「今、ここ」に君はいる。
2018年、1月4日。
一本の電話で、
あの子がもう語り掛けてくることも、笑顔を見せることもない事を知りました。
事故に遭ったと聞かされた時、なんとなく、こうなると分かっていたのに、最後まで姿を出さなかったのは、
自分が傷付きたくなかったのと、
社会的役割がもう存在しないこと。
役割を担う人が、もう存在していた事。
強くなれ、と君から手を引いたことに対する罪悪感。
もう自分がしゃしゃり出る場ではないと思ったのと、
行けば必ず、あの人を罵って、殴りつけてしまうのが目に見えてたから。
だから、ごめんね。って何度も謝って、
後の事は全部任せました。
あの子にとって、自分はどんな存在だったんだろう。
すごく中途半端で、身勝手で、嫌な奴だったかもしれないね。
しばらくは、
平然を装いつつも、もう訳が分からなくなってた。
一緒に死んでしまおうか。とも思ったよ。
ただひたすら、同じ境遇の人のブログを読んで涙を流したり、藁にもすがる思いで潜在意識について勉強をし始めたり…
そんなこんなで、一年程経って、ようやく少し落ち着いた。
あぁ、もう大丈夫だ。
って。
死は悲しいことだけど、
気持ちはいつでも繋がれてるんだって、
一年程かけて、ようやく少し府に落とせた。
それまでは両親に、自己消化をする為、たくさんの時間を貰いました。
情緒不安定になって、訳が分からない事を言いまくって、狂ったように涙を流して。
それなのに、あなた達は見守ってくれました。
君がもういない事は、本当に極一部の人にしか言えなかった。
「最近は会ってない。」
こう言ってしまえば、みんなそれ以上、ツッコミようがないからね。
もう今なら、親しい人に話す事は出来るんだけど、
わざわざ話す必要がないから、言わないだけ。
もう、大丈夫だって、思ってた。
そして、
2019年1月4日。
Twitterに飛び込んで来た悲報に、愕然とした。
その人は、
いつも笑顔で、優しさに溢れていて、
僕は、
いつもiPhoneの画面越しの彼と、彼の仲間たちの姿を見て笑っていた。
信じられなくて、
何度も何度も記事を読み返して、
今度はGoogleで情報を探す。
何度も何度も探した。
そして、
時間と、言葉を失った。
思考が停止して、頭がポカーンとする感覚。
それはまるで、昨年の1月4日と同じようでした。
でも、あの時と違うのは、平然を装うことなく、感じ切る時間と環境があると言うこと。
昨年は、人と一緒に住んでたから。
他人に自分の弱さを見せることが苦手な僕にとって、この違いはあまりに大きい。
感じ切らないうちは、或いは、対処する為に自分と向き合わない限り、幾ら誤魔化したって根底に残り続ける。
今年は、感じ切ることに専念できたと思います。
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