ボックスの大きいやつが置いてあり、そこで電話と画面越しにローンの申請と審査がその場でできる。
社長に言われた通り、社員数や勤続年数などありもしないことを書き、免許証を目の前の機械にかざして、審査終了。時間にして30分ほど。

5分後、審査結果が電話で伝えられる。



見事、審査通過。100万円の枠をゲット。


ローン専用カードもその場ですぐに発行された。
ローンカードを隣のATMに持っていき、上限いっぱい出金。パラパラパラと機械がお札を数える音が聞こえる。なかなか数え終わらない。しばらく待つと、札投入口がウィーンと開いた。

1時間後、車に戻ったぼくは100万円の札束を社長に手渡した。


100万の束って思ってたより薄くて軽いんだな。




その後は、社長からの電話は特になく、これで決着がついたのか?と落ち着かない日が続いた。やがて、毎日の仕事に追われる忙しい日々に戻り、僕は手渡したお金のことを忘れていった。


年末の迫ったある日、久しぶりに社長の番号から着信。


社長「例の件で出費が多く、年末でその他の出費もかさんでいて、資金繰り大変なので、追加で用意してほしい」


いつになく憔悴した声の社長が聞こえた。


ぼく「え…てっきりもう示談が済んだのかと。すみません…無理です。もうあれ以上借りられませんし、前にもお伝えした通り、貯金もありません」

社長「もう少し考えてみてくれないか?今が踏ん張りどきなんだ」





こんな内容の電話が毎晩かかってきた。そしてとうとう、夜遅くに社長の家に呼ばれた。
仕事終わりに軽バンを都内から1時間ほど走らせたところに彼の家、社宅があった。301号室の呼び鈴を押すと、すぐに70代とおぼしき女性が出てきた。




ぼく「夜分遅くにすみません、高橋と申します。社長さんに呼ばれてきました」

おばあさん「あら、遅くまでご苦労様。どうぞ上がって」




おばあさんは優しい口調でそう言った。
玄関を入ってすぐ左手の部屋に通された。しばらくすると、おばあさんが温かい夕飯のお盆を持って部屋にやってきた。



おばあさん「〇〇(社長の下の名前)はもうすぐ帰ってくると思うので、ご飯食べて少し待っててね。お代わりもあるから足りなかったら言ってね」


話ぶりからするに、この女性は社長の母親らしい。ご飯を食べ終わるころに、社長が帰ってきた。



社長「お待たせ!夜遅くに悪いなあ」


そういって缶ビールを僕に1本渡し、持ってきたもう1本を自分で開けてグイッと飲んだ。


社長「まあ飲め!今日も現場疲れただろう」

ぼく「はい、ありがとうございます」



いつになく、社長は優しかった。その優しさが不気味だった。


社長「で、例の件なんだけど…」




説得は、深夜まで続いた。








1日17時間労働。


お昼を食べる時間もない。

休みは月に1度。


家と職場の往復。

家に帰ったらご飯を食べてすぐ寝て、夜明け前には起きて深夜まで働く生活。



そういえばここ数ヶ月、仕事の電話以外で携帯を開いていない。LINEはおろか、Facebookやツイッターを見ることもない。

毎日働いていたので外には出てはいたが、外界から完全に隔離された環境だった。



そんな状況はぼくの判断能力を奪っていった。

あるのは日々業務に追われて疲れた心と身体。助けてもらった社長への申し訳なさ。


そしてぼくはついに、銀行のカードローンに留まらず、クレジットカードのキャッシング枠、それがいっぱいになると父親、さらに遠くに住んでいる兄へも土下座して事情を説明し、総額300万以上を借りた。


そんな状況にもかかわらず、社長は12/31の仕事終わりに従業員6名全員を集めて、知り合いの店を貸し切り、盛大に忘年会を開いた。帰りは全員にタクシー代まで配り、あまりの羽振りの良さに、僕の頭は酔いとは関係ないところで混乱していた…。


社長「みんな!今夜は俺の奢りだー!今日くらい全部忘れてパーっと楽しもう!」





7.夜逃げ社長

年が明けて1月。
その後、例の件は一向に話題に出ない。痺れを切らして、僕から質問した。


ぼく「社長、あの、例の件なんですけど、あれから進捗はありましたか?僕、そのことが気になってしまって、ずっとそわそわしているんです…」

社長「お、おう!例の件は一応かたをつけた!…ただ、その影響で資金繰りが大変な状況が続いている。給料の支払いはちょっと待ってくれ。ひとまずガソリン代だけは渡しとくから」




流石にこの頃には、社長への不信感は募っていた。
そしてその後も、給料の支払いは先延ばしにされていった。相変わらず休みは月に1日。




2月。
辞めると言っても聞き入れてもらえなかったので、辞める気120%だったが、あくまで「身内の都合による一時的な休職」と伝えた。




3月。
再三、給与を支払うよう催促をし、約束から1ヶ月以上遅れで、一部が手渡しで支払われた。

このときは、ぼくの実家近くのファミレスに社長を呼んだ。
父にも同席してもらい、しっかり残りの給料(100万円over)を払うことと、貸したお金を返済することを紙面で提示し、その場でサインしてもらった。

その後、貸していたお金も3ヶ月以内にすべて返済する内容の公正証書(裁判の判決と同じ効力のある公的な書面)を結び、これで法的拘束力はバッチリ
まあ返済がたとえ遅れてしまったとしても、半年以内には未払いの給与も貸したお金もすべて返ってくるだろう。

これ以上ないほど対策はしたが、それでも心のざわつきは消えなかった。





3月末。
朝、見慣れない番号から電話がかかってきた。不意になった着信音に驚く。電話に出ると従業員の1人、サイトウさんの慌てた声がした。


従業員サイトウ「もしもし、タカハシ!朝早くにごめん!社長のこと知らないか?!」

ぼく「えっ?知りませんよ」

従業員サイトウ「やっぱりそうだよなあ…」

ぼく「もしかして…」

従業員サイトウ「ああ、あいつやったよ。今朝から現場に現れないんだ。飛んじまったらしい」

ぼく「、、、(笑)」



思わず笑ってしまった。

いや、全然笑えない事態なのはわかっている。


しかし、もう笑うしかなかった。

半年以内に直属の社長が2人も夜逃げするなんて。





これはオチのつまらないコントではない、現実だ。

100万円以上の未払いの給料、メガバンク2社の銀行カードローン、クレジットカード6社のキャッシング、親族から借りたお金、あわせて返済利息も含めると850万円以上の借金という名のサプライズプレゼントを僕に残して、社長は夜逃げした。


その後、何度も電話やメールをしてみたが、一度も返事が返ってくることはなかった。





8.裁判

なぜ、4年前のことをこんなに事細かに覚えているかって?


それは、すべてを記録していたから。


社長とのメールのやりとり、通話記録、会話記録、すべてiPhoneのボイスメモで録音していた。彼の使っている銀行口座や、車のナンバーなんかもすべて控えていた。

疑り深いのか、人を信じやすいのか、自分でもよくわからない。



証拠はすべて揃っている。というか証拠が無くても公正証書を作成している時点で、訴えれば200%勝てる内容だ。

情に流されながらも、どこか警戒していて、ちゃんと証拠を抑えていた自分を褒めたい。





早速、知り合いに弁護士を紹介してもらい、証拠を整理して弁護士事務所へ相談に向かった。途中、コンビニで「裁判なんてコワくない」というタイミングバッチリなタイトルの本を見つけて、つい買ってしまった。笑


弁護士事務所はJR四ツ谷駅のすぐそばにあった。見た目は石造り風のビル。こうした場所にははじめて入るので、緊張する。面談時刻の15分前には着いていたので、しばらくビルの入り口で右往左往してから、意を決して中に入る。
キムタクのあのドラマのイメージだったが、入ってみると応接室のある普通のオフィスとたいして変わらなかった。

事前に電話で面談予約していた旨を受付で伝える。ほどなく個室に案内された。


受付係「先生は別件対応中で、もう間も無く参りますので、しばしこちらでお待ちください」


そう言って温かいお茶を出してくれてから、受付係のお姉さんは出て行った。


呼吸が浅くなる。
手汗が止まらない。

自分自身を落ち着けるため、湯飲みに入った熱い緑茶をゆっくりすすった。

10分後、コンコンとドアがノックされ、担当してくれる弁護士さんが大きな書類の束を抱え入ってきた。


弁護士「では、早速ですが状況を話してください」

ぼく「はい。実は…」



時系列にまとめた書類を見せながら説明する。途中、怒りと緊張で声が震えた。



弁護士「ご説明ありがとうございました。高橋さんとしては、今後訴訟する方向でよろしいでしょうか?それでしたら、私のほうでも次回までに色々調査しておきますので」

ぼく「はい、よろしくお願いします」



次回の日程を決め、面談は予定通り30分で終わった。



1週間後、、、


弁護士「今日は起訴に向けた具体的な流れを打合せしていきたいと思います。前回お願いした、通話記録のほうはまとめてきていただきましたか?」

ぼく「はい、この資料になります…」

弁護士「いいですね。時系列もしっかりしているので、裁判の際にも使えるかと思います。さて、私のほうでも色々調べたのですが…」



そう言って弁護士さんは社長の戸籍謄本の思われる紙を取り出した。そこには、社長が今住んでいる住所はもちろん、小学生と中学生の娘がいることや、奥さんとは離婚していることなどが書かれていた。

弁護士ってすごい。職権で他人の戸籍情報まで取り寄せられるのか…。


弁護士「それでは、これから起訴の具体的な流れやリスクについてご説明させていただきます」

ぼく「は、はい」







正直、僕はこのとき混乱していた。


本当に裁判を行うのか迷っていた。頭の声はGO!と言っているが、胸はざわざわしていて、何かが引っかかっていた。

結局、この日に弁護士さんと契約(起訴を起こすということ)はせず、次回までに考えてきますと答え、法律事務所を後にした。





それから2週間、僕は悩み続けた。



そして重い足取りで法律事務所へと向かった。



弁護士「あれからお考えになられて、起訴はどうしますか?相手が自己破産していなければ100%取り返せますよ。」

ぼく「前回、お話しくださった起訴するリスクについてですが…」





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結論から言うと、
僕は、裁判を起こさなかった。




その理由は大きく2つ。

「彼が自己破産していたら、訴えても回収できないリスクがある」という理由が2割。
(のちに判明したことだが、なんと彼は社長などではなかった。ペーパーカンパニーどころの騒ぎではない。登記簿を調べたところ、初めから会社など存在すらしていなかったのである。)


残りの8割は、「怒りに支配された状態で自分を正当化したくなかった」から。

これが決定的な動機だ。



裁判は、憲法で保障された公正な手段。ぼくは騙されただけであって、なにもやましいことはしていない。

裁判を起こそうと弁護士に相談していたときの自分はこんな感じ。


「社長に騙された!絶対見返してやる〜!なんならこの期間に感じた精神的苦痛も慰謝料としてとったるでえ!」




ふと、気づいた。

あ、裁判はじめたら終わるまでずっとこんな感じの怒りや憎しみに支配されて日々を過ごすんだなあーと。



ぼくにとって、それは気持ちの悪いことだった。



人への怒りや憎しみを正当化するのはなんか違う。

全然、自分の生きたい世界ではない。

裁判という正義のシステムを使って、個人的な怒りや憎しみを解消しようとしている。


もちろん、借りたお金を持って、おまけに真面目に働いたのに給料100万以上を支払わずに夜逃げした社長は、100%悪い。やってはいけないことをしたのは事実だ。

しかし、僕がこうして代わりに借金を背負う羽目になったのも何かの因果だと思う。



きっと意味があるに違いない。

その意味は、正直、今はまだよくわからないが、きっと返済していくなかで見つかる気がする。誰に言われた訳でもなく、自然とそう思った。




訴えずに自分で返していくと決めてから1年くらい経って、ようやく彼への怒りや憎しみみたいなものが溶けていった。それまでは社長と同じ名字を目にするだけで、怒りで吐き気を催すほどだった。



しかし、今、社長に対しての怒りや憎しみは、綺麗さっぱり無い。

「せっかく多額の寄付をしてあげたんだけら、もうこれを機に真っ当に生きてね」

本気でそう思っている。





9.答え

2018年10月、5年間付き合った彼女と婚約した。そして一生懸命働いて、見事に借金を完済。



…こんな結びで終わればとっても綺麗な話なのだけど、現実はそんなに甘くない。


毎月の返済に追われる生活。クレジットカード会社6社、銀行2社。親族からも。それら返済利息もあわせると総額850万円以上。返しても返しても終わりが見えない。


例えば、最も借り入れの多い三井住友銀行カードローンを例に挙げてみると、こんな感じ。毎月27日が返済日で、その日までにATMに行って自ら入金する。毎月最低でも15000円は返さなくてはいけない。ATMに15000円を入金すると、小さな紙切れが返ってくる。

[明細書  入金15000円 (元金2917円・利息12083円) 残高-997083円]

ぼく「マジか…15000円入れて、利息差し引かれて返済に回るのは、わずか2917円。一体何年かかるんだ…」


一刻も早く返済を終え、しっかりけじめをつけて結婚したい。

また音楽活動を再開したい。




だから、たくさん働いた。

働きすぎて体調を崩し、2回休職した。毎日3時間睡眠で、がむしゃらに働く日々を2年間ほど続けたところ、寒気が四六時中止まらなくなってしまった。
夏でもぶるぶる震える。おまけに原因不明の刺すような頭痛と重たい倦怠感。


これら身体の異変は「.お金のためだけにひたすら働くってスタイルは君には向いてないよ」ってサインだったのかもしれない。毎日数時間の睡眠で、バリバリ働ける人が羨ましかった…。







「音楽をやるためにまずは○○しよう」

大学を卒業してからの6年間、モバイルハウス暮らし、カフェ開業、ブラック企業、オフィスワーク、アルバイト、訪問介護職、断食トレーナー。
まず準備してから。用意してから。
そのために〇〇して…ってやっていたら、音楽からどんどん遠ざかっていった。

息を吸って吐いているだけで、毎日生きている実感がしなかった。


何のために生きているのだろう?
何故、生まれてきたのだろう?


そんな疑問が頭の中にモヤモヤと雲みたいに広がっていった。







だいぶ遠回りして、12年かかって、ようやく気づいたこと。



「この命を全うしたい。自分に与えられた役割(使命)で、周りの人や社会に貢献したい」


そんなことを事あるごとに強く願っている自分がいた。
頭の中に広がったモヤモヤの雲を割って、光が差し込んだ。


もっと自分ができること、愛や喜びのエネルギーを糧に生きたい。

寝ても覚めても胸の中に、情熱があった。




ぼくにとって、それは音楽。
歌をうたうということ。




理屈ではない。

これが12年かかって、僕が行き着いた答え。



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大学生のころ、うつ病になって1年間学校に行けなかったことがある。



大学を休んで家に引きこもり、朝から朝まで何をするともなく横たわって過ごす毎日。無という時間が、自分自身と向き合うきっかけを与えてくれた。

今思い返せば、あの頃のぼくは自分自身ではない、誰かになろうと必死で、ひとりぼっちだった。いや、挨拶できる程度の友人はいたか。

家族から、学校から、社会から期待される人間になろうと取り繕っていた。だから、心と身体がちぐはぐだよってブレーキをかけてくれたんだと思う。


そんなことがあったおかげで、ぼくはちゃんと自分自身を生きようと決めた。

心が感じる違和感を大切にしようと決めた。



そうやって決めたはずなのに、いつのまにか忘れてしまっていた。
自分に素直に生きるより、世間体に忠実になるほうをいつのまにか選んでしまう。

周りの人から認められたい、社会的なステータスが欲しい、親を安心させたい、安定した生活を送りたい。

「音楽やってます」というと、この人まだ夢見てるんだ〜って思われそうで恥ずかしいから「音楽やってます」って答える。



自分自身を生きたいのに、生きられない。


もどかしい。苦しい。


今の生き方に矛盾を感じながらも、変えられないでいた1年ほど前。


断食トレーナーをやりながら、空き時間コールセンターのバイトをしていた当時、数少ない親友と呼べる中学時代からの友人と、久しぶりにご飯を食べに行った。

互いに近況報告をしたところで、彼はぼそっと言った。


友人「無責任なこと言うようだけどさ、もう音楽一本で他のはやめちゃえばいいんじゃない?」

ぼく「だよね!(よくぞ言ってくれた!)そうしちゃおうかな…」

友人「うん!もう開き直っちゃっていいと思うよ」



彼は冗談でも言うかのような軽い口調で、ビールをぐいと飲み干し、笑いながらそう言った。


他人の無責任なひとことが、人生を変えることもあるんだな。



僕が、自分自身に言ってやりたかったけどずっと言えなかった言葉。それを彼は言ってくれたように感じた。安心感と喜びが込み上げてきた。興奮していた。



翌日、コールセンターのバイトを辞めた。


翌月、断食トレーナーとしては新規のお客さんを追うのをやめ、追われるように働くことを手放した。


忙しい日常に空白ができたとき、そこに浮かんできたのは返済への焦りではなく、将来への不安ではなく、音楽への忘れ得ぬ情熱だった。




そうだ。思い出した。

僕はうたが歌いたかったのだ。

誰がなんと言おうと、音楽で飯を食っていきたかったのだ。





その思いに長い間フタをしていた。

経験が足りないとか、お金がまだ無いとか理由をつけて逃げていた。


自分のなかにある、奥深くに眠っている情熱と向き合うのは怖い。

本音だからこそ、本気で向き合わなければいけない。

片手間にはやれないだろう。


キッカケは最早わからない。きっとずっと昔から、僕は自分の人生を音楽にかけてみたかったのだ。

ようやく気付いた。

もう、自分自身から逃げるのは終わりにしよう。





10.2019年

ごうすけ「もうひとりで全部背負わなくていいんじゃない?」


これまで地道に返済を3年間続けてきたが、一向に終わりが見えない。そんななか、5年間付き合った彼女と婚約した。それを機に最近、債務整理をした。

結果、毎月18万円ほどを今後5年間返済していく(返済額は段階的に減っていく計画)ことになったが、音楽の道を志すと心に決めた自分もいる。そんな赤裸々な話をしたとき、仲間であり人生の先輩である、ごうすけさんから言われた一言だった。


ごうすけ「一人だけの力で返済するのではなくて、オープンにすることで、みんなの力を借りてfesでもやって、その収益で完済したらいい」


なんということだろう。

一気に緊張が溶けて全身の強張りがゆるむ。突然、降って湧いた希望に泣きそうになった。



ひとりじゃない。

本気で心配してくれる仲間が、目の前にいた。

安堵感に包まれ、身体が火照った。



自分にとっての悲劇は、きっと周りから見れば立派なコメディー。

せっかく、自分一人の力では乗り越えることが難しい絶望を味わう機会を得たのだから、それをみんなの力を借りてとてつもなく大きな希望に変容させてみたい。



今から10ヶ月で、残り600万円の借金が完済できたとき、タイトルの”大逆転劇”は現実のものとなり、このエピソードは完結する。



もう僕は、ひとりじゃない。



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11.エピローグ

はじめまして、ミュージシャンのごうすけです。


この話を彼から聞いた時、普通なら「何がなんでも取り返してやる」と思うところを、自分で背負うことに決めたのは、なんともゆうやくんらしいなと思いました。また、自分で背負った借金の大きさに押しつぶされそうになっているのも、不器用な彼らしい(笑)


きっと、いろんな苦しみや葛藤があったんだよね。

自分の本当にしたい生きかたは音楽だということにも気づいてしまったし、大切なパートナーとの結婚も決めた。多額の借金を背負ったことで、彼は自分の人生にとって何が大切かわかったのかもしれない。ただ借金は利息ばかりが膨らみ、完済までの道のりは遠い。なんとか働いて返済していかなければいけない。


彼からこの話を聞いたとき、ひとり5000円持って、1000人集まれば(計算上、フェスを開催する頃には、借金の残債が500万を切っているので)大方の借金は返済できてしまうなと思った。だったら皆でフェスを開催すればいいんじゃないか。彼は音楽を仕事にしていきたいわけだし、お祭りならみんなも楽しめる。


怒りや憎しみの世界ではなく、愛や希望に満ちた世界。

赦すということ。

彼はいつも「自分が生きたい世界は自分の内側からつくるんだ」と言っていました。

でも僕には、この借金は彼一人で背負うには重すぎるし、その責任もないように思えました。だから今、この想いに賛同してくれる友人や仲間を募って、みんなで1000人のフェス開催を企画しています。



眼の前の山が高ければ高いほど、人は成長できると思うし、このプロジェクトをはじめたことできっとこれから沢山の出会いがあると思う。それは彼にとって大きなギフトだし、そのプロジェクトに関わっている僕らにも素晴らしい体験になるだろう。

実は僕も音楽をやっていて、でかいfesで歌うのは夢なのだ。だから僕は僕の物語の一部として、このstory fesに関わろうと思う。もしあなたも、このストーリーを綴ったゆうやくんを少しでも応援したいと思ってくださったなら、ぜひ一緒にこのフェスに関わってくれませんか?

みなさんの力が必要です。



ブラック企業で借金850万円を背負った僕の大逆転劇あらため、
僕等の》大逆転劇、いよいよ始まります。

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