安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.14「帰国」
とはいえ、豊は、このスペインでの1年でホームシックになどなったことはなかった。
毎日、あれやこれやと豊を楽しませる出来事が起こってくれた。
寮の受付にはスペイン人のホルヘがいた。
豊は、改めて彼の年齢を聞いたことはなかったが、おそらく30歳前後だっただろうと思う。
スペイン人はもともと陽気な人種だが、ホルヘはその上に日本好きで、寮に居る日本人たちに、やたらとスペイン語を教えたがった。
若い豊は彼の格好の標的で、豊を見かけるとホルヘは、その彫の深い顔をぐちゃぐちゃに緩ませて「オラー、ユタカ!」と近づいてきた。
ホルヘは、日本人にスペイン語を教えたいがために、日本語を勉強するという熱心さで、豊に頼んでもいないスペイン語レッスンを続けた。
おかげで、豊はスペイン語で、寮の外国人たちとコミュニケーションが取れるようになり、ホルヘの日本語は、豊が見ていても面白いほどみるみるうちに上達していった。
寮の部屋に幽霊が出るという噂が立ったこともあった。
真相を探ろうと、寮の仲間たち数人で、噂のある部屋にカメラを仕掛けたが、結局、何も映らなかった。
豊の持っていったとんかつソースが、スペイン人の間で話題になり、ちょっと貸して…がどんどん広がって、豊のところに戻ってきたときには、空っぽになっていたこともあった。
思えば、あっという間の1年だった。
モンタニエロには、豊が望めば、残ることもできた。
豊は、充分、このチームで活躍していた。
日本が恋しかったわけでもなかったし、小さいながらも毎日が新しい驚きの連続で、豊はラ・コルーニャでの幸せを謳歌していた。
でも…ふと、何ということもない日常の中に、そこで満足して留まっている自分が、なんだかつまらないヤツのように思える瞬間があった。
「刹那」という仏教の言葉がある。
最小の時間の単位で、1回指を弾く間に65の刹那があると言われる。
豊の心を走った思いは、本当にその1刹那のものだったが、喉に引っかかる魚の小骨のように、気にかかるものだった。
豊は、一度、日本に帰って、セレクションに応募してみるか…と考え始めた。
いわゆるサッカーチームへの「入団テスト」のことである。
そして、豊は、1年のスペインサッカー留学から、次のステップを踏むために、日本へ戻ることを決めた。
豊 16歳の春のことである。
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